【バールのようなもの】話し方や書き方の中に知性が滲むという真実

学び

バールのようなもの

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語教師、すい喬です。

今回のタイトルは噺家、立川志の輔がよく口演する落語のタイトルです。

すぐにわかった人は、かなりの「落語通」ですね。

たいていの人はどこかで聞いた表現だと思うに違いありません。

実はNHKのニュースによく登場するのです。

犯人はバールのようなもので、玄関をこじ開けて侵入したといった使い方をします。

そのたびに「のようなもの」とは何かと悩むのです。

拳銃のようなもの、ナイフのようなもの。

みんな同じ脈絡で語られます。

非常に曖昧な表現ですね。

「バール」「拳銃」「ナイフ」ではいけないのでしょうか。

確認をしていないというニュアンスです。

「心肺停止」もそうですね。

確認作業が終わっていない時の常套句なのです。

「の・ようなもの」というのはかつての日本映画のタイトルにもなっています。

残念ながらアマゾンプライムにはありませんでした。

歴史的な名作の誉れが高い作品です。

監督は森田芳光。

志ん魚(しんとと)という前座修行中の青年の生きざまを描いています。

秋吉久美子と伊藤克信の2人がいい味を出してました。

ちなみに夏目漱石原作の「それから」を撮ったのも森田監督です。

松田優作の持つ味わいと、藤谷美和子のはかなげな様子がよかったです。

「家族ゲーム」とあわせて傑作だと思います。

いったい「の・ようなもの」とは何でしょうか。

ニュースのたびに悩んでいます。

小論文

ぼくは本屋さんへ行くと、学習参考書のコーナーによく立ち寄ります。

小論文の参考書には必ず目を通すようにしています。

樋口裕一氏の本がズラリと並んでいますね。

もともとは予備校で小論文を教え、その後大学教授に転身しました。

時流に乗るというのは怖ろしいものです。

明治大学の斎藤孝先生も最初はおずおずという感じでしたが、最近では、なんでこんなに本を出さなくちゃいけないのかという状態になってしまっています。

ここまでくると企画が先なのか、執筆が先なのかわかりません。

ぼくも随分読ませてもらいました。

paulbr75 / Pixabay

わかりやすい文章で的確にポイントが示してあるので、抵抗が全くありません。

樋口氏の本のタイトルの方がもっと直接的です。

『頭のいい人、悪い人の話し方』などというタイトルを見ると、ギョッとします。

なんとも直截的な題です。

論理的な人とバカな人、その話し方の違いはと言われると、思わず手にとって読んでみたくなります。

しかし内容はごくオーソドックスなものでした。

何気ない会話に、その人の知性が現れるというのはあたりまえのことでもあります。

ぼくたちは常に、他人を値踏みして生きています。

これは好むと好まざるとに関わらずといったところでしょうか。

そこでの尺度として、最も大きなものはその人の持つ気配であり、使っている言葉です。

たわいのない世間話の中からでも、その人の人間性を推し量ろうとしているのです。

この話し方はNG

話し方ひとつで、仕事ができるかどうか判断できますからね。

全くくたびれる話です。

そこで筆者はパターンを示しています。

道徳的説教ばかりする。

他人の権威を笠に着る。

具体例を言わず抽象的な話ばかりをする。

さらにはこんな話し方では異性に嫌われるという実例もあげています。

何でも勘ぐる。

優柔不断ではっきりものを言わない。

自分のことしか話さない。

これらを特筆しているのです。

もっと言うと、人望が得られない話し方はズバリこれです。

おべっかばっかりで自分の意見がない。

ありふれたことしか言わない。

正論ばかりを口にする。

ぼくにも随分思い当たる節があり、ちょっと耳が痛かったです。

しかしここに取り上げられたことは誰にも通用するのではないでしょうか。

つまり誰もがバカの1人ということになるのです。

そこから「聞く力」などという言葉も出てくるに違いありません。

こういうちょっと何に見えるとか、最低な人間に見えないためのノウハウなどというハウツー本ばかりを読んでいると、やはり気分が悪くなります。

簡単に読める本は、すぐに忘れてしまいますしね。

人々に余裕がないのか、時代が浅薄なのか。

意見の分かれるところでしょう。

どうしたらいいのか、

その答えがからないというところが、病んでいる時代そのものなのかもしれません。

書き方にも共通点が

この論点は当然、書いたものにも応用できます。

人間は他人の失敗談を好みます。

オブラートに包んで、上手に表現できれば決定的な快作になります。

佐藤愛子さんの本などを読んでいると、実にサラリと自分の失敗談を書いています。

最初の夫との離婚。

次の夫がとんでもない額の負債を抱えたこと。

さらに借金取りが次々にやってくる話。

預金通帳に入ったお金はあっという間に債権者にとられたこと。

どれ1つをとってみても途方にくれるような内容ばかりです。

しかしその一部始終を小説にしたものが、直木賞を受賞したのです。

つまり突き抜けるということですね。

隠すから、その次にまた嘘をつかなければならない。

屋上屋を重ねるということになります。

Wokandapix / Pixabay

『戦いすんで日が暮れて』という小説のタイトルは、借金返済の騒動記です。

やらなくちゃならないことはやるしかないということなのでしょう。

夫の借金をどうして自分がとは考えなかったのです。

翻って、小論文にも同じことがいえます。

逃げ回ってみても仕方がない。

ここまできたら、ぶつかる以外に方法はありません。

世の中は少子化です。

門が広くなりつつあります。

どうしても入りたいとなれば、どんな手でも使うべきです。

推薦入試、大いに結構じゃありませんか。

一気に飛躍してください。

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ここまできたら、「推薦入試のようなもの」ではありません。

なんとしても合格することです。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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