【論語のトリセツ】現代に生きる孔子の教えをチョットだけつまみ食い

孔子はすごい

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回ははじめて『論語』を取り上げます。

毎年、この教材を教えてきました。

しかし自分で一生懸命に読もうと思ったことはありません。

知らないうちに、少しずつ身体の中に入ってきたのかなという印象ですね。

漢文は今や風前の灯です。

私立大学で入試に出題される学校は数えるほどしかありません。

たからといって必要がないなどとは決して言えません。

大切な学問の分野に違いないのです。

入学直後はまず基本を教えます。

レ点や一、二点などをつけて日本語式に読む順序を教えるのです。

生徒はちょっとしたゲーム感覚で楽しんでくれます。

簡単なところは中学校でも勉強していますのでね。

しかしだんだん内容が難しくなってくると、苦手意識を持ち始める生徒も出てきます。

故事成語くらいならかろうじてなんとかなります。

漢詩も細かなルールをやらなければクリアできるでしょう。

やがて文章が長くなり、項羽と劉邦が争う「鴻門之会」などになってくると、厳しいです。

歴史物語なので、ある程度の知識も必要になります。

しかしこのあたりから漢文は本当に面白くなるのです。

それが終わると、突然『論語』に入ります。

哲学の領域に踏み込むワケです。

いかにも中国の書だなと感じる瞬間です。

全員揃って音読し内容を理解していきます。

いかにも漢文の授業風景といえますね。

これくらい豊かな内容の書物はありません。

一生の財産になります。

代表的な文章

最初に『論語』の中で最も有名な文章を読みましょう。

必ず勉強します。

会話の中にもよく出てくる表現があります。

知っていると、豊かな気持ちになれます。

子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩

読みです。

声に出して読んでみてください。

気持ちがいいです。

子曰わく、吾れ十有五にして学に志す。

三十にして立つ。

四十にして惑わず。

五十にして天命を知る。

六十にして耳順(した)がう。

七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず。

現代語訳

先生がいわれた。

私は十五歳で学問に志し、三十になって独立した立場を持った。

四十になってあれこれと迷わず、五十歳になって天命をわきまえるようになった。

六十になって人の言葉をすなおに聞くようになれた。

七十歳になると、思うままにふるまっても道をはずれないようになった。

『論語』を代表する文言です。

「為政篇」の中の文章です。

孔子が自身の生涯を語った言葉としてよく知られています。

現在もこの表現はそれぞれの年齢をいう時によく使われますね。

15歳を志学、30歳を而立、40歳を不惑、50歳を知命、60歳を耳順、70歳を従心と称しています。

聞いたことがありますか。

なかでも特に「不惑」という言葉は実によく使われます。

40歳からはもう迷わないというのが人生の目標になるのでしょう。

しかしその難しいこと。

今と違って人の寿命は短かったのです。

だからこそ、40歳の重みもあったのでしょうね。

今なら何歳のイメージなのでしょうか。

ちょっと考えてみてください。

その教え


『論語』は、孔子とその高弟の言行を、孔子の死後に弟子が記録した書物です。

孔子が自分で筆をとって書いたものではありません。

儒教の経典である経書の一つです。

朱子学における「四書」の一つに数えられています。

儒教の入門書として広く普及し、中国の歴史を通じて最もよく読まれた本の1冊です。

日本でもその読者層の広さは段違いです。

知識人に留まらず、一般の市民や農民の教科書としても用いられました。

寺子屋などでは素読といって、意味もわからない子供たちに読んで聞かせたのです。

一緒に音読することで、儒教の精神を知らずしらずのうちに体得していきました。

孔子は紀元前552年、魯(山東省)に生まれました。

3歳の時に父を亡くし、17歳の時には母も亡くなりました。

孤児として育ちながら勉学に励んだのです。

20歳を過ぎた頃には魯の役人として、出納係になりました。

30歳を過ぎた時には周の都に行って、さらに勉強に励んだのです。

貴族が支配する魯の政治を立て直そうと励みますが、うまくいきません。

それ以降、諸国を遊説して回るようになります。

孔子を慕う弟子が続々と現れ、最終的には3000人もの弟子がいたとも言われています。

仁愛の政治

彼が願った理想の政治は「仁」の治世でした。

人間に対するおもいやりの優しさがあれば必ず世の中はうまく治まると信じたのです。

孔子の弟子たちは孔子の死後、儒家となりました。

死後約400年かけて編纂した弟子たちの記録が『論語』にまとめられたのです。

特に優れた高弟は「孔門十哲」と呼ばれています。

孔子の死後には孟子、荀子といった後継者が輩出しました。

しかしあまりに高潔すぎる思想のため、多くの人々に支持されませんでした。

それでも前漢、後漢を通じた中で徐々に勢力を伸ばしていき、ついに国教となりました。

日本にも孔子の考え方は広く受け入れられたのです。

「仁義礼智信忠孝悌」と呼ばれる8つの徳目が特に高くかかげられました。

『論語』の中にある他の有名な言葉を覚えていますか。

朋遠方より来たるあり。また楽しからずや(学而)

「友人が遠方よりやってきた。なんと楽しいことだろう」というものです。

熱心に学問をしていると、同じ関心をもった友人が必ず遠くからでもやってきてくれるものです。

一緒に勉強ができることはなんと楽しくすばらしいことだろうというのです。

巧言令色鮮仁(学而)

というのもあります。

「こうげんれいしょくすくなしじん」と読みます。

言葉が巧みで外見を装うタイプの人間には、他者を愛する気持ちは少ないものだというのです。

口がうまく人あたりがいい人には、確かに誠実さが足りないようですね。

この他にも有名な言葉がたくさん残されています。

そのうちの幾つかを是非自分のものにしてください。

座右の銘になると思います。

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関連した本を紹介しておきます。

是非手にとってみてください。

『論語』の言葉は現代を生きるあなたにもきっとしみます。

次回以降も続けて記事にしたいと思います。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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