小論文のプロセス
みなさん、こんにちは。
小論文を20年間添削し続けてきた元都立高校国語科教師、すい喬です。
最近はいかがですか。
少し書けるようになってきましたか。
何を書いたらいいのか全くわからなくても、大丈夫。
みんなそこから始まったのです。
今では1時間もあれば、800字くらいなんでもなく書けるようになった人もいるはずです。
どうやったらそうなれるのか。
方法はただ1つ。
基本に忠実にやっていくしかありません。
その基本って何かといえば、いくつかの要素に分けて文章を少しずつ積み重ねていくのです。
最初に問題提起をする。
これは絶対に必要です。
自分がどの方向に向かって進むのかを、みんなに宣言します。
次に自分の考えを書き、その理由をきちんと示し、最後に結論をもってきて終わりです。

geralt / Pixabay
なんだそんなことかと思うかもしれません。
しかし小論文にはそれしかないのです。
このプロセスをきちんと進めば、必ず立派な合格答案が書けます。
読むに耐えない文章は、必ずこの行程のどこかが破綻しています。
そこがどこなのかをきちんと把握できないということは、つまり実力がないということです。
結果として書けないということになります。
採点者はたくさんの答案を同時に読みます。
少しでも他の人より抜きんでているところがあれば、すぐにわかります。
何が違うのか。
それはもちろん、説得力に満ちた方向性のしっかりした文章だということです。
ではどうしたら、そのような文が書けるのでしょう。
それが今回のテーマです。
最後までじっくりと読んでくださいね。
もうあまり時間がありません。
いつまでも明日があるさなんて、暢気なことは言ってられませんよ。
小論文は誰もが教えられる内容のものではありません。
非常に特殊な試験なのです。
それだけに少し勉強すると、飛躍的に上手になります。
トライしてくださいね。
論理の3要素
小論文の要はどこまでいっても論理性です。
これ以外にありません。
なんとなくそう思うというのが最悪です。
こういう答案を読まされると、本当に悲しくなります。
どうしてその結論が出たのかという答えが、なんとなくそう思うでは、この受験生をとても入学させたくはありません。
大学で学ぶことは、全て理性によって支えられる論理の世界です。
「だからこうである」という結論を支えるもの、主張を支えるものは、論理的な説得理由です。
「主張」「データ」「論拠」の3要素がなければ、説得理由が明らかになったとはいえません。
つまりここに主眼を置いて論じていかなければならないのです。
「主張」とは結論、提案や意見、推論までを含みます。
要するに「言いたいこと」という結論です。
この結論はどこから引き出されたのかという理由を問われたとき、次に必要なのが「事実」であり「データ」です。
そんなものが課題文のどこにあるのですかと言っているようではダメ。
事実とデータは、ある時は課題文の中に潜んでいます。
特にグラフや図などから読み取る問題の場合は、これが最大のヒントです。
縦横に使いこなして、そこから結論を引き出すというやり方が最上です。
しかしデータもない、事実もないという時はどうしたらいいのか。
そこにこそ、あなたの実力がからんでくるポイントがあります。
ではどうしたらいいのでしょう。
何を事実として提出するかです。
なんにも思いつきませんという人は即アウトです。
なんでもいい。
自分の経験や、読んだ本の知識や、テレビ、ネットから知り得たこと。
その中で説得力を持つと考えることをなんとか展開することです。
たとえばボランティアのあり方について。
日本人にボランティア意識が薄いという論点なら、なぜかを徹底的に考えます。
どうしても思いつかない時は、自分を深掘りします。
経験はないか。
なぜしようと思わないのか。
した時に感じたことは何か。
何でもいいのです。
自分自身の中を掘って、中を覗いてください。
その時に何かが見えてくるはずです。
他者の心に寄り添うと気持ちが少なくなりつつある。
市民意識の未熟さがある。
キリスト教には慈善の意識が強いが、仏教は比較的弱い。
いろいろな考え方が出てきたのではありませんか。
なんでもいいのです。
自分の中から出てくるキーワードを1つでも2つでも見つけられれば、成功です。
主張を支える理由
次に書くべきなのは理由です。
なぜそう考えたのか。
ここで自分の論理を展開させなくてはいけません。
どうすればいいのか。
一番大切なことは、理由を自分勝手に飛ばしてはいけないということです。
自分に都合のいい理屈だけをこねた文はNGです。
小論文は論理優先です。
つねにこの論理で押して行けば、この結論しかないというところまでいかなくてはいけません。
一見真実らしい文でも、理由を勝手に作り出したものだったらどうなりますか。
読み手が論理的でないという判断を下すことが多くなると思います。
つまり説得理由やデータが欠落している文章です。
省略をすることはありうるでしょう。
全体の構成上、それが必要だということもあります。
そうでないと文があまりにも冗漫になり、ダラダラしてしまうからです。
しかし、ここぞという時に文の最大の柱をいい加減にしたのでは、なんための論文なのかわからなくなります。
だから揺らぐことのないデータと事実が必要なのです。

geralt / Pixabay
絶対にここで論理を飛ばしてはいけません。
事実は大切です。
だからきちんと積み重ねてください。
判断は慎重に
小論文では結論に向かって論理で押すと書きました。
つまり最終章の結論は命です。
ここへ向かうために事実を重ねるのはかまいません。
しかし判断を正確に行ったのかということを、採点者は見ています。
ぐんぐんと事実を積み重ねてやってきた。
文章もなかなかしっかりしている。
これならば、高い評価もつけられそうだとなった時、最後に見るのは、事実と判断の区別です。
事実は誰もが否定できません。
ボランティアの話でいえば、何年に何人がどこへどういう形でボランティア活動に行ったのかというのは事実です。
これは誰にも否定できません。
しかし判断は違います。
ものごとを冷静に見抜く目があれば、その結果として、どのようなことが考えられるのかということです。
ここが基礎になります。
ここが揺らぐと、意見、主張そのものの屋台骨がぐらつくことになります。
相手の質問に対して、たしかにこの結論になると自信をもっていえるかどうかが、文章の強さを象徴します。
説得も可能になるわけです。
逆にいえば、どうしても自信が持てないことは書かないという選択肢もあり得ます。
あまり一人よがりになっていい調子で書いていると、足を掬われます。
必ず正確な認識の元で、文章を書く態度を培ってください。
正確な判断の下、言葉に連ねる。
この作業を続けていけば、必ず立派な小論文が書き上がると信じます。
つらい日々ですが、合格の日を夢見て、頑張ってください。
書いたら先生にみてもらうこと。
それがかなわないなら、自分で読んでください。
助詞、助動詞のミス、漢字の誤りをしてはいけません。
毎日の勉強は正直です。
必ず結果にあらわれます。
勉強を続けてくださいね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。