【ありがたきもの・枕草子】清少納言の観察力にはただ脱帽するのみ

ありがたきもの

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

昨日の新聞に、ある高校の先生の投稿が載っていました。

その内容が授業の様子だったので、つい読まされてしまったのです。

『枕草子』の「ありがたきもの」の段を学習していた時のことです。

せっかくだから、自分で「ありがたきもの」を列挙してみようということになったそうです。

この表現の意味がわかりますか。

漢字で書くと「有難きもの」となります。

古文では有ることが難しいものということから「めったにないもの」という意味になります。

現在使われているありがたいも語源をたどっていくと、めったにないから感謝しますという内容になるのです。

生徒たちはいろいろと考えて発表したそうです。

ちょうど選挙期間中だったので、「公約通り実行する政治家」という発言があった時、投稿した先生はどういう態度をとったらいいのか、やるせなくなったと書いていました。

なるほど、これはめったにないものの代表でしょうね。

清少納言の文章はいつも辛辣です

一言でグサリとものの本質を貫きます。

怖いです。

ぼくもこの段は何度も授業で取り上げました。

投稿者と同じように、自分で滅多にないものを考えてごらんと話を展開した記憶もあります。

どんな回答があったのか。

今ではすっかり忘れてしまいましたね。

残念です。

原文

ありがたきもの、舅(しゅうと)にほめらるる婿。

また、姑(しゅうとめ)に思はるる嫁の君。

毛のよく抜くる銀の毛抜。

主そしらぬ従者(ずさ)。

つゆのくせなき。

かたち心ありさますぐれ、世にふる程、いささかのきずなき。

同じ所に住む人の、かたみに恥ぢかはし、いささかのひまなく用意したりと思ふが、つひに見えぬこそかたけれ。

物語、集など書き写すに、本に墨つけぬ。

よき草子などはいみじう心して書けど、必ずこそ汚げになるめれ。

男女をば言はじ、女どちもちぎり深くて語らふ人の、末までなかよき人、難し。

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現代語訳

めったにないもの。

Pezibear / Pixabay

舅(妻の父)にほめられる婿。

また姑(夫の母)に大切に思われる嫁。

毛のよく抜ける銀の毛抜き。

主人のことを悪く言わない召使い。

少しの癖もない人。

容貌、性質、態度がすぐれ、世を過ごす間、少しも欠点のない人。

同じ所に宮仕えしている人で、お互いに気をつかって、少しの隙もなく、気を配っていると思う人が、最後まで欠点を見せないということ。

物語や歌集などを書き写すときに、その原本に墨をつけないということ。

良い本などは、たいそう注意して書くのだが、必ず汚らしくなるようだ。

男女の仲が長続きしないことは言うまでもない。

女同士でも、深く約束をして仲良く交際している人で、最後まで仲の良い人はめったにいない。

人間の本質

この文章を読んでいると、少し怖くなりますね。

彼女の観察眼というのはどこまで鋭かったのでしょうか。

人間は昔から今まで、ちっともかわっていないなと思わされます。

とくに女房達どうしの人間関係は複雑そのものであったろうと思われます。

今のように外の世界との交流があるワケではありません。

宮中の閉じられた空間の中で、生活をするのです。

昔から女性の敵は女性だとよく言います。

神経が細かいですからね。

少しでも規範をはずれた動き方をすれば、すぐ噂になります。

それに尾ひれがついて、また誰かの口の端にのぼるということになるのです。

それだけに慎重にならざるを得なかったこととと思います。

嫁、姑の問題は今も永遠です。

以前に比べれば隋分よくなったとはいうものの、本質は何もかわっていません。

毛抜きなどというのはちょっと意外な気もしますが、昔は眉を揃えるための大切なグッズでした。

眉毛が整っていないというのはだらしなさの象徴ともいえたのです。

主人の悪口を言うとか、癖のない人はいないなどというのは、今も昔も共通ですね。

飲み屋でサラリーマンの話をきいていればよくわかります。

だいたい上司に対する批判です。

癖については完全に落語のネタそのものです。

このあたりはもう誰もが知っている通りです。

欠点

人間というのは厄介なもので、だんだん親しくなるにつれ、その人の欠点がみえてくるものです。

それを良しとしなければ、結局長い付き合いはできないものなのでしょう。

夫婦だって同じです。

元々は他人なのですから、全てがうまくいくなどということはありえません。

それは女性同士でも同じです。

最後まで仲良く友達付き合いをするというのは、それほどに簡単なものではありません。

親しくなれば他の人には言わないこともつい口に出してしまいます。

それが元で関係がこじれるということはよくあることです。

最悪の場合は絶交などということにもなりかねません。

清少納言の時代もそういうことがきっとたくさんあったんでしょうね。

女房同士の確執も激しかったと思います。

彼女が仕えていた一条天皇の中宮定子の家系は次第に没落していきました。

それに比べれば、藤原道長の娘、中宮彰子の家は日の出の勢いです。

当然、その間には目に見えない火花が散ったものと想像されます。

どんな時代にあっても、1番難しいのは人間関係です。

この波をどう乗り越えていくのかということは、生半可なことではできません。

人の悪口を言わないということはとても難しいことなのです。

それだけ他人の批判をすることには蜜がたっぷりとあるのでしょう。

1000年前のほんにある言葉が少しも古びていないことに驚かされます。

「有難し」という言葉の持つ響きをもう1度、しっかりと胸に刻んでください。

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けっしてムダにはならないと思います。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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