【小論文・データ】基本的な数字や事例は記憶してアクティブ状態に

学び

論理で攻める

みなさん、こんにちは。

小論文添削歴20年の元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回はデータや事例の話をします。

小論文が論理重視の試験であることは再三再四ここにも書きました。

まさにその通りです。

日本人の感覚からしたら随分と理屈っぽいなと思うくらいでかまいません。

採点者の脳裏に論理がすりこまれるくらい書き込むのです。

そうしなければ成功しないと考えて間違いはありません。

しかしそれだけでは不十分です。

あまりに論理が先行すると人間はすぐに疲れてしまうのです。

そこで内容をよりわかりやすくする必要が出てきます。

それが例示なのです。

しかし単純に「なぜなら~」で示すのはやめた方がいいです。

文章を書いていると、どうしてもどこかで休みたくなります。

特に日本人は論理に弱い体質を持っています。

自分でなんとかこの状況を切り開きたいと考えます。

しかしここに大きなネックがあるのです。

試験は通常のように自宅や図書館で調べものをしながら文章を書いているのとは全く違います。

その場でネットを使うことなども許されません。

それでいて正確な記述を求められるのです。

まさに現実にコミットしながら小論文を書いているという厳しさがそこにはあります。

固有名詞や数字は常に正確でなければなりません。

悩ましい通過点ですね。

どうしたらいいのか。

何が出るかわからない

テクニックでは乗り切れない難所です。

小論文は何が出題されるかわからないのです。

となると、あらゆる観点から重要なポイントを記憶しておかなければなりません。

わかりやすくいえば、引き出しをいくつもこしらえておくのです。

そこへ情報をプールしておく。

それ以外に方法はないでしょう。

簡単に書きましたが、これは容易ではありません。

代表的な数字というのは歴史でいえば年号です。

特に近代史の中でエポックメークな事件はいつどのような形で起こったのか。

毎年よく出題されるテーマに関してはある程度情報として頭に入れておく必要があるでしょう。

環境問題、少子高齢化、グローバル化、AI関連、教育問題など必ず出ます。

さらにコロナ感染にからんで、基本的な内容などはしっかり頭に入れておきましょう。

情報収集能力がある程度ないとこのような文章は書けません。

苦しいのはわかりますが、どうしても整理しておく必要があるでしょうね。

ただし政治経済に関してはあまり重要視する必要はありません。

小論文では政治に絡むテーマや、経済関係の問題はそれほど多く出題されません。

むしろそのことによって、どのように社会が変化していったのかということの方に重点が置かれるのです。

どうして格差社会が広がったのかということは、元を探っていけば当然、政治経済の問題にいきあたります。

しかしそれを前面に出して文章をまとめろということはあまりないのです。

その格差によって人々の心理的背景にどのような変化が訪れたのかということの方がむしろ重要です。

感覚的な分析ではもちろんダメです。

ある程度社会学的な要素も必要でしょう。

しかし受験生のレベルではそこまで探求することはできません。

次善の策として、その現象が人々の生活をどのように変え、どんな価値観を作り出したのかということが大切です。

価値観の差と格差の問題は、テーマとして大変出しやすいものなのです。

教科書人間になるな

論文というとどうしても優等生的な内容のものが多くなります。

採点していると、またかという呟きがもれてしまうほどです。

論文のすべてをとにかく一般論でまとめた式の文章は書かないことです。

ほとんど評価されません。

いいところ5段階評価の真ん中から下でしょう。

なぜか。

そこに生きた血が通っていないからです。

文章を読んでいると、既視感しか残りません。

どこかで読んだことが散りばめて書いてあるだけなのです。

Free-Photos / Pixabay

つまり刺さらない。

どこを切っても同じ金太郎飴式の文になってしまいます。

採点者はこのタイプの文をたくさん読まされます。

評価はどうしても低くなりますね。

かといって自分の特異な体験を入れればいいというワケではありせん。

例示にはその内容が入るに足る必然性が重要です。

教科書だけを読んで書いた優等生的な文はいくら言葉巧みでも評価されません。

毎年、多くの文章を添削しますがそこから次の段階へ突き抜けられないものが多いのです。

刺さる文章

どうしたら採点者にアピールする文が書けるようになるのでしょうか。

実はこれが1番難しいテーマです。

高校生で特異な経験をしている人がそれほどいるとは思えません。

もちろんあったのならそれも可です。

しかし現実にはそれほどのことがある筈がないのです。

としたらどうするのか。

疑似的な体験でかまいません。

本で読んだこと。

その内容に深く自分が揺り動かされたものであるならば、それはまぎれもない経験です。

あるいは見聞。

実際に誰かから聞いた話。

祖父母の体験まで、自分のものになるのです。

そのためには共感がなくてはなりません。

こんな話もあったというようなことを書くと、すぐに見破られてしまいます。

もちろんテレビでもいいです。

どのような媒体であれ、そこにあった事柄が自分をどう揺さぶったのか。

そのことに着目しましょう。

何もない人。

文章で人を動かすことはできないかもしれません。

論文にそんなものがいるのか。

実はとても大切なのです。

その事実というよりも、そこに起こったことにどう対応するだけの柔らかさがあるのかというところを知りたいのです。

それが伸びしろに繋がるからです。

あらゆる学問は素直な人に宿ります。

現実を直視し、受け入れられる資質を持っているのかどうか。

そこを採点者は見ています。

つねに自らを柔らかくアクティブな状態にすること。

データを正確に把握し、積み上げておくこと。

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その大切さをあらためて考えておいてください。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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