【新国語教科書・検定】某社だけ小説5本がOKの怪【他社本はゼロ】

学び

指導要領の闇

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

いよいよ来年度から高校の国語教科書が変わります。

具体的にどうなるのか。

1年生の必修科目が2単位の「現代の国語」と「言語文化」に区分けされるのです。

今までは「国語総合」4単位でした。

小説を含めた現代文と古文漢文の2分野が合体していたのです。

それが今度は2つの教科書に分かれます。

ちなみに必修科目はこれだけです。

残りは2023年度から始まる「文学国語」「論理国語」「古典探求」「国語表現」になります。

全て4単位で選択科目です。

つまり1週間に4時間のコマがあるということになります。

Tumisu / Pixabay

今までこのサイトの記事でも「論理国語」については隋分書いてきました。

受験生の多い普通科の場合、殆どの学校が「論理国語」を選択するに違いありません。

内容は評論文が主体です。

入試のメインといってもいいですね。

いわゆる文学的な文章は全て「文学国語」で扱うということになるのです。

今まで高2、高3で扱ってきた漱石、鴎外をはじめとした古典に近い日本文学を読む機会がほとんどなくなったといってもいいのです。

4単位ですから、生徒からみたらどれを選択するかはかなり大きなポイントになります。

入試を強く意識する学校では「文学国語」を選ぶ生徒は少ないと思われます。

なぜここへきて指導要領の改訂が行われたのか。

理由はいくつもあります。

最も大きなものはグローバルな論理性を持った若者を育てたいと文科省の方針でしょう。

世界の中で活躍できる人材をつくるためには、日本的な感性とともに、きちんと自分の言葉で相手を説得できることを目指す人が必要です。

理由はこれに尽きます。

読む、聞くも大切ですが、これからは話す、書くという発信する能力に重点を置こうとしているのです。

「現代の国語」が持つ意味

そのための科目がまさに「現代の国語」だといえるでしょう。

「現代の国語」の主な教材は評論文など「現代の社会生活に必要とされる論理的な文章及び実用的な文章」です。

指導要領の解説では「小説、物語、詩、短歌、俳句などの文学的な文章を除いた文章」となっています。

ところが検定を通った教科書の1冊に小説が5つも掲載されていたのです。

第一学習社の「現代の国語」がそれです。

教育現場のニーズが非常に高かったポイントを重視したと同社は説明しています。

検定不合格を半ば覚悟した上で、小説を多く所収したのです。

結果はパスしました。

都立高校でこの教科書を採択した学校が全体の24%を占めたのです。

つまり1年生で最低限の小説を読ませたいという現場の声がいかに強いのかということを証明しているのです。

真面目に文科省の言うことを聞いてバカを見たと他の教科書会社が一斉に抗議をしました。

文科省は事前に「現代の国語」はノンフィクションの科目であり、小説が入る余地はないと説明していたのです。

小説が禁じられていないのならば、是非、入れたかったと考える編集者が多かったと思われます。

特に2、3年になって「文学国語」を選択できない学校の場合、死活問題でもあります。

国語の授業は人間の持つ複雑な内面を掘り下げる作品に出逢う大きなチャンスでもあるのです。

文学的文章とは

どんな作品が第一学習社版「現代の国語」に載ったのでしょうか。

芥川龍之介「羅生門」、原田マハ「砂に埋もれたル・コルビュジエ」、夏目漱石「夢十夜」、村上春樹「鏡」、志賀直哉「城の崎にて」の5本です

原田マハの小説を除けば、残りの作品は今まで「国語総合」に載っていた作品ばかりです。

ところが他の検定を通った別の教科書会社の本に小説は全く掲載されていません。

これは明らかにルール違反ではないかという印象が強くなりますね。

現場ではもう1つの教科「言語文化」も扱います

こちらには小説が何本か入っています。

しかしわずか2単位の中でこの他に古文と漢文、日本語の文法などを教えなければなりません。

小説が数本入っているために、時間数の配分が大変窮屈なのです。

小説の分を「現代の国語」にまわしてしまえば、実質的には従来からあった「国語総合」に近い内容になります。

当初「現代の国語」では新聞や広報誌、インターネット上の文章を扱うことを想定していました。

明らかに次の「論理国語」のための入門編という位置づけです。

しかし小説が5本も入ることで、評論文はかなり少なくなることが考えられます。

科目の持つ意味合いが文科省のイメージしていたものと全く違う内容になってしまう可能性もあるワケです。

小説や詩、短歌などは当然「論理的、実用的な文章」とはいえません。

最初の思惑とは明らかに違うのです。

教科書各社が抗議するのもごく当然なことと言えます。

新課程で「国語総合」の後継必修科目は「現代の国語」と「言語文化」だけです。

それだけに深刻な問題を抱えているともいえます。

言語文化という科目

もう一方の「言語文化」はどうなのでしょうか。

「古典及び近代以降の文章」とされ、小説や随筆、漢文・古文などを扱うこととされました。

わずか2単位しかない中に、多くの出版社は小説を何本か入れています。

「文学国語」は選択科目なのですべての高校生が履修するわけではありません。

従来の「国語総合」は「現代文」と「古典(古文・漢文)」の分野から成り立っていました。

これまでの習慣で「現代文」分野と「古典」分野とを時代別に分けて学んできたのです。

「現代の国語」では現代文の分野を「評論文・解説文」と「文学作品」に分けてしまいました。

そして「文学作品」と「古典」を「言語文化」に入れてしまったのです。

その結果「言語文化」の範囲があまりにも曖昧なものになってしまいました。

「言語文化」の範囲が広くなりすぎたため進学校以外では1年生で「古典」を学ぶ時間が極めて少なくなります。

問題なのは範囲が広くなりすぎた「言語文化」をどう扱うかです。

結論から言えばトップクラスの余裕のある進学校を別とすれば、満足に古典を勉強することはできません。

特に初期段階で文法の基礎を学ばないと、それ以後の勉強が進まないのです。

仕方がないので現場では応急措置として、「言語文化」を「古典」にし、「現代文」をカットするという方法をとらざるを得ないでしょう。

逆に入試を必要としない高校では「言語文化」の中の古典をギリギリまでカットして現代文の小説などをやるという方法も考えられます。

12019 / Pixabay

現場の先生方は、その学校の特色にあわせて、この2つの必修科目の中身をかなり書き換えざるを得ないでしょうね。

そうしないと生き残れません。

ここで考えられることは幾つかあります。

第一学習社の教科書を1つの突破口にして、「現代の国語」に文学を載せる教科書会社が出てくることです。

つまり揺り戻しです。

全てはこれからの流れになるでしょう。

ある程度現状を見ながら、文科省は手綱をどちらの方向にするかを決めるに違いありません。

想像以上に今回のケースは大きな意味を持っています。

最初はほんの小さな針の穴かもしれません。

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しかしそこから溢れ出てくるものの姿は想像以上に巨大なのです。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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