恋愛の形
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は『伊勢物語』を読みましょう。
おそらく、これほどに美しい歌物語はないと思われます。
今となっては、ほとんどファンタジーの世界です。
今回読む『梓弓』の段は、高校の教科書に必ず載っています。
代表的な章段なのです。
『伊勢物語』は在原業平の一代記という形はとっているものの、実際はそれぞれの話が独立しています。
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おそらく増補され、まとめられて現在残っているような形になったのでしょう。
恋愛や結婚の形は時代によって大きくかわるものです。
昔の人々には、これがまぎれもない男女の関係だったのです。
そういう意味で、物語を追体験してみる価値があるのかもしれません。
結婚のあり方も慣習も交通や通信の便も、現代とは全くと言っていいほど異なる時代です。
この話では最後に、女性が死んでしまいます。
それも悲しい歌を、自分の指の血で岩に書いて亡くなるのです。
『源氏物語』などを読んでも、ほんの少しのことで、女性たちは消えるように現世からいなくなってしまいました。
電話もメールもない時代です。
遠くへ行ってしまった男を待つ身としては、他にどのような術があったのか。
考えてみれば、女性の心細さがよくわかるというものです。
『梓弓』本文(24段)
昔、男、片田舎に住みけり。
男、「宮仕えしに。」
とて、別れ惜しみて行きけるままに、三年来ざりければ、待ちわびたりけるに、いとねんごろに言ひける人に、
「今宵あはむ。」
と契りたりけるに、この男来たりけり。
「この戸開けたまへ。」
とたたきけれど、開けで、歌をなむよみて出だしたりける。
あらたまの年の三年を待ちわびて ただ今宵こそ新枕すれ
と言ひ出だしたりければ、
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梓弓ま弓槻弓年を経て わがせしがごとうるはしみせよ
と言ひて、いなむとしければ、女、
梓弓引けど引かねど昔より 心は君に寄りにしものを
と言ひけれど、男帰りにけり。
女、いと悲しくて、しりに立ちて追ひ行けど、え追ひつかで、清水のある所に伏しにけり。
そこなりける岩に、指の血して書きつけける。
相思はで離れぬる人をとどめかね わが身は今ぞ消え果てぬめる
と書きて、そこにいたづらになりにけり。
現代語訳
昔、男が片田舎に住んでいました。
男は、「宮中に仕えたいので都へ行きます。」
と言って、その女と別れを惜しんで行ったまま、3年間帰って来ませんでした。
女は待ちわびていたものの、たいそう熱心に言い寄ってきた人と、
「今夜、一緒になりましょう。」
と約束してしまったところ、なんとちょうどその日にこの男が帰って来たのです。
「この戸を開けてください。」
と帰って来たばかりの男がたたいたものの、女は戸を開けないで、歌を詠んで外にいる男に差し出したのでした。
3年もの間、あなたの帰りを待ちわびておりましたが、ちょうど今夜、別の男と初めて枕を交わすことになったのです。
と詠んで差し出したので、
幾年月にもわたって、私があなたを愛してきたのと同じように、新しい夫を愛し、かわいがられて暮らしなさい。
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と言って、去って行こうとしたので、女はあわてて歌を差し出しました。
あなたが、私の心を引こうと引くまいと、昔から私の心はあなたを慕い、頼りとしてきましたのに。
と詠んだけれども、男はそのままついに帰ってしまいました。
女はたいそう悲しくて、後を追いかけて行きました。
けれども、追いつくことができずに、清水のある所に倒れ伏してしまったのです。
そこにあった岩に、指の血で歌を書きつけました。
私がこんなに愛しているほどには、私の愛にこたえずに離れ去ってしまった人を引き止めることが出来ませんでした。
今、私の身は今、消え果ててしまうようです。
と書き、そこでついに亡くなってしまったということです。
3年の歳月
この話には4つの歌が出てきます。
そのうち、男が詠んだ歌は1首だけです。
どれかわかりますね。
梓弓ま弓槻弓年を経て わがせしがごとうるはしみせよ、がそれです。
梓弓という表現が何度も出てきます。
これはタイトルにもなっている重要語句です。
梓弓というのは古くから霊を招くために使われた巫具のことです。
実際に使う弓ではありません。
弦には麻糸や樹皮などが用いられ、これを叩いて音を出すことで霊を招くと言われていました。
「引く」という言葉の枕詞によく使われます。
もうひとつは3年という年月です。
どういう意味があるかわかりますか。
3年間、子どもがなく夫が他国へ行って帰らない場合、妻の再婚を許すという法令もあったといわれています。
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つまりそれだけの長い期間ということなのです。
その間、出かけたままの夫を恋い慕う妻の存在がここでは重要な意味を持っています。
都で仕事を得た夫が帰ってきて、「この戸開けてください」と言われたら、あなたならどうしますか。
それもずっとやさしい言葉をかけ続けてくれた別の男と、添い寝をする約束をしたその日の夜にです。
女は3年も他の男に心を許さず、ひたすらに夫を待っていたのです。
あまりにも残酷なシチュエーションですね。
さらにいえば、その男が今、家の中にいるのです。
元の夫への思いを、戸を押さえながら、女は辛い思いでせき止めようとしたのでしょう。
妻の気持ち
夫は女の歌を読み、きっと状況を察したに違いありません。
必死に働き、やっと女と暮らせる見通しが立つようになったのです。
しかしそのことを知らせる手段はありません。
とはいえ、3年もの長い間、放っておいたのも事実です。
元の夫は祝いの歌を残して、静かに退きます。
梓弓・ま弓・槻弓と、弓には色々あるように、私たちの間にも色々ありました。
長年私があなたを愛したように、あなたは新しい夫を大切に愛し、可愛がってもらいなさい。
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女は、じっと我慢をして家の中にいる男を裏切ることはしませんでした。
しかし元夫への愛情は、優しい歌を読んだ瞬間、とどめられなくなったのです。
以前よりも強い愛情すら感じました。
自分の身を引いて女の幸せを願う夫の心の美しさ、気高さに心打たれたのです。
しかし、追いつくことはできませんでした。
清水の脇の岩に悲しい歌を書き残して、息絶えたというわけです。
女の心の変化が目に見えるようです。
味わってみてください。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。