とりかえばや物語
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は『とりかえばや物語』を取り上げます。
学校で学ぶことはない作品ですね。
ぼく自身、一度も授業で扱ったことはありません。
やはり道徳的な観点から、不適当であると判断されたのでしょう。
作者は全くわかっていません。
不思議なタイトルですが、「とりかへばや」の「ばや」というのは願望をあらわす終動詞です。
意味は「~したい」という意味です。
直訳すれば「取り替えたい」ということになりますね。
あらすじは次の通りです。
関白左大臣には2人の子供がいます。
1人は内気で女性的な性格の男児、もう1人は快活で男性的な性格の女児です。
父は2人をいつもこの2人を取り替えられたらと嘆いていました。

しかしこればかりはどうにもなりません。
ところが、この2人の性格があまりにも正反対なので、男児は姫君として、女児は男君として育てられることとなります。
いかにも創作の匂いのする状況設定ですね
こうした傾向の作品は今でも時々登場します。
一躍ブームになった新海誠監督によるアニメ映画、『君の名は』がそれです。
田舎町に暮らす女子高校生、三葉と、東京に暮らす男子高校生、タキが夢の中で入れ替わる話です。
その他、実写では大林宣彦監督の尾道3部作の1作目にあたる『転校生』があります。
階段から転げ落ちたことをきっかけに、中学生の男女の心と体が入れ替わるという青春映画です。
ご覧になったことはありませんか。
あらすじ
男装の女児である「若君」は男性として宮廷に出仕するや、あふれる才気を発揮し、若くして出世街道を突き進みます。
また、女装の男児である「姫君」も女性として後宮に出仕を始めるのです。
その後、「若君」は右大臣の娘と結婚しますが、事情を知らない妻は「若君」の親友である宰相中将と通じ、夫婦の仲は破綻してしまいます。

一方「姫君」は主君女東宮に恋慕し密かに関係を結んで、それぞれ次第に自らの天性に苦悩し始めるのです。
そして、とうとう「若君」が宰相中将に素性を見破られてしまうことで、事態は大きく変化していきます。
宰相中将の子を妊娠し、進退窮まった「若君」は、宰相中将に匿われて女性の姿に戻り、密かに出産します。
一方「姫君」も元の男性の姿に戻り、行方知れずとなっていた「若君」を探し当てて宰相中将の下からの逃亡を手助けするのです。
その後2人は、周囲に悟られぬよう互いの立場を入れ替えます。
本来の性に戻った2人は、それぞれ自らの未来を切り開き、関白、中宮という人臣の最高位にのぼったという物語なのです。
いかにもという筋立てですが、男女が倒錯するという構図はいつの世にも人をひきつける魅力に満ちているのかもしれません。
現在の言葉でいえばトランスジェンダー型の物語といえるでしょう。
作家の中には、ポストモダン型小説の萌芽と呼んだ人もいます。
本文
いつの頃にか、権大納言にて大将かけ給へる人、御かたち身の才え心もちゐよりはじめて、人柄世のおぼえもなべてならずものし給へば、何事かは飽かぬことあるべき御身ならぬに、入しれぬ御心のうち物思はしさぞ、いとつきせざりける。
北方二所ものし給ふ。
一人は、源宰相と聞えしが御むすめにものし給ふ。
御心ざしはいとしもすぐれねど、人よりさきにみそめ給ひてしかば、おろかならす思ひ聞え給ふに、いとど世になく玉光る男君さへ生れ給ひにしかば、またなく去り難きものに思ひ聞え給へり。
今一所は藤中納言と聞えしが御むすめにものし給ふ。
御腹にも、姫君のいと美くしげなる生まれ給ひしかば、さまざま珍らしく思ふさまに思しかしづくこと限りなし。
上たちの御有樣のいづれもいとしもすぐれ給はぬを、おぼすさまならずロ惜しき事におぼしたりしかど、今は君だちの、さまざま美くしうて生ひ出で給ふに、いづれの御方をも捨て難き者に思ひ聞え給ひて、今はさる方におはしつきにたるべし。
君だちの御かたちのいづれもすぐれ給へるさま、ただ同じものとのみ見えて、とりもたがへつべうものし給ふを、同じ所ならましかば不用ならましを、所々にて生ひ出で給ふぞいとよかりける。
おほかたは、ただ同じ物と見ゆる御かたちの、若君はあてにかをりけだかく、なまめかしき方添ひて見え給ふ。
姫君は、はなばなとほこりかに、見ても飽く世なく、あたりにもこぼれちる愛嬌などぞ、今より似るものなくものし給ひける。
現代語訳
いつの頃だったでしょうか、権大納言であり大将を兼ねておられた方がおりました。
この方は、顔立ちや身体つき、才能や心構えをはじめとして、人柄も世間からの評判も並外れて優れていらっしゃったので、何一つ不満などあるはずのない身の上でした。
それなのに、他人にはうかがい知れない心の内には、物思いに沈む様子が絶えることなくあったのです。
この方には北の方がお二人いらっしゃいました。
一人は、源宰相と申し上げた方の娘でした。
大将の君の愛情は、それほど格別に深いものではありませんでしたが、誰よりも先に見初めて結婚なさった方だったので、決して軽くは思っておりませんでした。

そのうえ、世にも珍しいほど美しく輝くような男君までお生まれになったので、これ以上なく、離れがたい大切な方と思っていたのです。
もう一人は、藤中納言と申し上げた方の娘でいらっしゃいました。
こちらの方にも、たいそう美しい姫君がお生まれになったので、大将の君は、さまざまに珍しく、思い描いていた通りの姿に大切にお育てになること、この上もありません。
二人の北の方のご容姿は、どちらもそれほど優れているわけではなかったので、大将の君は、自分が望んでいたような方々ではないことを残念に思っておりました。
しかし今では、それぞれの子どもたちが、さまざまに美しく成長していたので、どちらの方も捨てがたい大切な存在と思い、今ではそれぞれの場所で満足して落ち着いておられるようです。
二人の君たちの容姿は、どちらも非常に優れていて、まるで同じ一人の人間のように見えるほどであり、うっかりすると見間違えてしまいそうでした。
同じ場所で育っていたならば、かえって不都合だったでしょうが、それぞれ別々の場所で成長しているのは、実に都合がよかったのです。
全体としては、ただ同じもののように見える二人の容姿ですが、若君のほうは、上品で気高く、芳しい香りが漂うような気品があり、そこに優美で艶やかな趣が加わって見えました。
姫君のほうは、華やかで誇らしげな美しさを持ち、いくら見ても見飽きることがありません。
そして、周囲にまでこぼれ落ちるような愛嬌があり、今からすでに、これほど人を惹きつける愛らしさを持つ者は他にいないと思われるほどでした。
非現実的な背景
物語の原型は1180年以前に成立したと考えられています。
その後、後世の人により改作が加えられ、現在の形のものが伝わっています。
この作品は、男性と女性が入れ替わるという非現実的な設定である反面、2人を中心とする人間関係の描写は現実的で複雑です。
現在でも十分に味わい深く鑑賞できるものと言えるかもしれません。
特に「若君」が宰相中将に素性を知られ身を許してしまうシーンは、クライマックスの1つです。
この描写が現在まで命を長らえた要因となったとも言えます。

とにかくかわった物語であると言えますね。
一度は目を通してもいいのではないでしょうか。
この場面では、単に子どもたちの美しさを描いているだけではなく、父親である大将の複雑な心情も描かれています。
大将は、才能、容姿、身分など、世間的には何も不足していない人物です。
しかし、心の中では苦悩が絶えないのです。
二人の奥方は、彼にとって理想的な女性ではありませんでした。
ところが、それぞれの女性との間に生まれた若君と姫君が非常に美しく成長したのです。
そのため、大将は二人の奥方をどちらも「捨て難き者」として大切にするようになりました。
特に興味深いのが、若君と姫君の美しさを対照的に描いている点です。
若君は「気品、優雅さ」の美、姫君は「華やかさ、愛嬌」の美といえばいいのでょうか。
2人の子どもには非常によく似た美しさがあることがわかります。
一方で、性別の違いに応じて、その美の性質を巧みに描き分けているところに、平安文学らしい人物描写の細やかさがあります。
チャンスがあったら、ぜひ作品に手をのばしてみてください。
今回も最後までお付き合いくださりありがとうございました。
