黒鳥のもと
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は『土佐日記』の中でも有名な、「黒鳥のもとに」の段を読みます。
別名、「白波、かしらの雪」とも呼んでいます。
『土佐日記』は長い船の旅を題材にした記録です。
土佐の国から京都の我が家へ戻る間におこった出来事を、そのまま書き留めたものなのです。
承平4年(934年)12月21日に土佐を発ち、京都に着いたのが承平5年2月16日でした。
今ならば、車で走り抜けられる瀬戸内海も、当時は大変な旅だったのです。
![](https://suikyoblog.com/wp-content/uploads/2020/03/undraw_social_notifications_ro8o.png)
土佐の国司を終え、やっと家に帰ったのは、55日後です。
現在の時間感覚との差を味わってください。
授業の前に、何日くらいかかって帰ったと思う、とよく訊ねたものです。
生徒は2か月に近い旅行だと聞いて、みな驚いていました。
現在なら、半日もあれば十分でしょう。
この差は想像を絶しますね。
作者の紀貫之は仮名文字を使うことで、旅路の不安や情緒、風景など見事に描写しています。
さらに任地で亡くした子供の思い出を語るシーンなどは、本当にしみじみとしているのです。
当時の船には動力などはついていませんでした。
基本的に人力が頼りです。
陸地からあまり離れると危険なので、少し走っては隣の港へ寄るというルートをたどっていきました。
風雨がひどい時は、そのまま港から動けません。
京の都へ早く帰りたいと思いながらも、かなわない日々が続いたのです。
それだけに、道中でおこった出来事を実にていねいに書き込んでいます。
この「黒鳥のもと」もまさに、そうした段と言えますね。
本文
二十一日。卯の時ばかりに船出だす。
みな人々の船出づ。
これを見れば、春の海に秋の木の葉しも散れるやうにぞありける。
おぼろけの願によりてにやあらむ、風も吹かず、よき日出で来て、漕ぎ行く。
この間に、使はれむとて、付きて来る童あり。
それが歌ふ船唄、
なほこそ国の方は見やらるれ、わが父母ありとし思へば。帰らや。
と歌ふぞあはれなる。
かく歌ふを聞きつつ漕ぎ来るに、黒鳥といふ鳥、岩の上に集まり居り。
![](https://suikyoblog.com/wp-content/uploads/2022/05/sea-7039471__340.webp)
その岩のもとに、波白く打ち寄す。楫取りの言ふやう、
「黒鳥のもとに、白き波を寄す」とぞ言ふ。
この言葉、何とにはなけれども、物言ふやうにぞ聞こえたる。
人のほどに合はねば、とがむるなり。
かく言ひつつ行くに、船君なる人、波を見て、「国より始めて、海賊報いせむと言ふなることを思ふ上に、海のまた恐ろしければ、頭もみな白けぬ。七十ぢ、八十ぢは、海にあるものなりけり。
わが髪の雪と磯辺の白波といづれまされり沖つ島守楫取り、言へ」
現代語訳
21日。
午前6時ごろに出発させました。
停泊していた全ての船も出港したのです。
この様子を見ると、春の海に秋の木の葉が散っているような情景でした。
(注 船がまるで木の葉のように見えたのでしょう)
特別な祈願をしたせいでしょうか、強い風も吹かず、よい天気にめぐまれたので、船を漕いで進みました。
この時にあたり、都で使ってもらおうと思ったのでしょうか。
![](https://suikyoblog.com/wp-content/uploads/2022/04/beach-418742__340.jpg)
ついてきた子どもたちがおりました。
その子どもが船歌を歌ったのです。
ついてはきてみたものの、やっぱり生まれ故郷の国の方を自然と見てしまうものです。
自分の父母がいると思えば。
帰ろうよ、としきりに歌っているのは、とても趣深いものでした。
このような歌を聞きながら船を進めていると、黒鳥という名の鳥がいました。
そのあたりの岩の上に集まっていたのです。
岩には白い波が打ち寄せています。
船のかじ取りが、「黒鳥のところに白い波が寄せています」と言いました。
この言葉自体はなんともないのですけれど、しゃれて気の利いたことを言うなと感心しました.
「黒」と「白」を比較して言葉をかけているように聞こえたのです。
かじ取りという身分に似合わないので、つい気になってしまいました。
このようなことを言っているうちに、船客の頭である人(貫之)が、波をみて、「土佐を出発してから、海賊に襲われるという噂を何度も聞きましたよ。
きっと自分(貫之)が国司の時に海賊を取り締まっていたからかもしれません。
そんな話を耳にするにつけ、海が怖ろしいのです。
その心配で、髪の毛がすっかり白髪になってしまったことです。
私が70歳、80歳になる理由は海にあったのだなと感じ入りました。
そこで次のような歌を詠んでみたのですが。
私の髪の毛と磯の波の白さとではどちらが白いのだろうか。船のかじ取りよ、島の守護神の代わりに答えてくれないだろうか。」
3つの部分
紀貫之の一行は、1月21日の卯の刻に出港し、順調に航海を進めました。
願をかけたのが効いて、良い日和だったとあります。
内容を全体で3つの部分に分けて考えてみてみましょう。
はじめは出港の部分です。
船出の様子を、春の海に秋の木の葉が散る様子にたとえています。
また、童のうたう舟唄にも感動しています。
京都で使ってもらおうとして、ついてきたのでしょう。
次は黒鳥白波のところです。
風流というものを知らないかじ取りの言葉が、貫之の美意識を刺激しました。
黒鳥・白波という言葉が対句的な表現になっていたのです。
おそらく偶然に使った表現に過ぎません。
しかし歌人である貫之はその趣きを聞き逃しませんでした。
最後は歌のところです。
海賊の存在が怖かったという事実がよくわかります。
![](https://suikyoblog.com/wp-content/uploads/2019/09/未来_1569841087-1024x682.jpg)
貫之自身が取り締まりを厳しくしたこともあり、恨みを買っていると思い込んでいたに違いありません。
怖れから白髪が増えたことを、白波との対比で歌にしているのです。
日記の自由な気分がよく出ていますね。
特にこの日は天気も良く、気分がよかったのでしょう。
いつもならそれだけのゆとりは出なかったと思われます。
文学的な描写の要素が強く、歌人らしい筆致が目立ちます。
起こった出来事に文学的興味を絡めながら描写しています。
かじ取りに、白髪と磯辺の白波のどっちが白いと思うか、と少し軽い気分で訊ねたりもしています。
貫之という人の、自由闊達なところがよく出ているのではないでしょうか。
こういうところが、日記文学の真骨頂なのです。
じっくりと味わってみてください。
言葉に対する歌人の感覚の鋭さと、のびのびとした文章がその日の気分をよくあらわしています。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。