「町田高校小論文」最善の手を求め藤井聡太名人は沈思黙考した「AIの時代」

小論文

沈思黙考

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

AIの時代に入ってかなりの年月が過ぎましたね。

ChatGPTなどの開発ぶりをみていると、驚かされることばかりです。

昨年の技術がいつの間にか新しいバージョンに取って代わられ、それもすぐに改良されて、さらに次の段階に入っていきます。

この先、人間には何ができるのでしょうか。

ぼく自身、正直にいえば、1年ほど前はAIそのものを甘く見ていました。

人間の能力の方がかなり先にいっているという実感があったからです。

もちろん、記憶に関してはとてもかなわないという感触はあります。

しかし創造力などの点では、格段に人間の方が進んでいるという自信がありました。

ところがです。

昨今はそれも危ういような気がしてきました。

人間が培ってきたさまざまなノウハウを一度覚えたら忘れないという、生成AIの能力はとてつもないものです。

ブログなどを書いていると、全文を生成AIで書き終えることができるなどという、信じられない事実を見かけます。

さらに英会話のレッスンや画像の生成なども可能になりました。

技術が進めば、さらに複雑なことが可能になるのは明らかです。

これから先、人はどこへ進めばいいのか。

消えていく仕事が増えることも明らかです。

しかしAIと人間の協働関係が崩れ、バランスの均衡が失われた時、どんな現実が引き起こされるのか。

想像するだけで怖ろしくなります。

令和6年度に行われた都立町田高校の推薦入試には、まさにコンピュータと人間との共存に関する文章が出題されました。

計算だけをしていた時代のコンピュータはもはや過去のものです。

課題文は次の2題でした。

そのうちの1つが朝日新聞の社説です。

もう1つが外山滋比古著『思考の整理学』でした。

今回はそのうちの前半に提出された将棋に関する社説を掲載します。

主題は藤井名人の将棋に対する態度を、時代の流れとの関係で説明したものです。

課題文

将棋とは、静けさと沈黙のなかにある戦いだ。

歴史的な偉業がかかった大一番でも、大観衆の歓声やざわめきとはまったく無縁の世界である。

新緑の信州。

せせらぎと鳥のさえずりだけが聞こえる小さな和室で、20歳の藤井聡太新名人が誕生した。

史上最年少記録を40年ぶりに塗り替え、2人目の七冠も合わせての達成だ。

藤井新名人は終局後、「持ち時間9時間(の対局)は初めてのことで、その中でしっかり考えて指すことができた」と述べた。

こともなげだが、内実は並大抵のことではないだろう。

棋士2人は37センチ×33センチほどの小さな将棋盤を挟み、言葉を交わすことなく相対した。

2日間にわたる長丁場で外部との連絡も絶たれる。

1日目の対局が終わり翌朝の再開までの間もたったひとりで、黙して考え続ける。

あえて考えない場面があるとしても、それも含めて自己との対話の時間といえるだろう。

ひとつの局面で平均約80通りの可能性があると言われる将棋において、次の一手を選ぶための長考はときに数時間に及ぶ。

結果を誰のせいにもできない。

棋士たちはそんな営みを日々繰り返している。

一般の日常生活では縁のない、現代社会において異形の行いだ。

史上最年少名人の座を譲った谷川浩司十七世名人は「最善の一手はたやすく発見できるものではない、ということを十分にわかっている」のが藤井さんの強さだと書いている。

新名人本人も、過去にこう発言した。

「将棋は一人で考えて指す孤独な闘いですけれども、それを例えば合議制でやったら強くなるかというと、たぶんそういうことはないんです。一人で考え抜いたからこそできることも、やはり多いと感じます」

沈思黙考が独善に陥らないのは、将棋自体が相手との対話だからでもあるだろう。

今回も、19年間タイトル保持を続けた渡辺明前名人との盤上の会話があってこその名勝負だった。

SNS上では反射的に発せられる言葉が四六時中飛び交い、動画は早送り再生され、生成AIが考え事まで大幅に代行してくれる時代である。

「最善の一手」を求めてひとり黙して考え続けてきた棋士たちに、学ぶべきことがあるのではないか。

コロナ禍で人に会うことが減り、なにげない雑談や議論の大切さに注目が集まった。

しかし一方で、最後は自分で考えて決めるという自覚を手放さないこともまた重要だろう。

ひとりでじっくりと考える時間を持ち、相手が考える時間も受け入れる。

活気ある日々を取り戻しつつある今、沈黙の意義にあらためて思いをはせてみたい。

設問

「沈思黙考が独善に陥らないのは、将棋自体が相手との対話だからでもあるだろう」についてその理由を書きなさいというのがこの文章の後に示された問いです。

後半の論文を書くための糸口となる文という位置づけなので、字数はごく少なく100字です。

ちなみに次の問いは「これからの時代にコンピュータやAIなどの機械と人間が、互いの強みや特徴を生かして共存するため」に大切なことはなんですか。

400字以内で書きなさいというものです。

人間の持っている強みが、ここでのキーワードでしょう。

冷静に人間とコンピュータとを比較しなくてはいけません。

一般にコンピュータは次のようなことが得意です。

➀数値化されていることを推論

②厳格なルールにおける判定機能

③インプットしたデータに基づいた単純作業

その反対に苦手なことは何か。

➀相手の気持ちを汲み取る

②少ないデータで推論

③合理的でない判断を下す

ここにあげた長所と短所をじっくり見比べてみれば、今後人間が進むべき方向もみえてくるはずです。

人間の進む道

ルーティン作業を記憶し、ビッグデータに基づき分析した結果を、誤りなく遂行するということにつきるのではないでしょうか。

どれほど自然なアクセントで語りかけることができたとしても、それはデータの分析結果そのものなのです。

その結果、「ハルシネーション」と呼ばれる現象を引き起こすこともあります。

AIが事実に基づかない情報を生成することを意味します。

まるでAIが幻覚(ハルシネーション)を見ているかのように、事実とは異なる内容を出力するため、このように呼ばれているのです。

ChatGPTのような会話型AIサービスでは、どのようなデータに基づき回答されたのかが分からない場合が多いです。

それが真実なのか嘘なのか、ユーザーが判断することは事実上、困難です。

人間も同様のことをしていると言われてしまえば、それまでのことです。

しかしAIと明らかに異なるのは、人間は数少ないデータでの推論を長い時間をかけて行うことができます。

そこから明らかに合理的でない判断を下すことも可能なのです。

もちろん、無謀な結果に陥ることもあるでしょう。

しかし、それ以外にAIに勝つ方法はもう残っていないのかもしれません。

沈思黙考の果て、「最善の一手はたやすく発見できるものではない」という当たり前の現実を踏みしめていく覚悟は、人間だけのものなのかもしれません。

それくらいのことは未来の生成AIなら、軽くこなしてしまうと言われれば、なんとも返答のしようがありません。

確かにそうかもしれないからてす。

しかしもしかしたら、そうでないかもしれない。

藤井名人の強さの秘密は、そのわずかな隙間に全力を注ぎ、あらゆる可能性にかけているという事実に尽きるのではないでしょうか。

これからの時代に最も大切なことはなにかといえば、人間もAIも誤りを犯す可能性があるということです。

ほんのわずかな判断のミスが、次の核戦争を導き出すかもしれません。

それでも「最善の一手」にかけて、神経を研ぎ澄ます覚悟が、人間の行動にはあるという信念を持つことではないでしょうか。

そこに向けて、論文を書く必要があります。

そうでなければ、問題の核心が見えてきません。

400字で文章をまとめるのは大変なことです。

しかしトライしてください。

大変にいい問題です。

そのアウトプットの中にあなたの実力が全て透けて見えるはずです。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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