【産経富山休刊】紙の新聞がすべて消えてしまう日【毎日新聞も県内配送中止】

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産経新聞富山休刊

みなさん、こんちには。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今後、新聞はどこへ行くんでしょうね。

朝刊だけは読んでいる人も、夕刊はほとんどとっていないようです。

かつては、同じブランドの新聞を朝夕、読んでいたものです。

今ではほとんど考えられなくなりました。

産経新聞が今日、9月末で富山県内の発行をやめると発表しました。

サンケイスポーツ、夕刊フジも廃止です。

本当に新聞はどこへ行ってしまうのでしょうか。

今日の新聞にあったニュース欄はごく小さなものでした。

もう廃刊になることをニュースにする価値すら、なくなったのかもしれません。

原材料の高騰くらいは誰でもが考える理由です。

さらに輸送コスト、人件費と続けば、なるほどと納得もできます。

しかし1番の問題は購読数の減少でしょう。

いくら経営を合理化しても、こればかりはどうにもなりません。

毎日新聞も9月末で富山県内での配送を休止するそうです。

自宅に届かなくなります。

当然、さらに購読者数は減るでしょうね。

日本の新聞が特異なのは、駅などで買う外国のケースと違い、各家庭に配布されるところにありました。

雨が降ろうと、風が吹こうと、朝早く玄関まで届けてくれたのです。

新聞奨学生や配達員に頼りながら、なんとかここまでやってきました。

しかしもう無理です。

ネットに読者をとられる

新聞の購読者をネットにとられてしまいました。

伝達そのもののスピード感が圧倒的に違います。

仕方なく、電子版などの宣伝をどの新聞社もかなり大規模に行っています。

少し前は、購読者減が特に地方紙で目立ちました。

しかし今では全国紙が主戦場です。

とにかく広告が入らないのです。

仕方なく、広告スペースを自社の出版物や催しものの案内で埋めてきました。

しかし現在は、それもかなわなくなりつつあるのです。

テレビなどのマスメディアに投入された広告宣伝費は、ネットにうつりつつあります。

他には、配達員不足も大きな理由ですね。

なんとか夕刊の廃止だけで逃げ切ろうとしたものの、それもできなくなりつつあります。

これから新聞はどこへ行くのでしょうか。

1997年には5400万部を記録した新聞の総発行部数は、急速に減少しました。

2022年に3,000万部にまで落ち込み、44%もの減少になったのです。

日本の新聞は高度経済成長期の1966年に、3000万部の大台に乗りました。

その後、1990年代末には5000万部を超えます。

この頃が全盛時代でした。

しかし、そのあとは部数減がずっと続いています。

一般紙は3000万部台を割り込み、はるか以前の水準にまで落ち込むことは必至です。

なんとかここまで持ちこたえてきた背景には、コロナ禍があったとも言われています。

皮肉なことに正確な情報を、新聞に求めたという背景もあったのです。

しかしそれも再び、減速の気配です。

ここへきて、読者の「紙離れ」はとどまるところを知りません。

識者はいいます。

あと5~6年で、今の状況は最終局面を迎えるのではないか。

販売店も減少

購読者減少の影響は販売店にも及んでいます。

人件費などのコストアップが経営を直撃しているのです。

さらに折り込み広告の収入が落ち、新聞販売店の倒産、廃業が増えています。

2023年度の新聞販売店の倒産は39件(前年度比56.0%増)でした。

2014年度の30件を上回って30年間で過去最多を記録したのです。

全てが消滅型の「破産」でした。

もともと、零細型の販売店が多いのです。

コロナ後の巻き返しは難しいのではないでしょうか。

ちなみに大阪日日新聞が、昨年の7月末で休刊になったのはご存知でしょうか。

ここへきて、全国紙にも大きな影響が出始めています。

最も権威があると言われている日本ABC協会の資料によれば、全国紙の発行部数は次の通りです。

資料は22年上半期のものです。

889520 / Pixabay

それによれば朝日新聞、約430万部、読売新聞、約686万部、毎日新聞、約193万部、日本経済新聞、約175万部、産経新聞、約102万部です。

新聞の総発行部数は現在、1年間に約200万部ずつ減っていると言われています。

このままいくと、いつ破綻してもおかしくはないですね。

かつては800万、900万という読者数を誇っていた大新聞が、ものすごい勢いで購読者数を減らしているのです。

やはり理由が気になります。

ネット主導の時代と呼ばれて久しくなりますが、その影響があらゆるところにジワリと押し寄せているのがよくわかります。

新聞の購読料は1か月、4000~5000円前後です。

それだけの費用を出すだけの価値があると人々は考えているのでしょうか。

今はスマホをみれば、すぐ新聞社の速報をチェックできます。

「なくても困らない」という意見を無視することはできないでしょうね。

新聞で活字を読むことに対する、負担感もあるに違いありません。

ニュースはスキマ時間で読むというのが、習慣になってしまっているのです。

新聞の本質

新聞は広い紙面の中に、多くの情報がびっしりと詰まっています。

それが実感できない限り、これからも読者数は減っていくでしょう。

ぼく自身、かつて新聞協会と提携して、「NIE」という授業をしたことがあります。

耳にしたことがありますか。

「NewsPaper in Education」というのが正式名称です。

アメリカが発祥の学習形態です。

授業のたび、数社から新聞を生徒数分配布してもらい、それをもとに学習するというものです。

楽しかったですね。

ただし授業展開後のまとめを、どうファリシテートするのかについては悩みました。

新聞は校閲がしっかりしていることもあり、安心して使うことができます。

広告、コラム、記事などに分けて、どこに何がどのように書いてあるのかをチェックしていくのです。

それを最後にまとめあげ、何か発見があればそれを互いに学びあうというのが、基本的な方法です。

最近は新聞をとっていない家庭が多く、どう読めばいいのかを最初に教える必要がありました。

それでもやっただけの効果は確かにありました。

読者の声の欄などにも投稿し、何度か掲載してもらったこともあります。

今後も新聞の役割が消えてなくなるとは思えません。

しかしその発行形態も含めて、大きな転機にきていることはまちがいないのです。

ネットはものすごい力を持っています。

ただし、正確な校閲部門が存在しないことの問題もあります。

大きな紙面の中にさまざまな気付きをもたせる機能は、新聞の持つ大きな武器です。

今後、どう変化していくのかということについて、じっくりと考えてみてください。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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