【万葉秀歌】日本最古の歌を通じていにしえの人々のおおどかな息吹きを知る

万葉秀歌

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は『万葉集』について考察してみましょう。

じっくりと秀歌を味わって、おおどかな万葉人の心を探ってみたいのです。

万葉集は7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂された、現存するわが国最古の歌集です。

全20巻からなり、約4500首の歌が収められています。

歌のスタイルは短歌と長歌がほとんどです。

その他に文字数が少し違う旋頭歌などもあります。

歌の表記には、漢字の音と訓を用いた万葉仮名が使われました。

この歌集が生まれたのは、まだひらがなのない時代だったのです。

彼らは万葉仮名と呼ばれている特別な表記法を使いました。

漢字を音で読むような工夫をしたのです。

これだけスケールの大きな歌集がかつて存在したということだけでも、特筆するに値するでしょうね。

この歌集の不思議なところは、収録されている人々が実に多彩なことです。

天皇や貴族はもちろん、下級の役人や九州の防人などにまで及びます。

東歌と呼ばれる、都からは遠く離れた関東の人々の歌も収録されているのです。

これほどのものを誰が編纂したのでしょうか。

編纂には大伴家持が大きな役割を果たしたと言われています。

万葉集は今まで時代を超えて、長く読み継がれてきました。

この後に、『古今和歌集』「新古今和歌集』などといった勅撰の歌集がうまれましたが、『万葉集』のダイナミズムを超えるものはないと言えます。

ちなみに現在の元号「令和」も、この中の歌からとられたといわれています。

今回は『万葉集』の中でもの有名な歌を解説します。

飛鳥への旅

万葉人の心が知りたかったら、飛鳥の里を旅することを勧めます。

万葉人の心の風景は自分の目で見ないと、なかなか実感ができません。

大切なのは、この地域を歩くことです。

桜井市周辺の三輪山が眺められる「山野辺の道」と呼ばれているコースです。

そしてできたら大和三山にのぼってください。

畝傍山(うねびやま)、耳成山(みみなしやま)、香具山(かぐやま)がそれです。

頂上に立って、古代の風景を眺めると、同じ大地に立っている感覚をつかめます。

共感が芽生えるのは間違いありません。

古代の人間も現代の私たちと同じように、喜び哀しみの感情を抱いていたことに、むしろ懐かしい気がするはずです。

4500首の中には、実にさまざまなジャンルの歌があります。

旅の歌といっても九州まで出向いた防人の歌を読むと、悲しい気持ちになります。

家族と別れて警備の任についた人々の心が、真に迫ってきます。

恋の歌も、親子の愛情も全てが、人間の心の底にある感情です。

無理に飾ることがなかった分、言霊の力を感じるのです。

高校ではあまり時間をかけて授業をすることができませんでした。

それでも声に出して、リズムを味わうと、感じるものがあったのでしょう。

生徒はいい表情をしていました。

時間があれば、表現の技法なども学んでください。

歌は文字数が少ないだけに、情景や心情を枕詞などに託す例も多いのです。

天皇の歌

『万葉集』の第一巻冒頭にはどのような歌が載っているのでしょうか。

この時代の人たちは『万葉集』ができる200年も前に作られた歌を好みました。

統一国家ができあがった時期だと考えていたようです。

天皇のやさしさに触れ、国家の繁栄を祈ったにちがいありません。

ただしこの歌は天皇自身がつくったものではありません。

農作業に取りかかるとき、五穀豊穣を願って歌われていた伝承歌謡なのです。

しかし味わいのあるいい歌ですね。

ぜひ、大きな声で音読してください。

籠もよ み籠もち ふくしもよ
みぐくし持ち この岡に 菜摘ます児
家告らせ 名告らさね そらみつ 大和の国はおしなべて
吾こそ居れ しきなべて 吾こそいませ
吾こそは 告らめ 家をも名をも

                  雄略天皇

「読み」

こもよ みこもち ふくしもよ
みぶくしもち このおかに なつますこ
いえのらせ なのらさね そらみつ やまとのくには おしなべて
われこそをれ しきなべて われこそいませ
われこそは のらめ いへをもなをも

「意味」

籠もよい籠を持ち、ふくしもよいふくしを持ち、この岡で菜を摘んでいらっしゃる乙女よ身分を言いなさい、名を名乗りなさい。
大和の国には、私が君臨しているのだ。
国の隅々まで私が治めているのだ。
私こそ名乗ろう、私の家も名も。

「ふくし」とは菜をほじって取るための竹のへらのことです。

古来から名前には霊魂が宿るとされていました。

名前を聞くということはすなわち求婚を意味したのです。

雄略天皇は大和政権を治めた人だけに、多くの万葉人に尊敬されてしていたのでしょうね。

好きな歌

大和には 群山あれど
とりよろふ 天の香具山
登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ
海原は かまめ立ち立つ
うまし国そ あきづ島 大和の国は

      
                舒明天皇
「読み」

やまとには むらやまあれど
とりよろふ あめのかぐやま
のぼりたち くにみをすれば くにはらは けぶりたちたつ
うなはらは かまめたちたつ
うましくにそ あきづしま やまとのくには

「意味」

大和にはたくさんの山があるけれど、その中でもとりわけ整った天の香具山に登り立って国見をすると、国原にはかまどの煙があちこちから立ちのぼっている。

海原には、かもめが飛び立っている。

なんと素晴らしい国であることよ。

あきづ島、大和の国は。

神聖な天の香具山から舒明天皇が国見をした時の歌です。

国見とは山などから国土の様子を見る春の農耕儀礼のことをさします。

舒明天皇はのちの天智天皇、天武天皇の父にあたる人です。
     
あかねさす紫草野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る 額田王

「読み」

あかねさすむらさきのゆきしめのゆき のもりはみずやきみがそでふる

「意味」

紫草の咲く野を行き、標を張った(朝廷直轄)の野を行って、野守が見ているではないかしら。あなたが袖をお振りになるのを。

紫草とは、根から紫の染料をとる草でした。

この時代「袖を振る」ということは恋人の魂を引き寄せようとする恋のしぐさとされていたのです。

近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ 柿本人麻呂

「読み」

あふみのうみゆふなみちどりながなけば こころもしのにいにしへおもほゆ

「意味」

近江の海に夕方の波打ち際に鳴く千鳥よ、おまえが鳴くと、心もなえてしまうほどに
遠い昔のことが思われる。

石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも 志貴皇子

「読み」

いはばしるたるみのうへのさわらびの もえいづるはるになりにけるかも

「意味」

岩の上をほとばしり流れる滝のほとりのさわらびが、萌え出る春になったことよ。

いずれもすばらしい歌ばかりです。

歌がストレートですね。

その分だけ、心に強く響きます。

声に出して何度も読んでください。

できたら暗記してください。

すばらしい友になると思います。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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