孔子の言葉
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は『孔子家語』(こうしけご)について解説します。
孔子といえば『論語』ですね。
しかし全てがそこに載せられているワケではありません。
漏れた孔子一門の説話はたくさんあるのです。
それを集めたのがこの本です。
後代に蒐集したとされる古書で全10巻からなります。
孔子は紀元前552年から紀元前479年に活躍した、春秋時代の中国の思想家です。
儒家の始祖として知られていますね。
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彼の教えは『論語』におさめられています。
門弟は数千人と言われています。
その中でも十哲と呼ばれた彼の10人の高弟の1人が子路なのです。
原文は短いものです。
ただし漢字だけではとても読めません。
そこでこれにいろいろと工夫をしました。
それを現在の日本語読みにしたのが、書き下し文と呼ばれるものです。
全文をここに載せます。
書き下し文
子路、蒲(ほ)の宰(さい)と為る。
水の備の爲めに、民と与に溝洫(こうきょく)を修む。
民の労して煩苦せるを以て、人ごとに之に一簞(いったん)の食と一壺の漿(しょう)とを与ふ。
孔子、之を聞きて,子貢をして之を止めしむ。
子路、憤然として悦ばず。
往きて孔子に見えて曰く
「由や、暴雨の将(まさ)に至らんとするを以て,水災有らんことを恐るるなり。
故に民と与に溝洫を修め、以て之に備ふ。
而るに民に匱(とぼ)しく餓うる者多し。
是れを以て箪食(たんし)、壺漿(こしょう)して之に与ふ。
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夫子、賜(子路のこと)をして之を止めしむ。
是れ夫子、由(いう)の仁を行ふを止むるなり。
夫子、仁を以て教へ,而も其の行ひを禁ず。
由、受けざるなり。」
孔子曰く
汝、民を以て餓ふと為さば、何ぞ君に曰して,倉を発き以て之を賑(すく)はざる。
而して私(ひそ)かに爾の食を以て之に饋(おく)る。
是れ汝、君の惠み無きを明らかにして,己の德の美を見(あらわ)すなり。
汝、速(すみやか)に已(や)むれば則ち可なるも,しからずんば、汝の罪せらるること必なり、と。
口語訳
子路は蒲の長官に就きました。
水の備えを行おうと,民衆と共に水路の修復を行ったのです。
民衆の苦労が甚だしいのを見て,各人に一つの弁当と、一壺の飲み物を与えました。
孔子はこれを聞いて,子貢にこれを止めさせました。
子路は怒って喜ばず,孔子を訪ねてこう言ったのです。
私は、これから大雨がやってくるので,水害が起こることを恐れました。
そこで民衆とともに水路を修復して大雨に備えました。
すると民衆に飢えているものが多かったので,簞に食べ物を盛り、壺に飲み物を入れて彼らに与えました。
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先生は私にそうすることを止めさせました。
私が仁の行いをするのに、それを先生はなぜ止めるのですか。
先生は仁の大切さを教えておきながら,その行為を禁じました。
私はどうしても承服できません。
孔子は答えました
お前は、民衆が飢えていると思ったに違いない。
それならば、どうして主君に奏上し、倉を開いて穀物を民衆にふるまうように言わないのか。
そうするべきだったお前は君主に憐れみの心がないことを明らかにし,一方自分の徳が大きいことを表わしたのだ。
お前が直ぐに止めればよろしいが、そうでなければ、必ずお前は罰せられるだろう、と。
孔子の忠告と発想
孔子は子路になんの疑いも持っていません。
信じ切っているのです。
だからこそ、失敗をしてほしくありませんでした。
思いついたら前後の見境がなくなる子路の性格をよく知っていたのです。
それだけに無事に仕事をやり終えられるのかどうかを常に気にしていました。
案の定、人々に食事を与え飲み物を出しました。
子路にとってこの行為は「仁」そのものです。
つまり「思いやりのやさしい心」なのです。
孔子はつねに「仁」の心が人間にとって最も大切なものであると説いていました。
それだけに彼は大変心外だったのです。
孔子の考え方は子路とは全く違います。
大局観に立つことが何よりも必要なのです。
それでは孔子の発想はどういうものだったのでしょうか
確かに貧しい人に食事を与えることは大切なことです。
しかしその方法をもっと工夫しなさいということなのです。
全ての人が子路と同じような考えたかをするのかどうか。
なかには真意を理解してくれない人がいるに違いありません。
孔子は最初にそのことを考えました。
根拠は次の2つです。
どうして主君に申し上げて政府の米倉を開き、それで民を救済しなかったのか。
もし自分の意志だけでそれをすると、主君に慈しみの心がないことを明らかに宣伝していると思われる。
まさにこの2点です。
いわれてみると、まったくその通りですね。
個人の資金でやれることなど、たかがしれています。
むしろシステムをきちんとつくって、今後のためになるような道筋を作り出すことが大切なのでしょう。
ここまで読んでぼくはふとグラミン銀行をつくった、バングラデシュの経済学者ムハマド・ユヌスのことを思い出しました。
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グラミン銀行は、貧困に苦しむ人々に無担保で少額の資金を融資して自立を促す銀行です。
融資を受けた農村部の多くの貧しい女性たちが行商、家畜飼育、裁縫などの小規模事業を始めます。
そしてそこからお金を返す。
それが次の人の助けになるのです。
貧困から抜け出すためには、ただ寄付を続けているだけではダメなのです。
自分たちで立ち上がるための、システム作りをする必要があります。
それを下から支えたのがこの銀行なのです。
もしかすると、子路の発想はただその場でお金を与えるだけのことだったのかもしれません。
孔子はそこにシステムを導入しようとしました。
それが実を結び、やがて国力をあげていけば、これにまさることはないからです。
いかがですか。
孔子の発想が理解できるでしょうか。
結局、子路は孔子の説いた方法で、国を治めていくことができたのです。
今回も最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。