【建築家・安藤忠雄】大阪茨木市・光の教会は不可能との戦いだった

安藤忠雄という人

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は建築家、安藤忠雄について書かれたルポ『光の教会』の話をさせてください

この本には「安藤忠雄の現場」という副題がついています。

著者は建築家の平松剛氏です。

今から20年も前に出版された本です。

しかし内容は少しも古びていません。

というより、いつ読んでも人間臭くて実に面白いのです。

なぜか。

そこにたぎる血が通っているからです。

建築設計というのは何もないところに構想だけで建物を作り出す仕事です。

そのエネルギーはどこから出てくるのでしょうか。

一言でいえば好奇心です。

もちろん、お金のために動く建築家もいるでしょう。

しかし安藤忠雄には不思議な反骨精神が宿っています。

工業高校だけしか出ていない彼が苦学して1級建築士の免許を取るまでの話は聞いたことがあるかもしれません。

その後世界を放浪して、たくさんの建物を見ました。

特にル・コルビュジエの建築物に刺激を受けたのです。

日本にある彼の設計した建物といえば、上野の西洋美術館が有名ですね。

20世紀を代表する建築家であるフランス人、ル・コルビュジエのデザインにより、1959年に竣工した歴史的建造物です。

2007年には国の重要文化財に指定されています。

世界を歩いて、安藤忠雄は自分が目指すべき建築の形を見つけたのです。

その対象がル・コルビュジエの建築物でした

安藤忠雄は独学で世界の建築の神髄を捉えようとしました。

教会を設計して欲しい

1976年、安藤忠雄は「住吉の長屋」と名付けた大阪の小さな住宅を完成させ、話題の人となりつつありました。

本当に小さな家です。

延べ床面積がわずかに65㎡。

雨の日には隣の部屋にいくのに傘をささなくてはならないという不思議な家です。

それだけで話題性は十分でした。

1980年には日本建築学会賞を受賞しました。

日本の建築界において最も権威があるとされている賞です。

仕事の依頼はその頃から増え始めました。

次第に名前が知られつつあったのです。

たまたまあるパーティで知り合った新聞記者と建築の話で盛り上がった時のことです。

安藤がある宗教建築を批判したのです。

余計な装飾が多すぎるというのが彼の意見でした。

その勢いで記者が訊ねました。

それならば、「清々とした1つの空間」をあなたの美意識で表現したらどうなるのか。

話はそれからしばらく続き、次第に2人は懇意になっていきました。

やがてその縁で、クリスチャンでない安藤に、新聞記者は自分の所属する教会の建物を依頼することになったのです。

記者はあらかじめ所属協会の牧師と相談し、頼むとしたら安藤忠雄しかいないと決めていました。

qimono / Pixabay

現在の茨木春日丘教会がそれです。

大阪の人ならば、安藤忠雄の名前くらいは知っていました。

しかしその時、牧師はあまり乗り気ではなかったのです。

その話を教会の建築委員でインテリア会社の専務にたまたますると、一気に彼以外に選択肢はないというところまで進みました。

その時も牧師はまだ半信半疑だったのです。

それでも教会設計に対する要望はいくつかにまとめました。

誰がみても教会だとわかる建物であること。

入ってみたくなる建築物が望ましい。

チャペルではなくチャーチと呼べるごく普通の教会にして欲しい。

デザインの善し悪しではなく、礼拝をするための場所が必要だ。

建設のための条件

建築面積はわずかに50坪。

総工費2500~3000万円。

坪単価は50~60万円です。

今から20年前とはいえ、あまりにも無茶な要望でした。

それまで安藤忠雄の設計事務所を訪ねた人はたいてい空振りで帰るのが普通だったのです。

条件が折り合わないのは日常茶飯事でした。

しかしこの無茶な要望を前にして、彼は難しいとただ呟きました。

断らなかったのです。

安藤忠雄の建築家としての血が騒いだのです。

お金がありません。

azboomer / Pixabay

どんなに出しても3000万円が限度です。

私たちの教会をつくってください。

これが伝説の教会ができるきっかけでした。

建築面積は2階建てにしても100坪。

120人が入れる礼拝堂が必要だと施主は訴えました。

光の十字架

この教会には今も見学者が多く訪れるそうです。

数年前、六本木の国立新美術館で安藤忠雄展が開かれました。

この時、美術館の庭に「光の教会」があらわれたのです。

これには驚きましたね。

そこに全く同じ建物を再現しました。

実際、ぼくも行ってきました。

見学に行かれた方も大勢いることだろうと思います。

中に入ってみると、不思議な空間でした。

教会のシンボルはまさに十字架です。

入ると真正面にありました。

スリットが入っているだけの光の十字架です。

安藤忠雄はコンクリートを十字に切ったのです。

開口部を作りました。

最初はガラスも嵌めずに、風が吹き込んできたそうです。

あまりに寒いので、後になってガラスを入れました。

椅子も買えず、工事現場の足場を並べました。

なにもかもが、新しかったのです。

コンクリートは壁の美しさが命です。

型枠を縦横真っ直ぐ正確につくらないと、誤差が生まれます。

木の枠の痕、俗に木痕と呼ばれるデザインに彼はとことんこだわりました。

1989年3月に竣工。

鉄材が予想の倍かかりました。

その赤字も建築会社が全てかぶってくれたのです。

光の教会のスリットにガラスがなかった時。

もちろん冬は寒いです。

しかしそこから洩れ入る光のなんと美しかったことか。

厳粛な自然の命を感じたと彼は言います。

あまりにも低予算のため、何もかもが不可能でした。

コンクリートだけで作り上げるために、鉄材も多く必要になります。

型枠の工事が正確でないと、コンクリートに亀裂が入るのです。

読んでいるうちに、建設会社の人々の熱い思いが伝わってきます。

建築の素人にも非常に興味深い内容です。

施主、設計者、施工業者それぞれの思惑が交錯しています。

吹雪の夜、コンクリート打設後の保温シートが吹き飛ばされないように朝まで手で押さえた社員の話はすごいです。

駆けつけて協力した社長もすごい。

信じられない話ばかりです。

しかし全てが実話なのです。

熱い連帯感のなせる業そのものですね。

光の教会は安藤忠雄が世に問うた、初期の代表的な建築物です。

チャンスがあったら是非、訪れてみてください。

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それがかなわないのならば、この本を読んでみていただきたいです。

建築にはロマンが必要だとしみじみ感じます。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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