「大事を思ひ立たん人は・徒然草」全てのしがらみから自由になれる日は永遠に来ない

無常観の強さ

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は久しぶりに『徒然草』を取り上げます。

鎌倉時代末期の随筆です。

著者は兼好法師。

内容は全体に平安時代への憧れと無常観が強いです。

ユーモアにあふれたエッセイもかなりあります。

しかしまじめな生き方を説いた章段が多いですね

高校ではかなり勉強したはずです。

何度読んでも飽きることがありません。

なるほど、その通りだとつい納得させられてしまう内容ばかりです。

人間を冷静に観察し続けた人なのでしょう。

本名は卜部兼好(うらべのかねよし)といいます。

出家した後は名前を音読みした兼好(けんこう)を法名としました。

吉田兼好という名前で覚えた人もいるかもしれません。

しかし生前の兼好は自分から吉田を称したことはありません。

そのため、現在では法名だけで呼ぶのが普通です。

本文

大事を思ひ立たん人は、さり難く、心にかからん事の本意を遂げずして、さながら捨つべきなり。

「しばしこの事果てて」、「同じくは、かの事沙汰し置きて」、「しかしかの事、人のあざけりやあらん。行く末難なくしたためまうけて」、

「年ごろもあればこそあれ、その事待たん、程あらじ。物騒がしからぬやうに」

など思はんには、えさらぬ事のみいとど重なりて、事の尽くる限りもなく、思ひ立つ日もあるべからず。

おほやう、人を見るに、少し心ある際は、皆、このあらましにてぞ一期は過ぐめる。

近き火などに逃ぐる人は、「しばし」とや言ふ。

身を助けんとすれば、恥をも顧みず、財をも捨てて逃れ去るぞかし。

命は人を待つものかは。

無常の来たる事は、水火の攻むるよりも速かに、遁れ難きものを、その時、老いたる親、いときなき子、君の恩、人の情、捨て難しとて、捨てざらんや。

現代語訳

大切なことを思い立った人は、やむを得ない事情や、心に引っかかっていることを、まだ本来の目的を果たしていないからといって、先延ばししてはいけません。

「もうしばらく待って、この事が終わって」、「同じように時間がかかるならば、あの事もきちんと処理しておいてから」

「これこれの事は、人から軽蔑して笑われるだろうから、将来何事も問題がないようにきちんと用意して」

「長年過ごしてきたのだから、その事を待ったとしても、時間はかからないだろう。あわてて騒がしくならないようにしてから」

などと思うような場合には、避けられない用事ばかりがますます積み重なって、用事が尽きる際限もなく、実行に移す日も来ないのです。

だいたい、世間の人を見ると、少し物の道理が分かる程度の人は、みんな、この調子で、一生が過ぎてしまうようです。

近くの火事などから逃げる人は、「もうしばらく待ってから。」などと言うでしょうか。

自分の身を助けようとするから、恥も気にせず、財産も捨てて逃げ去るのです。

命は人を待ってくれることがありません。

死がやって来ることは、火や水が攻めてくるのよりも速く、逃れがたいものなのです。

その時には、老いている親、幼い子、主君の恩、人の情けといったものを捨てにくいからといって、捨てないでしょうか。

やはり捨ててしまうのが人間というものなのです。

『徒然草』第59段

主な論点が理解できたでしょうか。

「大切なことを成し遂げようと思うなら、先延ばしにしてはいけない」と説いている部分に関してです。

兼好のイメージとしては「出家」という当時の人にとっては重いテーマを扱いたかったのでしょう。

しかし現代人が読むときにはそのことだけに限定する必要はないです。

この文章は「思い立ったらすぐに行動しよう」という処世訓が示されていると捉えるだけでは不十分です。

主眼はそこにはありません。

むしろ「いつかやろう」と思っているうちに、人生そのものが終わってしまうものだという無常観を説いているのです。

本当に「大切なこと」は、いつまでも先延ばしにしてはいけないのです。

冒頭にある「大事」とは何なのでしょうか。

ここでは「人生をかけてでも成し遂げたいこと」という意味合いで捉えてください。

兼好にとってそれは「出家」でした。

当時の「出家」は、家を出て僧になることを意味しました。

ここでは、むしろ「人生で本当に大切なことを求めるために、世俗的なしがらみを捨てる決断」と考えてください。

その背景には、財産、地位、名誉、人間関係からの離脱があったのです。

自分にとって大きな目的があるならば、なんとしても生きているうちに実現したいのが人情です。

しかし考えれば考えるほど、「条件が整う」瞬間が先へ延びてしまうものなのです。

合理性を追求すればするほど、決断するのは怖いです。

人間は安定した日常を好みますからね。

「えさらぬこと」とは何か

「えさらぬこと」というのは単純に訳すと「避けることができないこと」という意味です。

「今やらなくてもいいこと」は、いつまでも待ってくれるのに、「今やらなければならないこと」は、次から次へと発生するのです。

つまりすべての条件が整う時は、永遠にやってこないというワケです。

難題を1つ解決すると、次の難題がすぐに生まれますね。

家族がいれば、問題は輻輳化していくばかりです。

あくせくしているうちに、一生が終わってしまうものなのです。

それでいいではないかといえば、確かにそうかもしれません。

強く非難する必要もないのです。

それが人間の一生だといえば、それまでのことです。

身近な火事の例はわかりやすいですね。

近くで火事が起きて逃げる人が、「ちょっと待って」などと言うことはありません。

自分の命を救おうと思えば、恥など気にせず、財産も捨てて逃げるものです。

「命」と「財産」は比べようがないのです。

命というものは、人間の都合に合わせて待ってはくれません。

人間は「生老病死」の無常から、逃げられないのです。

こうやって考えてみると、人間には捨てがたいものがあまりにも多いですね。

『徒然草』のこの章段を、「やりたいことがあるなら、今すぐやろう」と読むだけでは、あまりにも理解が浅薄でしょうね。

条件がすべて整う日など、永遠に訪れないのです。

それだけに「大切なこと」を的確に見極める目が必要になります。

人間の命はあまりに短いという現実を、もう一度、自分自身で確かめてみてください。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

タイトルとURLをコピーしました