走れメロス、津軽、富嶽百景
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は太宰治の短編小説について書きます。
中学校での定番はなんといっても『走れメロス』ですね。
誰もがよく知っています。
友情というものが本当に成立するのかという、真摯なテーマの小説です。
読後に感想文を必死に書いたのではありませんか。
高校になると、もっと彼の人生に関わった作品を扱います。
その1つが『津軽』です。
多くの読者を得ている『晩年』『人間失格』『斜陽』などとは全く趣きを異にした、味わいのある旅行記です。
『津軽』という作品は、彼が故郷を訪ねた時の様子をルポしたものです。
彼が子供の頃に世話になった、乳母のたけがいる村を訪れるシーンがハイライトです。
教科書にはこの場面がよく取り上げられています。
あいにく、彼女は小学校の運動会へ出かけていて不在でした。
![](https://suikyoblog.com/wp-content/uploads/2019/10/運動会_1571654113-1024x680.jpg)
どうしても乳母に会いたい太宰は小学校を目指します。
そしてついに再会するのです。
その時の彼の心の状態を思うと、言葉にはなりません。
以前、作品についてを記事にしたことがあります。
末尾にリンクを貼っておきましょう。
もう1篇は『富嶽百景』ですね。
彼が井伏鱒二の世話で、結婚した時の様子が見事に描かれた小説です。
「富士には月見草が似合う」という表現が、何度か繰り返されます。
自分のような人間でも生きていていいのだ、という自信が芽生えた時の様子が実に的確に描写されています。
高校の教科書にはこの他に『女生徒』なども所収されています。
これはかなりエキセントリックな作品です。
授業で何度か扱った記憶があります。
清貧譚
今回の『清貧譚』は、中国の清代の短編小説集『聊斎志異』(りょうさいしい)をモチーフにして書かれました。
蒲松齢(ほしょうれい)という作者を御存知ですか。
作家の安岡章太郎がさかんに彼の小説について論じました。
彼の残した作品は怪異小説というジャンルで呼ばれています。
神仙、狐、鬼、化物、人間らしくない人間が登場します。
この世で起きるはずのない事柄が次々と描かれ、不思議な魅力に満ちています。
なぜこのような小説を書いたのか、作者の太宰治自身が、作品の冒頭で説明しています。
この小説は、「青空文庫」ですぐに読めます。
一部分を書き抜いてみましょう。
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以下に記すのは、かの聊斎志異の中の一篇である。
![](https://suikyoblog.com/wp-content/uploads/2022/06/undraw_Outdoor_adventure_re_j3b7-1024x691.png)
原文は、千八百三十四字。
之を私たちの普通用ゐてゐる四百字詰の原稿用紙に書き写しても、わづかに四枚半くらゐの、極く短い小片に過ぎないのであるが、読んでゐるうちに様々の空想が湧いて出て、優に三十枚前後の好短篇を読了した時と同じくらゐの満酌の感を覚えるのである。
私は、この四枚半の小片にまつはる私の様々の空想を、そのまま書いてみたいのである。
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なぜ彼がこの短編を書きたかったのか。
その理由は4枚半しかない作品の中で自分の想像力を、飛翔させたかったに違いないのです。
難しくいえば「本歌取り」に似ているかもしれません。
彼にはさまざまな作品から着想を得た小説が幾つもあります。
これに近い考え方の小説家に芥川龍之介がいますね。
彼は『今昔物語』などの日本の説話集に取材しました。
基本的なスタンスとどちらも同じと考えていいでしょう。
あらすじ
主人公の名前は馬山才之助です。
先祖代々の土地と財産があるためか、30歳になるまで仕事はしていません。
園芸が大好きで衣食住を切り詰めてまで菊に情熱を注いでいます。
他に陶本黄英。
年齢は20歳くらいの美しい女性です。
後年、才之助の妻になります。
弟の陶本三郎。
菊づくりの名人です。
![](https://suikyoblog.com/wp-content/uploads/2020/12/undraw_Weather_app_re_kcb1-1024x739.png)
自分の実力で生活の糧を得るのが彼の信条です。
ここから才之助との間に確執が起こります。
2人が出会うきっかけは、よい菊の苗があると聞いた才之助が伊豆を訪ねた時に始まります。
後からついていきた馬に乗っていたのは、美しい少年でした。
そこからつい菊の成育談義が始まります。
少年は菊に関して実に詳しい知識を持っていました
そこで才之助は、実際につくった菊の花を見てもらうしかないと考えました。
ところが少年は金がないので、仕事を探さなくてはならないと言います。
そこで才之助は生活の面倒くらいはみるとつい請け合ってしまいます。
少年には姉がいました。
菊の世話
少年は才之助のつくった菊に感心することもなく、自分が手入れをしますと申し出たのです。
そのために畑を半分貸してくださいと言います。
才之助は怒ります。
その菊を売って生活をするなどというのは、菊を凌辱することになるというのです。
志高く始めた趣味を、金銭に換えるとは汚らわしいと考えたからです。
結局、畑は半分貸したものの、間に境界を作り、絶縁状態になりました。
やがて秋です。
才之助の畑の菊も見事に咲きました。
しかし隣の三郎の畑には、今までみたこともないような大輪の菊が咲き誇っていたのです。
収穫した菊を三郎は売りに出かけます。
家も普請され、立派になりました。
やがて境界の生け垣は取り払われて、両家は交流を再開します。
しかし才之助は清貧を旨とするあまり、以前のあばら家に住み続けます。
必要なものは妻の隣の三郎のところから妻の黄英がみな運び込みます。
![](https://suikyoblog.com/wp-content/uploads/2023/03/shutterstock_2080546003m-768x512-1.jpg)
意地を張ってはみたものの、寒さとひもじさには勝てず、三郎の家の資産で暮らすようになりました。
ある時、お酒を義理の兄に勧められた三郎は、それを飲みます。
すると寝転んでいるうちに身体が溶けてしまいました。
あとに残ったのは酒の匂いのする1本の苗だけです。
それをを庭に植えた才之助は、黄英とふたりで遊んで暮らすのでした。
なんとも不思議な味わいのあるストーリーですね。
黄英という女性が人間のままでいるということの意味は何なのでしょうか。
その部分の記述は次の通りです。
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才之助は哀しい菊の精の黄英を、いよいよ深く愛したのである。
菊の苗は、わが庭に移し植ゑ、秋にいたつて花を開いたが、その花は薄紅色で幽かにぽつと上気して、嗅いでみると酒の匂ひがした。
黄英のからだに就いては、「亦他異無し。」と原文に書かれてある。
つまり、いつまでもふつうの女体のままであつたのである。
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なんともいえない色香を感じさせる終わり方です。
太宰治の匂い立つようなは文章が、にくいです。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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