ピカレスク映画の傑作
みなさん、こんにちは。
ブロガーのすい喬です。
今回は少しだけ映画の話をさせてください。
今までに何度も見た映画というのがありますね。
これは誰にでもある経験でしょう。
ある意味で最もナイーブな感性の時代と重なる思い出なのかもしれません。
ぼくの場合、それは何かと訊かれたら、やはり「ローマの休日」でしょうか。
1953年公開の映画です。
今でもたくさんのファンがいます。
アン王女への思いは、見た人それぞれにあることでしょう。
もちろん、主演のオードリー・ヘップバーンの魅力はいうまでもありません。
しかしそれ以上にローマの街そのものが、この映画の主役なのではないでしょうか。
モノクロでもいいからといってロケにこだわったウィリアム・ワイラー監督の真意がよく理解できます。
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やはり現地だけが持っている風や光の情景というものは、他の土地では表現できません。
では「太陽がいっぱい」はどうでしょうか。
全編が南イタリアの風景に覆われています。
海上でのヨットのシーンがすぐに思い出されます。
まさにピカレスク・サスペンスと呼べるでしょうね。
1960年公開、ルネ・クレマン監督の代表作です。
ニーノ・ロータの主題曲もよかったです。
出演はアラン・ドロン、モーリス・ロネ、マリー・ラフォレ。
この作品でアラン・ドロンは一躍スターダムに駆け上がりました
嫉妬の感情
今までに何度見たでしょうか。
なぜなのか。
もちろんサスペンスとしても面白いです。
あらすじはそれほど複雑ではありません。
フィリップには交際相手で婚約者のマルジュがいます。
フィリップはトムを見下しています。
階級社会の色合いを濃く感じます。
このトムの役をアラン・ドロンがみごとに演じきりました。
トムはフィリップの父親からフィリップをアメリカに連れ戻すよう依頼を受けます。
報酬として5000ドルもらえるという約束でやってきました。
しかしフィリップはイタリアで自由な暮らしを続けようとするばかりです。
フィリップが日々散在する金をあてにして、トムは都合の良い「使い走り」のように扱われる存在になってしまいます。
このあたりからトムの中に嫉妬の感情が次第に芽生えていきます。
彼女を持ち、暮らしに困らない資産を使い、さらに立派なヨットに乗って遊び暮らしてるフィリップ。
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それを傍らで眺めているだけのトム。
この2人の差を強く見せつけます。
やがて殺意にかわっていくトムの心の変化を理解してもらうためです。
「太陽がいっぱい」を子細に見ていくと、西欧の持つ入り組んだ階級社会の構造がよく見えてきます。
その中をたくみに生き、なんとか上流社会に食い込もうとしたのがアラン・ドロン演じるトムだと言えなくもありません。
実際、彼の出自は決してめぐまれたものではありませんでした。
肉親の愛情を知らずに成長し、外人部隊などにも入隊したことがあります。
「若者のすべて」で彼を見いだしたのは、監督ルキノ・ヴィスコンティです。
「太陽がいっぱい」の成功でどうしても自分の映画にも出てほしくなったと述懐しています。
「若者のすべて」という映画にすぐ起用しました。
貴族的な風貌をたたえ、つねに階級を意識していた監督によって見いだされたというところに、この俳優の哀しみがあるともいえるでしょう。
海上での殺人
トムは彼女をヨットから降ろすことに成功します。
わざと別の女性の持ち物をみつけさせ、男女のいさかいを起こすようにしむけるのです。
ここからトムが殺人に至るまでが大きな山場です。
ヨットの中での殺人です。
それまでにあまりなかったシチュエーションではないでしょうか。
海が青く水はあたたかいです。
そして空が澄んでいます。
サスペンスはまさにここから始まるのです。
この映画が成功したのはまさにこの部分のリアリズムに尽きるでしょう。
さすがのフィリップもトムの殺意に気づくようになります。
小切手なども隠してしまいます。
しかしトムにとっては海上のこの狭い空間が全てでした。
幸い、ヨットの中ならば目撃者もいません。
なにがなんでも完結させなければならない犯罪だったのです。
フィリップの衣類を勝手に着てはみつかり、それがさらに2人の関係を悪くしていきます。
次々と続く2人のシーンは狭い船の中だけに、緊張感があります。
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やがてついてその時がきました。
フィリップは身の危険を感じ、ポーカーゲームをしてトムにいくらか勝たせようとまでします。
しかしトムにとって必要なものは彼の全財産でした。
トムは隠し持っていたナイフでスキをついて刺し殺します。
フィリップの死体をヨットの帆で包み海に流してしまったのです。
錘をつけて2度と浮かびあがることはないという心づもりでした。
完全犯罪をなしとげたはずでした。
しかしその帆を包み、グルグル巻きにしたロープがヨットのスクリューにわずかに引っかかってしまうのです。
そのことをトムは知らずにいます。
これが最後のシーンに繋がるのです。
階級社会の残像
港に戻った後、トムはフィリップになりすまして彼の財産を手に入れるための手を着々と打ち始めます。
フィリップのパスポートの偽造には、公印の凹凸を粘土で型どりすることでニセの公印を作りました。
それを自らの写真に押すことで、見事に差し替えたのです。
このあたりは見ていてもハラハラドキドキの連続です。
今とは違って、パソコンなどがあるワケではありません。
全てアナログの仕事なのです。
フィリップのサインをそっくり真似るため、スライド映写機を手に入れ彼のパスポートの筆跡を拡大するのです。
壁に貼った紙に映写するシーンは傑作です。
ひたすら練習です。
ついに小切手の現金化までやってのけました。
さらに彼の声色も真似てフィリップになりすまし、電話越しで婚約者のマルジュすら騙すことにも成功します。
トムはさげすまれ、蔑視されていたことへの復讐をフィリップの彼女を手にいれることで回復したのです。
マルジュがフィリップに会いたがれば、彼の使っていたタイプライターでつれない文面の手紙を作成しマルジュに手渡しもします。
フィリップに女ができたから会いたがらなくなったのだ、と思わせることにも成功するのです。
ここはこの作品の第2の見せ場です。
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ついに彼女も手に入れ、トムは資産家の仲間入りを果たします。
もう誰に見下されることもなく、自由に生きていけるのです。
海岸でデッキチェアに寝そべりながら、太陽がいっぱいだと呟くまではよかったのです。
そこに辿り着くまで、フィリップの友人に嘘がバレそうになり第2の殺人まで犯してしまいました。
それでも大金をせしめることに成功します。
やっとのことで南イタリアの太陽を思い切り浴びる生活ができるようになったのです。
しかし後に描かれる劇的な大どんでん返しには、思わず息をのみます。
手に入れたものの全てが、一瞬で砕け散ってしまったのです。
最後に売り払ったヨットを海岸へ引き上げた時のことです。
スクリューの先にはロープが繋がれ、帆に包まれた死体がありました。
ナポリの風景が美しいです。
主人公が市場をぶらつくシーンも殊に印象的です。
魚の頭だけが切られて落ちていたり、エイの顔がアップにされているところなどで、殺した男の死に顔が自然と浮かび上がってきます。
このあたりの映像処理は見事というしかありません。
相手の女性、マルジュが次第に、主人公に愛情を持ち始める場面なども、女心の複雑な内面を見事にみせます。
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マリー・ラフォレの鋭角な演技が次第に柔らかくなっていくくだりは、まさに心の変容を活写しているといえるでしょう。
さらに言うならニーノ・ロータの音楽のすばらしさです。
ヨットのシーンとあわせて、南イタリアの光と風をあますところなく伝えています。
しかしこの作品の成功は、やはり階級意識を忘れては成り立ちません。
ヨーロッパの持つ背後の暗闇に首だけ突っ込んでみたものの、やはり敗北するという結論に、この作品の真実が宿っているのではないでしょうか。
ただの若者の暴走というだけでは、厚みのある映画にはならなかったと思われます。
何度見ても飽きない映画には、やはり何かがあります。
最後までお読みいただきありがとうございました。