未知の自分
みなさん、こんにちは。
ブロガーのすい喬です。
今回はチャレンジ魂の話をさせてください。
ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎の小説に『見る前に跳べ』というのがあります。
初期の短編集です。
学生時代に読みました。
衝撃的なタイトルですね。
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今という時代はあまりにも実感、情感にとぼしいと思いませんか。
何もかもがスマホで済んでしまうような世の中です。
遠くまで出かけなくても、向こうから映像が飛び込んできます。
世界中のどこにいてもネットが通じていれば、会話も可能です。
もっと言えば、情報の渦の中にいます。
なんでも見たり聞いたりしている気分にとらわれてしまいます。
疑似感覚とでも呼べばいいのでしょうか。
しかし実際はその反動なのか、勢いがとぼしいのです。
なにごとにも挑戦する気になれません。
というより本気になるのが怖いのかもしれないのです。
そんな時代を先読みして、大江健三郎はこの表題をつけたに違いありません。
ぼくはこのタイトルが好きです。
普通の人間ならそれは無理ですとすぐ尻り込みしてしまうことにもチャレンジする。
たとえ落ちる可能性があったとしても、まず跳ぼうと試みる。
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それが大切なのです。
日本人の考え方は減点主義が基本です。
最初に満点で入社しても、そこから少しずつ点数がひかれていきます。
大きな失敗をしたら、もうアウトです。
減点主義
典型的なのが役人の世界でしょう。
忖度などという嫌な言葉が流行するのは、なるべく大過なく減点されずに生きていかなければならない役人の宿命を象徴しています。
自分の上司が黒だといったら、どんなことがあっても黒だと言い続けなければならない。
そのための理屈をつくりあげなくてはいけないのです。
なんとも悲しい現実です。
サラリーマンだって同じこと。
自分で起業をし、成功しない限り、やはり減点主義はどこまでもついてまわります。
新しいことにチャレンジするためにはすべての枠組みから飛び出さなければなりません。
誰にでもできることではないのです。
しかし一方で出過ぎた杭は打たれないという言葉もあります。
もちろん、出る杭は打たれる図が一般的だからこそ、こういう逆の論法も出てくるのでしよう。
周囲の空気をいつも読んでいるだけではあまりにも面白くありません。
どこかでその枠を超え、自分の世界を作り出す作業を試みる価値があると思います。
何事もやってみなければわからないのです。
人生はあまりにも多様です。
どうすればうまくいったことになるのかも、はっきりとはわかりません。
人と比べるのは簡単ですが、判断の基準がないのです。
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手っ取り早いのは地位や名誉、財産などを比べることでしょうか。
確かに目に見えるだけにわかりやすいです。
しかし豪邸に住んで高い地位についている人が本当にうまくいった人生を過ごしたのかどうかは確かめようもありません。
それが生きるということの深淵でもあります。
裸の王様はイヤ
裸の王様になるのだけは避けたいですね。
これがぼくの実感です。
歴史をみればよくわかります。
どれほどの権力を得ても、一瞬でそれが夢のように消えてしまったという現実がたくさんあります。
戦いに勝ったものが、本当に勝利したのかどうかは、長い時間がたたないとはっきりしません。
だとしたらやりたいことはやはりやっておきたいものです。
見てしまうと怖くなるということはありますよね。
だからこそ、見る前に跳んでみるのです。
一見無駄とか無意味と思ったことでもやってみると、案外楽しいものです。
元々、好きなことなら恐怖心も少ないでしょう。
日々の暮らしのシーンではまったく出会えない違う価値を持った人と知り合うチャンスもあります。
なんでもいいから何かをまず始めてみる。
そこからすべてが変化していくのではないでしょうか。
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減点主義を少し脇へ遠ざけるだけで、風景がガラリと変わっていくと思います。
大切なのは五感です。
自分の感受性に正直になりましょう。
今やりたいこと。
死ぬまでにこれだけはやっておかなければ必ず後悔すること。
その道を突き進むことが幸せに通じるに違いないのです。
先日、東京都現代美術館で開かれていた「ミナ・ぺルホネン展」に行ってきました。
ご存知ですか。
生地からデザインし洋服に仕立てることを続けている皆川明さんのコレクション展示会でした。
多くの人が使い捨ての洋服に飽きているということも知りました。
ミナを着て旅に出よう
その後、皆川さんの著書『ミナを着て旅に出よう』を読みました。
高校の頃は体育大学へ行ってマラソンを本格的にやろうと考えていたそうです。
ところが3年生の時に骨折し、体育大学への進学を断念しました。
その後ヨーロッパを旅したことがきっかけで、パリコレのバックステージのアルバイトをします。
洋服をつくることの面白さを実感し、日本に戻ってから文化服装学院の夜間部に入りました。
昼まで魚河岸で働き、その後は自分で勉強してデザイナーになろうと思ったのです。
しかしデザイン以前に生地の魅力にとりつかれます。
オリジナルの作品を30才くらいまでに作れればいいというのが目標でした。
自分の夢を実際にその年齢で実現し、今はテキスタイルデザイナーとしても大活躍をしています。
けっして1年で着なくなってしまうような洋服はつくらない。
セールをしない。
生地をつくってくれる人を大切にする。
布を織る人と一緒にデザインを完成させるまで努力を続ける。
デザインの内側からにじみ出る美しさをきわめる。
皆川明さんの持つ基本的なコンセプトは今日、多くの人に受け入れられています。
ぼく自身、最初はちょっと軽く考えて展覧会の会場へ行きました。
しかし見ているうちにものすごくインスパイアーされたことを告白しておきます。
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タンバリンと呼ばれる彼独特の造形にはとんでもない労力が必要だということも知りました。
北欧の持つ飽きない質の高いデザインを現在も続けて創作しています。
最近では家具にも食指をのばし、評価を得ています。
人気のある動物柄など似たようなデザインのものが、市場に出回っているそうです。
そうなると、彼の反骨精神がにわかに活動を始めます。
これが皆川の作品だと思われるのが嫌だというのです。
自分が作ってきたものを次には壊す。
新しいデザインのものを創造する。
まさにここにしか人間の生きていく道はないのではないでしょうか。
作ったら壊すということの繰り返し。
それが未知の自分を探すということです。
そこにしか生きるということの本当の意味はないように思います。
トライ・アンド・エラー。
この力を失わないことが豊かに生きることの原点です。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。