知識と教養の違い
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は2022年度に行われた八王子東高校の推薦入試について解説します。
問題は2問です。
問1は日本における選挙の投票率のグラフ読み取り問題です。
問2は2つの課題文を読み、知識と教養の違いについて述べよという500字の小論文です。
今回は問2について考えてみましょう。
最初に問題の指示をチェックします。
次の文章を読み、それぞれの内容に触れながら、知識と教養を対比しなさいというものです。
その上で「教養を深める」ことについてのあなたの考えを500字以内で述べなさい。
ただし段落構成は3段落または4段落にしなさいというのが主旨です。
ポイントは知識と教養の違いを課題文から読み取ること。
そのうえで、教養を深めることの考えを論じるのです。
最初に課題文を読み、そこから筆者の論点をみていきましょう。
自分の考えをひとまず棚に上げることか大切です。
2つの文章に共通しているものとそうでないものを取り上げます。
課題文を一部省略はしましたが、ほぼ全文掲載します。
じっくりと読んでみてください。
課題文
ものごとを考える時、僕がいつも大切にしているのは、「タテ・ヨコ・算数」の3つです。
タテ、すなわち昔の歴史を知り、ヨコ、すなわち世界がどうなっているかを知り、それを算数すなわち数学・ファクト・ロジックで裏づけていく。
そうすることで、メディアやSNSを追いかけているだけではわからないことが見えてきます。
日頃からそのような訓練を積み重ねることが、想定外のことが起きたときに生き残る力につながります。
たとえば1年前には、新型コロナウィルス感染症によるパンデミックが起きて、世界中が大混乱に陥ると想像した人は誰もいませんでした。(中略)
そのようなときこそ冷静になり、あふれかえる議論の中で、何が真っ当なのかを見分けて判断することが必要になります。
「タテ・ヨコ・算数」で考えて、コロナ禍をめぐって起きたさまざまな問題への理解が深まれば、人間はコロナ禍という不幸な経験を通じて賢くなることができます。
(出口治明『自分の頭で考える日本の論点』)
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われわれは、花を見て、枝葉を見ない。
かりに枝葉は見ても、幹には目を向けない。
まして根のことは考えようともしない。
とかく花という結果のみに目をうばわれて、根幹に思い及ばない。
聞くところによると、植物は地上に見えている部分と地下にかくれた根とは形もほぼ同形でシンメトリーをなしているという。
花が咲くのも地下の大きな組織があるからこそだ。
知識も人間という木の咲かせた花である。
美しいからといって花だけを切ってきて花瓶にさしておいても、すぐ散ってしまう。
花が自分のものになったのでないことはこれひとつ見てもわかる。
明治以来、日本の知識人は欧米で咲いた花をせっせととり入れてきた。
中には根まわしをして、根ごと移そうとした試みもないではなかったが、多くは花の咲いている枝を切ってもってきたにすぎない。
これではこちらで花を咲かせることは難しい。
根のことを考えるべきだった。
それを怠っては自前の花を咲かすことは不可能である。(外山滋比古『思考の整理学』)
タテ・ヨコ・算数
2つの文章には教養という言葉の意味をそれぞれに解釈した表現が出てきます。
その1つが「何が真っ当なのかを見分けて判断すること」という内容です。
そのための方法が「過去の歴史・現在の世界の状況・事実と論理」に基づいて分析することです。
これを「タテ・ヨコ・算数」と筆者は述べています。
もう1つが「根」です。
知識が花だとすれば教養は根でしょう。
花は切ってしまえば枯れます。
しかしその根幹になるべき教養に栄養を与え続けなければなりません。
根がしっかりしていれば自前の花を咲かせることができるのです。
「教養」という表現は、別の言葉でいえば「体系的で本質的な知識と理解力」を意味しています。
「教養」という言葉を使う時は「人間性・学問・応用力」を指し示して使うことが多いのです。
それでは「知識」とは何でしょうか。
「知識」は、「ある情報を認識して理解していることや知っていること」をさします。
勉強や読書などによって身につけ、ある意味、他者とも共有できるものです。
それでは両者の違いはどこにあるのでしょうか。
「教養」には「人間性」の問題が絡みます。
心の豊かさがその人間の品位をつくりだすのです。
細切れの知識ではありません。
体系的な知識や応用力をさします。
それに比べると知識はもっと細切れの情報です。
ある意味、データと呼んでもいいのかもしれません。
教養を積み重ねることによって、他者の人生に共感を与えることもあります。
もっとわかりやすくいえば、知識は何を知っているかということです。
想像力を持つ
それに対して教養はある事象をどう考え、感じるかという点に力点が置かれます。
教養がないとただ世の中に起こった出来事に振り回されるだけになります。
最も根本のところに芯がないからです。
コロナ禍における行動にもその一端がみえるのは、課題文の通りです。
教養があれば真の自由が得られるに違いありません。
想像力も増すからです。
八王子東高校の小論文では、その点を強調すればよかったのではないでしょうか。
たとえパンデミックに襲われたとしても、過去の歴史や現在の状況を冷静に分析していけば十分なのです。
その結果としてどのような行動をとればいいのかが見えてきます。
デマに惑わされるようなことはありません。
それこそが外山滋比古のいう「根」に繋がります。
知識の堆積が発酵を繰り返し、真の力である教養になった瞬間です。
それだけの力量をもつためにはどうしたらいいのか。
当然ある程度の時間も必要でしょう。
耐える覚悟もなくてはなりません。
しかそれらをきちんと落ち着いて自分のものにする意思を固めなければなりません。
その果てに、あらゆる行動が担保されるのです。
そこまでのプロセスをきちんと3段から4段で書ききってください。
起承結でいきましょう。
転はいりません。
第2段とのところを2つに分けて、丁寧に説明していくことです。
あなたの解説が明確ならば、評価は高いものになります。
まず書いてみてください。
眼高手低ではダメです。
上達への近道は練習あるのみです。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。