【豊かさ】スペックゼロのゆとりが格付け社会から降りる最善の方法

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幸せへの願い

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

今回は厄介な人間の心理について少し考えてみましょう。

マウンティングという言葉を聞いたことがありますか。

まさに相手に乗っかることをいいます。

自分の優位性を表すための表現です。

馬乗りになるのです。

人間には自尊心という実に面倒臭い感情があります

もちろんなくては困るんですけどね。

ありすぎると、これが実に世話のやける現象を次々と生み出します。

高校時代に中島敦の『山月記』を習ったでしょうか。

そうです。

あの人間が虎になっちゃうという中国の話を元にした小説です。

李徴という青年があまりに自尊心が強すぎるために、結局優秀であることを鼻にかけ、やがて最後は虎になって終わるという話です。

なんとも悲しくてやるせないストーリーです。

しかし彼は自尊心だけじゃなくて、羞恥心も同時に持っていました。

だからますます嫌われる人間になってしまったのです。

人間は自分の方が優位だと思いたい動物なのです。

IanZA / Pixabay

これはもう仕方のないことです。

そこで私の方が他人よりも幸せであると一方的に格付けしちゃいます。

それをしきりにアピールするのです。

一般的に女性の方が、その傾向が強いみたいですね。

マウンティング女子

この言葉を聞いたことがありますか。

なぜ女性はそうなりやすいのか。

相手のお化粧をけなしたり、着ているものの趣味を貶めたり…。

直接言わなくても、陰にまわって口にする。

女性は「迷う」生き物だからだと考えています。

迷うから、グラつくから、マウンティングをする。

自分の価値がきちんとみえないということも女性の生き方の難しさを象徴しています。

8212733 / Pixabay

働いていれば、地位とか収入などという割合にわかりやすい基準もみえます。

しかし家庭にいたりすると、どこで自分の幸せを測ればいいのかということに悩むのです。

自分がよければいいじゃないかというのは簡単です。

ところがそうはいかないところが、人間の複雑さなんでしょうね。

今の生き方でいいのかどうか。

苦しくなれば、誰かを貶める。

そのことで自分が浮上する。

この図式です。

マウンティングとは、まさにそういう行為なのです。

どうしてこんなことになっちゃったのか。

簡単に言えば比べることが可能な社会になったからです。

誰もが数字に翻弄される世の中になってきました。

学生時代はずっと成績が点数化され、偏差値で輪切りにされます。

今は必修になった道徳にまで成績がつく時代なのです。

細かい観点別などという評価基準まであります。

興味、関心、意欲、態度などといった観点でABCにランク付けされるのです。

さらにいえば、その集大成として学歴なども大きな指標の1つでしょう。

人間は毎日、自分のスペックを書き換えながら生きているとも言えます。

息苦しい時代

「いいね疲れ」という言葉を聞いたことがありますよね。

ツイッター、フェイスブック、インスタグラムにも「いいね」は溢れています。

自分の存在価値を他人が評価するシステムです。

何人のいいねが来たのか。

瞬時に判断できるのです。

ソーシャルメディアが全盛の今日、誰もが「いいね」に翻弄されています。

その「いいね」がまた金銭的な価値を生むとしたら、やはり目の色が変わってしまいますね。

Youtubeなどでもフォロワーが増えると、収入が莫大なものになります。

子供たちが真剣な顔をして、ユーチューバーになりたいという時代なのです。

先日発表された広告料収入の比較によれば、ついにテレビを抜いて、ネットがトップに立ちました。

ネット文化はそれだけの影響力を持ちつつあるのです。

多くのサイトがつねに格付けの情報を流しています。

最近では多くの人がなにか買おうとしたら、まず格付けサイトを訪れます。

上位にランクインしているものから、順番にチェックしていくのです。

価格コムなどは典型的なサイトではないでしょうか。

そこに書かれている商品の口コミは大きな影響力を持っています。

なかには業者がお金を出して自分のところの商品を優位な順位に導くという行為まで横行しています。

誰もが格付けになれてしまっている社会です。

人間に対してもごく普通に行われても不思議ではありません。

飲食宅配の「ウーバーイーツ」をご存知ですか。

現在、配達員の相互評価制度さえあるのです。

注文者と飲食店双方から、つねにチェックされ続けます。

数値化される社会

新しく家を買おうとすると、普通はローンを組みますね。

あの時くらい、自分がどのランクでスペックがどう評価されているのかを感じないワケにはいきません。

極端な話、フリーランサーの場合は信用そのものが著しく低いという現実があります。

競争社会の実態をつきつけられる時です。

普段はそんなことを考えていなくても、社会の裏側ではスペックの格付けが静かに行われ続けているのです。

今回の新型コロナウィルスの件では、政府が休暇をとった人の賃金分を支払うという案件がありました。

その数字を見た人は驚いたのではないでしょうか。

会社員の半分の賃金しかフリーランスの人には支払われないのです。

これが社会の評価です。

格付けに疲れ、「いいね」から降り、さらに高齢化の波に洗われる。

欲望は果てしなくあるものの、誰でもが同じように達成可能なワケではありません。

格差社会の中で生まれついた時から、多くの差が出来上がっているのです。

そこをなんとか潜り抜けて前に出れば、またその先には途方もないくらいの遠くて暗い道が続いています。

野望を実現させるためには相当に無謀なことを行わなくてはならないでしょう。

最近、晩節を汚す人々の姿をたくさん見るようになりました。

男性も連続したマウンティング行動をしているようです。

けっして女性に限った話ではありません。

全てを覚えていないと言い張るのも、多くの金品を受領するのも、形をかえたマウンティングと言えないでしょうか。

他人と競わないという1番の基本をここいらで、じっくりと考えなくてはいけない時に来ています。

無我夢中で戦えば、必ず手荒い行動にでる瞬間があるものです。

何もしないという強い信念を持ち続けることも、今の時代にとっては大切なのかもしれません。

当然苦しい選択です。

しかし人間にとって何が幸せなのかということは、そう単純な話ではありません。

篤農家という言葉があります。

土と一緒に生き抜くという信念をもった農業従事者のことです。

自然の怖さを知っているだけに、彼らはいつも謙虚です。

それと同じ心を持って、スペックゼロを目指すという生き方があってもいいのかもしれません。

もう1度じっくりと考えてみてください。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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