【森鴎外】名作・舞姫は典型的なモデル小説だった【明治という時代】

モデル小説

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、ブロガーのすい喬です。

高校3年生で必ず習う小説に森鴎外の『舞姫』があります。

舞姫は実に面白い小説です。

何度読んでも不思議な味わいがあります。

教科書的には近代的自我が崩壊する図式を描いた小説と言えるのでしょう。

随分難しい表現ですけどね。

つまりはじめて自分というものを持った青年が、最後は結局国家や家の圧力に潰されていく話です

ある意味かわいそうです。

ドイツに留学などしなければ、自由ということの意味も考えなくてよかったのです。

親が決めたコースを素直に進んでいたら、これほどの苦痛を味わわなくてもよかったからです。

本当の自我がめざめ、真に学びたいことが見えてきたことで、苦しみは倍増しました。

この小説はもちろん創作です。

フィクションですから、その全てが森鴎外自身の話というワケではありません。

それでもやはりそこに明治時代の秀才、森林太郎の影を追うのは当然のことです。

彼の人生の断面を見ないで、この小説を語ることはできません。

だからこそ、授業をしていると実にいろいろな発見があり面白いのです。

小説『舞姫』は留学先の国で薄幸の少女に恋をしたというような単純な物語ではありません。

そこには明治という時代を生きた知識人の苦悩がそのまま凝縮されているのです。

現代ではちょっと想像もつかないような内容です。

それだけ今では国の在り方というものが軽くなってしまったのかもしれません。

なんにもない国家を自分たちで作り上げていかなければならない。

欧米に負けない国をなんとか早急に立ち上げる。

当時のエリート達がどれほど壮大な気概を持っていたかを想像するだけで、ちょっと眩暈がしてきます。

鴎外の遺言

鴎外森林太郎の生き様の中でよく語られる、彼の遺言にも興味がひかれますね。

「余ハ石見人、森林太郎トシテ死セント欲ス」というあの言葉です。

事実、彼の墓には陸軍軍医総監などという階級をあらわした文字もありません。

ただ「森林太郎墓」とあるだけです。

三鷹の禅林寺は駅から歩いて10分くらいのところにあります。

実に簡素なお墓です。

元々は向島の弘福寺という寺にお墓がありました。

向島は彼が上京した際に住んでいた、ゆかりの地なのです。

しかし1923年の関東大震災により東京は壊滅的な被害に遭ってしまいました。

この震災の被害から弘福寺も全焼。

そこで同じ宗派の禅林寺へ移転してきたというワケです。

確かに他の文字は刻んでありません。

斜め前にある太宰治の墓の前にはいつも花があります。

それに比べて鴎外の墓は質素ですね。

EliasSch / Pixabay

1度チャンスあったら出かけてみてください。

今まで生徒に何度も勧めましたが、行ってきましたという報告はなかったです。

ここではじめて太宰治がどれほど鴎外を尊敬していたのかという事実を知るワケです。

それも勉強だと思います。

もちろん鴎外の墓は彼の故郷、島根県津和野にもあります。

こちらにも分骨してあるのです。

津和野藩典医の長男

鴎外が津和野藩の典医の長男に生まれたという事実は想像以上に重いものでした。

かつて彼の実家を見学に行ったこともあります。

元々津和野藩自体が小藩ですが、小さな家でした。

息苦しかったでしょうね。

東京へ遊学し、さらに自由都市ベルリンに赴いたのです。

鴎外が見た風景は、津和野にいては考えられない別天地でした。

それだけに苦しみも増したのだと思われます。

人間には「分」というものがあるのかもしれません。

それを超えてしまうと、むしろ不幸になるような気もします。

どうして石見人(島根県人)である森林太郎でなければならなかったのか。

医者として陸軍の最高レベルにまで達した人です。

そのことを墓に刻んでもおかしくはないはずです。

しかしそれをさせなかった。

わざわざ、そのことを遺書にまでして残したのです。

そこには並々ならぬ決意があったと思われます。

自分は何者であったのか。

アイデンティティの確立に苦しんだのでしょう。

なにがそこまで彼を頑なにさせたのか。

その秘密を解くカギをかつてNHKが放送したことがあります。

それは『舞姫』の中に登場するエリスの実像に迫ろうとする番組でした。

エリスという女性

今までさまざまに言われてきたエリスの正体をほぼつきとめたのです。

それによれば、鴎外がドイツから戻ったその4日後に横浜に着いた15才の女性アンナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルトがその人だというのです。

謎をとくカギはハンカチなどにイニシャルを組みあわせた記号を刺繍する際に使う型金にありました。

ディレクター、今野勉氏の洞察は実に興味深いものです。

その真実を極めるべくドイツに飛んだスタッフの前に、次々と知られていなかった事実が明らかになります。

ルイーゼがなぜ乗船名簿の名前を少し違ったものにしたのか。

わずか15歳の少女が一等船室を使えた理由などを当時の住所録、親の結婚にまつわる教会の証明書、

さらには乗船記録、旅行時の法律などをさまざまな角度から調べ上げました。

それによれば相続した財産により、高額の渡航費もルイーゼの祖父が所有していたアパート10数室の

家賃2カ月分で賄えることを突き止めたのです。

鴎外はおそらくこの少女と暮らしていたものと思われます。

しかし当時の陸軍は外国人との結婚を認めていませんでした。

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それを知っていてもなんとか説得しうると思ったのでしょう。

ところが一番の関門は母親でした。

一時は軟化したそうですが、私をとるのか、あの娘をとるのかといわれ、ついに諦めざるをえなかったのです。

帰国のための旅費なども含めて、森家はまたかなりの借財を抱えることになりました。

この後すぐに男爵令嬢、赤松登志子と結婚。

しかしまもなく破綻します。

鴎外には息子が3人、娘が2人いました。

息子のうち長男は最初の妻・登志子の子供で、後の4人は2番目の妻・志げの子供です。

鴎外が次女を杏奴(あんぬ)、三男を類(るい)としたのはルイーゼの名から取ったと想像されるという意見も興味深いものです。

時代に翻弄され、国家につぶされそうになった森鴎外。

彼が最後に守り得た場所が、唯一、石見人森林太郎というアイデンティティだったのかもしれません。

考えてみれば、人の一生はあまりにも複雑な陰影をおびているものです。

鴎外の小説の中でも『舞姫』は特異な位置を占めています。

今では完全に古典となりました。

簡単にすぐ読めるような文章ではありません。

しかしそこに込められた思いは深いです。

明治という時代を知るには最良の作品です。

今後高校のカリキュラムがかわって文学離れが起こることも予想されています。

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この作品がこれからも読み続けられるのかどうか、瀬戸際に来ているような気がしてなりません。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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