消える建築物
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回はかつて読んだ安藤忠雄の本について語らせてください。
建築は隈研吾の時代ですね。
名前はご存知だと思います。
木材をふんだんに使った建築物があちらこちらにあります。
国立競技場もその1つです。
先日訪ねたある私立の小学校も彼の設計です。
内装にたくさんの木が使ってありました。
いかにも柔らかい表情で安らぎますね。
木の質感というのは生きている人間にとって親しみを覚えるもののようです。
隈研吾はずっと以前から今のような建築物をつくっていたワケではありません。
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キッカケは阪神・淡路大震災でした。
それまでの方向性をここからガラリと転換したのです。
一言でいえば何か。
「負ける建築」「消える建築」です。
土地の景観に溶け込む建物をつくろうとしたのです。
独自の価値観に基づく新たな建造物を数多く手掛けていくようになりました。
歴史と戦わない。
場の格調を損ねない。
約2000本のヒノキ材を格子状に組み上げた建築は斬新そのものでした。
くぎを一切利用しないで形をよりシンプルで個性的なものにしました。
日本人は元々自然との対立を好みません。
それだけに受け入れられるまでのスピードが非常に短かかったのです。
エコロジー優先の時代の旗手といえるでしょうね。
破天荒な人
隈研吾のことを考えていると、必ずもう1人の建築家の名前が思い浮かびます。
安藤忠雄です。
集中的に彼の本を読んだ時期がありました。
ある展覧会では偶然、本人が来館しその場で講演を聞くチャンスに恵まれたこともあります。
展示会場に急遽椅子を置き、そこで30分以上、あつく語ってくれました。
新しく開館したばかりの天然照明だけの美術館についての話でした。
4時を過ぎると暗くなるので閉館にするという約束で設計したそうです。
全身からエネルギーが吹きこぼれるようでした。
それ以来ずっと彼の本を読み続けました。
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『建築を語る』もその中の1冊です。
これは東大の大学院で行った5回にわたる講義をまとめたものです。
とにかく破天荒な人です。
人間的な魅力に富んでいます。
最初はよほど専門的で難しいものかと思っておそるおそる読み始めました。
しかし途中からはやめられなくなりました。
もちろん専門の話もたくさん出てきます。
知らない建築家の名前も多く登場します。
なによりも魅力的なのはここに彼の肉声があることでした。
旅の重さ
彼はこの本の中で、若い日々に旅することがいかに大切かということを何度も力説しています。
それも1人で旅をし、考えることの重要性についてです。
黙ってずっと考えるということが、やがて40、50歳になって花開くというのです。
建築事務所を開いてからも最初の頃は、仕事も何もなかったといいます。
そこで適当な空き地を探すと、こんなものを建てないかと地主にかけ合ってみたりもしたそうです。
市や町にも働きかけました。
もちろん、ほとんどは相手にもされませんでした。
それでも中には興味を持ってくれる人がいたようです。
そうした試練を経て、次第に知己を増やしていったのです。
全くの独学で高校しか出ずに建築を始めました。
その無謀さにもあきれてしまいます。
しかし彼の言によれば、学校のような期限のある勉強ではダメだといいます。
本質的な学問は、期間の定まったものではないと述べているのです。
まさか自分が後、東大教授に推薦されるなぞとは考えたこともなかったに違いありません。
それが大した驚きにならないところが、安藤忠雄の面白さです。
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彼は何度も学生に向かって熱く語ります。
ル・コルビュジェに憧れて、アトリエを訪れようとしたこと。
その数ヶ月前に彼が亡くなってしまったこと。
それからヨーロッパ各地を歩き、ギリシャの島に美を見いだします。
ヴェネッチアのすばらしさ、サンマルコ広場の役割などについてずっと考え続けたこと。
古いものを守りながら、そこに新しい感覚を植え付けるヨーロッパの思想の奥深さ。
それと対比することで、より日本的な文化が見えたこと。
マンハッタンに現代の美を見いだしたこと。
これからは使われない箱型建築ではなく、人と共生していく建築を志さなければいけないこと。
次から次へと内容は広がりをみせていきます。
好きだから
何度も何度もスランプに陥り、それでも建築をやめなかったのはやっぱり好きだからです。
そのあたりの様子は『連戦連敗』を読むとよくわかります。
コンペと呼ばれる設計審査に何度応募したかわからないそうです。
いくら出しても落ちる。
落ちるために設計をしているようなものだったとか。
それでも諦めない心はどこからきたのか。
好きだったからです。
他には何もありませんでした。
理不尽なことにいくらつきまとわれても、怒りの感情を忘れずに突き進んだのです。
その繰り返しでスランプを脱出してきたという話も面白かったです。
本の中には彼が作った多くの建築の写真もふんだんに入っています。
ぼくが学生だったら、授業を聞いた後、本当にいろいろなことを考えたに違いありません。
自分にそれだけの熱情が続くのかどうかを自問したはずです。
鉄とコンクリートの膨張率は偶然ではあるもののピタリと一致するのだそうです。
これが一番、ユニークな話でした。
不思議ですね。
彼が得意とするコンクリート打ちっ放しの建築物は、この偶然から生まれたのです。
安藤忠雄の建てるものにはどこか東洋の匂いがします。
小さな頃から見ていた大阪や京都の町並みが頭の隅にこびりついていたからでしょう。
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今に至るまで傑作とよばれる住吉の長屋という名の建築。
水の教会、光の教会。
あるいは六甲の斜面にたてられたマンション群。
全ての窓がみな違う方向を向いています。
現在ここに住む人の9割が外国人であるといいます。
直島や淡路での仕事。
あるいはイタリアでのベネトンの仕事など、どれも大変興味深いものばかりでした。
他にもたくさんの本が出ています。
『建築に夢をみた』という本では唐十郎や武満徹などとの交遊から受けたインスピレーションについても語っています。
若い時の情熱と勉強が必ずいつかは実を結ぶという発言には、何度も頭の下がる思いがしました。
ぜひチャンスがあったらご一読ください。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。