ハレの日
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
お正月も終わってしまいました。
昔から「ハレ」と「ケ」の違いはよく語られてきましたね。
民俗学者・柳田國男が主張したのです。
日本人にはなじみやすい考え方だと思います。
あなたは偶数と奇数ではどちらの方が縁起がいいと思いますか。
今は西洋的な発想から偶数と答える人が多いようです。
2つにわけられますからね。
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しかし日本では圧倒的に奇数が吉です。
分けられないところに縁の重みを感じたからでしょうか。
詳しい理由はわかりません。
1月1日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日。
5つの節句があります。
なかでもお正月はもっともハレの日です。
その日には晴れ着をきて新年を祝います。
日常が続く「ケ」の日とは全く違う1日なのです。
兼好法師も元旦の様子を『徒然草』19段の中に書いています。
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かくて明けゆく空のけしき、昨日に変りたりとは見えねど、ひきかへめづらしき心地ぞする。
大路のさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ。
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こうして、明けてゆく元旦の朝はいつもと変わりないものの、様子が少し違うので特別な心地がします。
表通りにも松の木を立て、はなやかで喜びにあふれているのは、また格別なのです。
伝統的な世界観
元旦の夜明けを祝った気分は今も続いていると信じたいです。
ご来光を拝むなどといった気分は悪くありません。
しかし未来の構図はそれほどに明るいものなのでしょうか。
つい先日も作家の平野啓一郎が新聞に寄稿していました。
それによれば未来から現在を考えないと、今の停滞感から抜け出せないというのです。
「いつまであなたは生きるのか」という問いを社会が常に発信していると考えてしまうからだそうです。
作家の感性は普通の人間よりも鋭いものです。
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10代の頃に好景気を知り、そこから経済成長を成し遂げてきた世代は既に70代を超え、80歳に近づこうとしています。
それより下の世代は、みな長いトンネルの中で静かに時を過ごしているのです。
ここを抜ければ温かい太陽の下へ出られるという保証はありません。
むしろ冷たい吹雪の中へ入りこんでしまう可能性もあるのです。
自然をここまで浸食してしまいましたからね。
その果てに人はどうするのか。
リアルな時間を持てないとすれば、幻想や思い出の中に逃げ込むしかありません。
バーチャルな世界で生きるアバターとして、自分の存在があるという考え方を否定することはできないのです。
経済の成長もとまり、他の国の勢いをただ見ているだけの日々が始まりました。
テクノロジーを開発できる国だけが、生き残れるのかもしれません。
新しい疫病が発生してから既に2年以上がたちます。
その間に圧倒的なスピードでワクチンが開発されました。
新薬の登場もあります。
以前なら不可能だったゲノム解析も安い費用で、大量に処理できるところまできました。
だからといって、世界の疫病が消えていくワケでもありません。
1日に100万人
新しいオミクロン株が1日に100万人の単位でアメリカを襲いつつあります。
どんなに技術が進んでも、それを超える疫病が再び起こる。
この繰り返しが何年続くのでしょうか。
生きていく心地は本当によくなっているのか。
幸せという気分をどの程度の人が味わっているのでしょうか。
どうすれば幸福になれるのかという処方箋を失ってしまったような気もします。
格差社会といわれ、日本では中間層が分断されてしまいました。
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給付金の配布にしても、他者に対する羨望のまなざしだけが浮かび上がります。
境界線上にいる人たちは切られ、夫婦共稼ぎの世帯はしっかり受領することができました。
その予算はどこから出るのか。
本当はもうどこにもありません。
打ち出の小槌は共同幻想の未来にしかないのです。
そのツケを誰が払うのか。
そんなことは誰も考えていないのです。
若い人が頑張ればいいと言われても、変化を安易に認めてくれるような社会ではありません。
同調圧力は依然として強いままです。
この先どのような努力をして生き残ればいいのか。
少しぐらい考えても、妙案は浮かばないのです。
SDGsのテーマ1つをとってみてもそうです。
どこから手を付ければいいのか。
全く方法論がみえてきません。
少子化も同じです。
韓国の実態
つい先日NHKで放送された韓国の実態をみて、空恐ろしくなりました。
日本の比ではありませんね。
今のままいくと、生産年齢に達する人々がわずかの間に半減してしまうようです。
とても子供を育てる環境ではありません。
ただ受験勉強が苦しく、その先の社会に出ていく時も、さらに選別をされ続けるのです。
親の世代とは明らかに価値観が違っています。
夫婦共稼ぎでなければ、一定の生活水準を維持できないところまで来ているのです。
子供を持たないというのは子供のためを思っているからだという人々の声にウソはないでしょう。
本当に愛する子供の未来を考えたら、とても子を持つ勇気はでてきません。
特に女性が産みたがらないという現状は悲惨です。
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介護や、子育てを女性が引き受けるという儒教の影響もいまだに根強く残っています。
日本もある意味同じでしょう。
これからの時間をどう生きるのか。
黙って「ケ」の日々を過ごすことが幸福であるのかどうか。
それさえも答えは出ていません。
上位1%の人が世界の個人資産の4割を保有するという現在の社会の構造はまさにいびつです。
そこから這い上がる努力をすれば必ずうまくいくなどいう幻想を簡単に持つことはできません。
分相応な生き方さえもが否定されてしまう、バイパスルートのない社会です。
1度落ちたら、這い上がることは不可能なのです。
最後は社会保障に頼るしかないのでしょうか。
そこにも怨嗟の目が届きつつあります。
方法は限られています。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。