【兵法書・戦国策】軍師の術策は人の心を読むことに尽きる【勝利】

戦国策

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は兵法書『戦国策』を読みます。

この本は戦国時代の遊説家が諸侯に述べた術策を国別に編集したものです。

33巻から成っています。

それぞれの戦いを内側から解説したものです。

前漢の人、劉向(りゅうきょう)が編纂しました。

この本を読んでいると、戦いというものが人間の心を読むことと密接に繋がっていることを思い知らされます。

軍師として有名なのは、なんといっても『三国志』に登場する諸葛孔明です。

かれを自軍に招くために、劉備は三顧の礼をもってしました。

何度断られても、腰を低くして会いに出かけたのです。

なぜそこまでしたのでしょうか。

軍略なしには戦さに勝てなかったからです。

頂点を目指すには誰もが優秀な師を必要としました。

これは現在も全く同じです。

馬陵の戦いというのは斉の軍師が魏軍を大混乱に陥らせた作戦でした。

紀元前340年頃のことです。

韓の南梁が魏に責められた戦役の際、韓は斉に救援を頼んだのです。

大臣に意見を求めた田候は田臣思(でんしんし)の意見を取り入れました。

その作戦は韓、魏の両国を疲れさせるのが目的だったのです。

それはどのようなものだったのでしょうか。

作戦は成功し、斉は再度助けを求めてきた韓を助けて魏を打ち、両国を臣下としたのです。

そのために田臣思は心理作戦をとりました。

本文の書き下し文を読んで見ましょう。

難しい漢字には読みがなをつけました。

声にだしてみてください。

本文

南梁の難に、韓、救ひを斉(せい)に請ふ。

田侯、大臣を召して謀(はか)りて曰く、

「早く之を救ふは、晩く之を救ふの便なるに孰(いづ)れぞや。

張丐(ちょうべん)対(こた)えて曰く、

「晚(おそ)く之を救はば、韓且(まさ)に折れて魏に入らんとす、早く之を救ふには如(し)かざらん。」

田臣思(でんしんし)曰く、「不可なり。夫れ韓魏の兵未だ弊(つか)れずして、我、之を救はば、我、韓に代りて魏の兵を受け、顧反(かへり)て命(めい)を韓に聴かん。

且(か)つ夫(そ)れ魏は韓を破るの志有り。

韓、且(まさ)に亡びんとするを見れば、必ず東のかた斉に愬(うった)へん。

我因(よ)りて陰(ひそ)かに韓の親(しん)を結びて、晚(おそ)く魏の弊(つか)れを承(う)けば、則ち国、重かるべく、利、得べく、名、尊かるべし。」

田侯曰く、「善し。」と。

乃(すなわ)ち陰(ひそか)に韓の使者に告げて之を遣(や)る。

韓自ら以て斉国(せいこく)有るを恃(たの)みて、五たび戦ひ五たび勝たず。

東のかた斉に愬(うった)ふ。

斉因(よ)りて兵を起こし魏を擊ち、大いに之を馬陵に破る。

魏破れ韓弱り、韓魏の君、北面して田侯に朝せり。

現代語訳

韓の南梁が魏に攻められました。

南梁の戦さの危機に際して、韓は斉に救援を要請したのです。

斉の田侯は大臣を読んで、こう相談しました。

「韓を早く救援するのと,遅く救援するのと、どちらが良いだろうか?」

張丐(ちょうべん)はこう答えました。

「救援にいくのが遅ければ、韓は屈服して魏の傘下に入ってしまうでしょう。早く救援するに越したことはありません。」

田臣思はこう答えました。

「それは良くありません。そもそも韓も魏もその兵は、まだ疲労していません。

今、我が国が韓を救援に行けば、今度は我々が韓の代わりに魏の兵の攻撃を受けることになります。

また後には韓の命令を聞くことになります。

そもそも魏には、韓を打ち負かそうという志があり,韓が滅亡に瀕すれば,必ず東方の我が国に向かって、救いを訴えるでしょう。

そこで、我が国は、こっそりと韓と親交を結び、その上で、魏の兵隊の疲労に付け入れば、結果として斉は重んじられ、利益を得られ、名誉も尊ばれるようになります。」

田侯は「善かろう。」と答えました。

そうして密かに、韓の使者に救援すると告げ、使者を送り帰したのです。

そこで韓は斉国を頼みにしたものの、五戦して五たびとも勝てず、東に向かって斉にすがることになりました。

さっそく斉は出兵して魏を擊ち,馬陵の地で魏を大いに破ったのです。

魏を破り、韓を弱体化させることに成功しました。

その結果、韓と魏の君主は、斉の将軍田嬰に臣下として仕え、田侯に頭を下げ、臣下となったのです。

人間の心理

もう1度、ポイントをチェックしましょう。

斉は魏に対して、内々に救援を約束しました。

しかし結局援軍を派遣しませんでした。

実際に軍勢を動かしたのは、韓が何度も魏に敗れてからのことです。

援軍の約束をした段階では、まだ韓に余力が残っていました。

その時点でもし援軍を送っていたらどうなっていたのか。

それは田臣思が読んだ通りです。

つまり今、我が国が韓を救援に行けば、今度は我々が韓の代わりに魏の兵の攻撃を受けることになるというのです。

そこで武器や兵力を失ったとみれば、当然魏は斉に戦いを挑んできます。

これでは勝てるはずの戦さに負けてしまう可能性もあります。

そこで彼が考えた作戦は、両者を戦わせることでした。

ある程度、韓の国力が落ちてきた段階で、救援を出す。

その勢いで魏を奪ってしまう。

そうすれば、一挙両得になるのです。

一石二鳥といってもいいかもしれません。

共に戦わせ、力を失ってきた段階で初めて介入するという方法は、さまざまな国がとってきた作戦の1つです。

別名、漁夫の利とでも呼べるでしょうか。

第二次世界大戦の末期に突然参入してきたロシア軍の動きなどもその1つです。

現在も北方4島は領土問題で揺れています。

人間の心理をうまくつかなければ、これだけ兵器の開発が進んだ現代でさえも、勝利することはできないのです。

孫子の兵法は、勝てない戦いならするなというのが最大の鉄則です。

そのかわり、戦うのなら、必ず勝てる見込みをたてなくてはなりません。

いつの時代も、人間は戦さをやめない愚かな生き物です。

2022年の現在も、その事実は少しもかわっていません。

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じっくりとこの兵法の文章を読み込んでみてください。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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