日本人は竹が好き
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今日は「竹」について書きます。
と言っても植物学の話ではありません。
日本人が竹をどのように見てきたのかというテーマです。
突然ですが、みなさん竹はお好きですか。
あまり嫌いな人はいないような気がします。
元々はアジアの温帯・熱帯地域に多い植物です。
地下茎を伸ばしどんどん広がっていきます。
花が咲くこともありますが、極めてまれです。
白い花が咲くと一斉に枯れてしまうそうです。
日本人にとっては実に馴染みのある植物ですね。
しかしなんといっても中国がイメージの代表でしょうか。
水墨画によく竹林の風景があります。
あるいはパンダ。
1番強烈な絵柄ですね。
なぜかヨーロッパやアフリカ、北アメリカには自生しません。
それだけに東洋の植物という感覚でとらえている人が多いようです。
日本ではもっぱら竹細工の材料として利用されてきました。
柔らかくて丈夫です。
竹刀や毛筆などには欠かせないものです。
ちょっと前まで中国では建築現場の足場にも使っていました。
ビルの周囲に竹がびっしりと張り付いている風景をよく見かけたものです。
タケノコもおいしいです。
日本人は好きですね。
パンダは葉と茎を主食にしています。
おいしいのでしょうか。
美しい造形物
竹の美しい風景といえば、京都嵯峨野でしょう。
いつ訪ねても見事です。
鎌倉ならば報国寺ですかね。
1度は訪れてみる価値のあるお寺です。
幻想的といった方がいいのかもしれません。
いわゆる樹木の範疇からは抜け出ているような気がします。
あの真っすぐなフォルムと色。
しばらく見ていると陽が緑の葉に反射して美しいのです。
竹は本当に不思議な造形をしています。
針葉樹でもなく、広葉樹でもありません。
どこか森閑とした静けさをたたえているのです。
あるいは哲学的といってもいいのかもしれません。
中国の七賢人を思い起こせば、そのことはすぐにわかります。
彼らを竹林に招き入れたものは、やはり竹の持つ不可思議な力だったという他はありません。
さらにいえば、どこか宗教的な匂いもします。
禅寺などは好んで、この樹木を植えました。
京都や鎌倉に竹林がなかったら、まったく興ざめです。
風の音
竹にはなにがあるのでしょうか。
風に揺れるあの姿は、他のものでは表現できないような気がします。
同時に葉の音。
一心に揺れてこの世の無常をしきりに伝えようとしているかのようです。
詩人萩原朔太郎は竹を人間の神経になぞらえました。
この感覚もすごいです。
竹の造型が自意識のニューロンに見えたのかもしれません。
光る地面に竹が生え、
青竹が生え、
地下には竹の根が生え、
根がしだいにほそらみ、
根の先より纖毛が生え、
かすかにけぶる纖毛が生え、
かすかにふるえ。
かたき地面に竹が生え、
地上にするどく竹が生え、
まつしぐらに竹が生え、
凍れる節節りんりんと、
青空のもとに竹が生え、
竹、竹、竹が生え。
いかがですか
萩原朔太郎は竹が青い炎だと言いました。
確かに懺悔を呼び込む魔性に似ているのかもしれません。
人は何かをその林の下で告白したくなるのでしょうか。
前橋への旅
以前、朔太郎の詩碑がある前橋を訪ねたことがあります。
その時の文章がありましたので、ここに掲載させてください。
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昭和四年は萩原朔太郎の人生にとって、大きな意味を持つ年でした。
親友室生犀星への手紙には彼の強い決意がにじみ出ています。
「僕はいよいよ生活上の決算をする。本年は著作上での決算をしてしまったからついでに一切を帳じめにして、新しく人生のページを書き出そうと思っている」
朔太郎の家庭は混乱しきっていました。
日々繰り返し続けられるダンス。
そこに入りびたって意味もなく踊り狂う男達。
彼はとうとう妻の稲子を殴りました。
「僕の田舎に行ってる留守の間に、若い男を家に引き入れ、一週間も同宿させていたのである」
離別はあっけないほど簡単に行われました。
もはや家ではなかったのです。
2人の子供達をマントに包んで、生地前橋への旅にたちます。
実生活の破綻、虚無、疲れ。
そういったものが彼の内部でじっとくすぶっていました。
夜汽車の座席は堅く、灯りは暗かったのです。
彼の傍らで眠っている子供の顔はぐったりと疲れ切っていて、生気がありませんでした。
(実家に帰ったとしても、どういう生活があるというのか……)
44歳の朔太郎にとって、喪失の実感は強いものでした。
1人の人間として満足に生きていくことのできない後ろめたさが、彼を責めさいなんだのです。
わが故郷に帰れる日
汽車は烈風の中を突き行けり
ひとり車窓に目醒むれば
汽笛は闇に吠え叫び
火焔は平野を
明るくせり
まだ上州の山は
見えずや
前橋は赤城山の南麓にある古い城下町です。
上州と呼ばれるこの地では、冬、たえず冷たい風が吹きます。
人々は凍りつくような青空と、空っ風の中で日々の生活を営んでいます。
「帰郷」の詩碑は利根の松原の名残りをとどめている敷島公園の中にありました。
堂々とした碑です。
黒い板面に彫り込まれた詩の行間からは、詩人の苛立ちがあふれ出てくるような気さえしました。
朔太郎はしょせん生活人にはなれませんでした。
父密蔵は有能な医師であり、町の名望家でもあったのです。
家は豊かで、何不自由のない生活が約束されていました。
神経質で臆病だった彼は、医者になることもできず、音楽と詩の中に自分の世界をみつけていきます。
マンドリンやギターを爪弾きながら、書斎から茜色に輝く雲をよく眺めていたといいます。
彼は詩作に飽きると、時折前橋公園を訪れました。
松林をふらふらとさまよい歩き、大渡橋を抜けて家路につくのです。
そこは後年『郷土望景詩』に描いた彼の内なる風景でもありました。
彼は故郷に向かう汽車の中で何を考えていたのでしょうか。
上州の山、上州の山と念じながら、車窓を眺める目は冷たく光っていたと思われます。
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最後までお読みくださり本当にありがとうございました。
それにしても竹と神経の相関図にはあらためて生々しさを感じます。
詩人の感性は怖ろしいです。