「落窪物語」継子いじめというテーマは人間の本性に根差したものなのか

いじめの物語

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

いじめというのは人間にとってどういう意味を持つものなのでしょうか。

辞書をひくと、肉体的、精神的に自分より弱いものを、暴力やいやがらせなどによって苦しめることとあります。

ポイントは自分より弱いものに対して、卑劣な行動にでるということでしょう。

人間は出会った瞬間、互いの力関係を判断する生き物なのかもしれません。

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そういう性質を持った動物であると考えた方がいいのでしょうか。

マウントをとるという言い方もありますね。

優劣を決めて生きていかなければ、存在していることの意味を失うのかもしれないのです。

いずれにせよ、学校や職場で行われるこの種の話をきくと憂鬱になります。

壮絶ないじめが報告されたりすると、信じられない気分になります。

しかし人間の本性にいじめは深く根ざしていると考えるべきです。

そうでないと、これだけいじめの物語があるということが不思議です。

今回の話題は古典文学の『落窪物語』です。

学校ではほとんど扱いませんね。

やはり継子いじめの話を学校で学ぶことには、かなり抵抗があるからかもしれません。

親子の愛情というのは、誰もが尊いと言います。

しかし血が繋がっていないということになると、ガラリと違う表情を見せるものです。

日本においてこのような作品がずっと読まれてきたということを知ると、思わずなるほどと頷いてしまいます。

そこには人間性に根差すリアリティがあるはずです

『源氏物語』に出てくる愛情などとは、全く違う系譜の物語なのかもしれません。

物語の概要

落窪物語は、平安時代に作られた中編の物語で、作者、成立年ともに不明です。

テーマは継子いじめそのものです。

養女として引き取られた家での話が主題です。

継母にいじめられる姫君の様子を生き生きと描き出しています。

主人公の姫は姿も心もたいへん美しい女性です。

実の母親をなくし、継母のもとに引き取られました。

父親は妻を亡くした中納言の源忠頼です。

北の方を後妻とし、彼女との間に4人の娘ができました。

しかし北の方は自分の子どもだけをかわいがり、先妻の子どもだけは畳が落ち窪んだ部屋に住まわせます。

徹底的にいじめるのです。

押し込められた部屋の様子から、先妻の子だけは「落窪の君」と呼ばれるようになりました。

彼女の世話を焼いてくれたのは、女房の阿漕だけです。

落窪の君は他の4人の娘よりもはるかに美しかったとあります。

ところが外に出ることのない彼女の姿を知る人はほとんどいませんでした。

阿漕は自分の夫、帯刀を介して、右近の少将に落窪の君を紹介します。

右近の少将は出会った瞬間に心を奪われ、結婚の約束をするに至ります。

この事実を知り、実の娘を右近の少将と結婚させようと考えていた北の方は怒ります。

落窪の君を納戸に幽閉してしまったのです。

それだけではすまずに、叔父で同居をしていた典薬助と落窪の君を無理に結婚させようとします。

阿漕は右近の少将にその事実を知らせ、落窪の君を救い出しました。

その後、落窪の君と右近の少将は結ばれることとなります

第2部は右近の少将が北の方に復讐をする段です。

さらに第3部では北の方と和解をし、静かに暮らす日常が描かれます。

本文

やうやうもの思ひ知るままに、世の中のあはれに心憂きをのみ思されければ、かくのみぞうち嘆く。

日にそへて憂さのみまさる世の中に心尽くしの身をいかにせむ

と言ひて、いたうもの思ひ知りたるさまにて、おほかたの心ざまさとくて、琴なども習はす人あらばいとよくしつべけれど、誰かは教へむ。

母君の、六つ、七つばかりにておはしけるに、習はしおい給ひけるままに、箏の琴をよにをかしく弾き給ひければ、むかひ腹の三郎君、十ばかりなるに、琴心に入れたりとて、「これに習はせ。」と北の方のたまへば、時々教ふ。

つくづくと暇のあるままに、物縫ふことを習ひければ、いとをかしげにひねり縫ひ給ひければ、「いとよかめり。

ことなる顔かたちなき人は、ものまめやかに習ひたるぞよき。」とて二人の婿の装束、いささかなる暇なくかきあひ縫はせ給へば、

しばしこそもの忙しかりしか、夜も寝も寝ず縫はす。

geralt / Pixabay

いささか遅き時は、「かばかりのことをだにものうげにし給ふは、何を役にせむとならむ。」と責め給へば、うち嘆きて、いかでなほ消え失せぬるわざもがなと嘆く。

三の君に御裳着せ奉り給ひて、やがて蔵人少将あはせ奉り給ひて、いたはり給ふこと限りなし。

落窪の君、まして暇なく苦しきことまさる。

若くめでたき人は、多くかやうのまめわざする人や少なかりけむ、あなづりやすくて、いとわびしければ、うち泣きて縫ふままに、

世の中にいかであらじと思へどもかなはぬものは憂き身なりけり

現代語訳

姫君は次第に分別がつくにつれて、自分の身の上の悲しくつらいことばかりをお思いになったので、このようにばかり嘆く。

日の移ろいにつれてつらさばかりが増していくこの世の中で、さまざまにものを思うわが身をどうしたらよいだろうか。

と呟き、つらい物事を身にしみて感じている様子でした。

姫は聡明で、琴なども習わせる人がいたならばきっととても上手に弾いたにちがいなかったのです。

しかし誰が教えたりするでしょうか。

そんなことはありえなかったのです。

亡き母君が、姫君が六、七歳くらいでいらっした頃に、習わせなさったとおりに、十三弦の琴をたいそう趣深くお弾きになったので、

本妻から生まれた三男で、十歳くらいの子が、箏の琴に関心を持っているといって、「この子に習わせなさい」と北の方が命じ、姫君が時々教えたりすることもありました。

姫君は所在なくぼんやりと暇があるのにまかせて、裁縫を習ったところ、とても美しく布の縁をとってお縫いになったので、

北の方は「とてもよろしい。美しくもない人は、物事を真面目に習っていればいいんだから」と言って、大君と中の君の二人の婿の衣装を、少しの暇もなくかき集めて縫わせなさったので、

少しの間はどことなく忙しかったが、今は忙しいという程度を通り越して夜も眠れないほどでした。

少し遅れる時は、北の方が「これぐらいのことができずにどうするの。いったい何を仕事にしようというの。」と責めなさるので、

姫君は嘆いて、やはり死んでしまう方がいいと泣いた。

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中納言は三の君に裳着の式を挙げなさって、すぐに蔵人少将と結婚させ、大切にお世話なさることはこのうえない。

落窪の君は、なおさら時間がなく苦しいことが増える。

若く美しい女房たちは多くいるものの、このような裁縫をする人はそれほどいなかったのです。

姫君はとてもつらいので、泣いて裁縫をしながら、

この世にいたくないと思うけれども、思いどおりにならないものはつらい我が身であることよ

と悲しい歌を詠むのであった。

落窪の君の特技

この段を読むと、落窪の君がさまざまな才芸を持っている様子がよくわかります。

「筝の琴」と「裁縫」です。

当時の弦楽器には琵琶(四弦)、和琴(六弦)、琴(七弦)、筝(十三弦)がありました。

落窪の君は「筝の琴」をみごとに弾いたとあります。

もう1つの才能は「裁縫」です。

物を縫うことは当時、どのようなものと考えられていたのでしょうか。

物語を読むと、貴族にとって裁縫の技術はそれほど高く評価されていないことがよくわかります。

落窪の君が不幸であることを強調する様子がかなり細かく描かれています。

当時の技芸としては、それほどの評価を得ていたものではないようです。

近くに仕える女房の技というレベルなのでしょう。

和歌や音楽などに比べると、姫君たちがたしなむ技ではなかったと思われます。

継子いじめを題材とした物語が、日本人にずっと読まれてきたことの意味を考えるうえで、ぜひ手にとってみてください。

他の古典文学とは違う一面が見えてきます。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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