高瀬舟
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は森鴎外の名作『高瀬舟』を読みます。
中学校の教科書に載っていますね。
学校で習ったことと思います。
どんな話だったか覚えていますか。
「高瀬舟」とは、島流しを命じられた京都の罪人を大坂へ護送する船のことです。
思い出したでしょうか。
森鴎外は本当にたくさんの小説を残しました。
夏目漱石と並んで、明治時代の作家として日本を代表する人です。
鴎外・森林太郎は1862年生まれです。
島根県津和野町に御典医の長男として生まれます。
藩主の診察をする最も権威ある医師です。
大学卒業後は陸軍軍医となりドイツへも留学しました。
明治の時代のエリートですね。
日本に戻ってきてからも紆余曲折がありました。
ドイツから女性が追いかけてくるといった事件まであったのです。
この留学時代のことを参考にして書いたのが『舞姫』です。
高校で習いましたか。
このブログにも記事があります。
最後にリンクを貼っておきますので、興味があったら読んでみてください。
明治という時代の背景が実によくわかります。
あらすじ
小説『高瀬舟』は護送される船の中でのできごとを記したものです。
この舟に乗せられる罪人には生まれながらの悪党だけではありません。
ほんの気の迷いから犯罪者になってしまう人もいました。
そんな罪人は周りから見てもとても辛そうな顔をしてうなだれているので、高瀬舟で護送役の人間はいつも嫌がっていたのです。
ある日のこと、喜助という男が高瀬舟に連れられてきました。
しかし彼の様子はとても変わっていたのです。
これから島流しにされるというのにも関わらず、いかにも楽しげな様子なのです。
護送役の京都町奉行所の同心・羽田庄兵衛は不思議です。
なぜこれから島流しにされるのにそんなに楽しそうなのだとつい訊いてしまいました。
喜助は語ります。
私の半生はあまりに辛いことが多くて、日々の暮らしにも困っていました。
島流しにされて仕事がもらえる上にこんなお金までもらえて助かっているというのです
喜助は、弟殺しの罪で捕まりました。
庄兵衛は何故弟を殺したのかを喜助に聞きます。
すると喜助は自害に失敗して苦しんでいる弟を楽にしてやっただけだと答えました。
ある日喜助が仕事から帰ると、弟が苦しんでうめいていたというのです。
これ以上迷惑をかけたくないと自殺を図ったのです。
しかし死にきれずに剃刀がのどに刺さったままになっていました。
弟は「剃刀を抜いてくれ」「楽にしてくれ」と喜助に必死に頼みます。
しかし、剃刀を抜けば出血してしまい、弟が絶命することは間違いありません。
喜助は葛藤し悩んだあげくに弟の剃刀を抜きました。
弟は笑って息絶えますが、そこを近所の老婆に見つかり逮捕されます。
その後、島流しが決定したのでした。
庄兵衛は自問自答しながらも、ただ高瀬舟を漕ぎ続けることしかできませんでした。
安楽死
この小説が発表されたのは1916年です。
森鴎外晩年の代表作になります。
「安楽死」の問題は現代でも医学上の問題の1つです。
苦しまないように安楽な死を与えることが、人間に許されるのかという根本的な問題です。
日本では現在も殺人罪として扱われています。
非常に倫理的な問題がテーマになっているのです。
森鴎外は医者として、多くの場面をみてきたはずです。
そこから着想したのかもしれません。
彼は理想主義的な立場をとる文学者でした。
どちらとも判断がつかないような問題を主観的に描くスタイルを貫いたのです。
島流しの刑を受けた罪人を運ぶ船の上での、護送役と罪人の繊細な心理を描きながら、伝えたいことがあったのでしょう。
それは何か。
人間にとって究極的には何が幸せなのかということです。
罪人と親類は夜通し船の上で後悔の言葉を交わすのが常でした。
ところが喜助の額は晴れやかで、目には輝きさえあり、いかにも楽しそうなのです。
護送役の庄兵衛にしても貧しい身であるのは同じです。
その日の暮らしに困ることはなくても、生活に少しもゆとりはありません。
どちらが幸せなのか、庄兵衛にはわからなくなってしまいました。
喜助という人間は、欲望が足りること、踏みとどまることを知っているのです。
弟殺しの真相を聞いた庄兵衛は、果たしてこれは人殺しなのだろうか、と考え込んでしまいます。
弟に頼まれたとはいえ、喜助の行為は一応殺人と言えるでしょう。
しかし、剃刀を抜かなくてもいずれ弟は死んでいたはずです。
兄は苦しみから早く救ってやろうと思って弟の命を絶ったのです。
それが罪になるのかどうか。
これは難しい問題です。
欲望の限界
この作品は確かに「安楽死」の問題を前面に出して進んでいきます。
しかしよく考えてみると、この喜助と庄兵衛の違いにも目がいきます。
罪人の喜助はむしろ従容として、罪を自分の身に引き受けます。
一方の庄兵衛は日々の暮らしに追われながら、自分の生き方を容易にみてとれません。
どちらが本当の意味で幸福であるのか。
これも難しい話です。
島流しにあう男は全てを受け入れています。
諦めているのでもありません。
これが自分の生き方だとむしろ誇らしい様子さえ見せます。
一方の護送役は、自分の日々の暮らしに対する充実感があまりないのを実感しています。
今のままの人生がこの後も続くことに対する怖れさえ持っているのかもしれません。
考えてみれば、現代を生きている私たちはどうでしょう。
以前に比べれば隋分と便利な暮らしをしていることに間違いはありません。
しかしそれで満足しているのかどうか。
まだ何か足りないものを探しているような気がしてなりません。
ここにはある意味で、森鴎外の問いが宿っているようにもみえます。
どこかで幸せ競争をやめない限り、結局日々の欠落感だけが残るのでしょう。
空しい所業の繰り返しに他なりません。
解決への糸口は何か。
よかったら「青空文庫」で読んでみてください。
短編ですのですぐに読めます。
どこにこの作品のテーマがあるのかを考えるのも楽しいと思います。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。