鹿政談
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は人情噺を扱います。
鹿政談という落語です。
このタイトルを耳にしたことがありますか。
ぼく自身、何度か高座にかけたことがあります。
難しいですね。
覚える内容が実に細かいのです。
固有名詞だけでなく、いろいろな表現をきちんと頭に入れなくてはなりません。
というより、腹に入れる必要がありますね。
夢の中で勝手に出てくるくらいでなければ、とてもお客様の前ではできないのです。
落語とはそういうものです。
自宅できちんと喋れたからといって、それでよしとするものではありません。
高座にあがり、特殊な緊張感と雰囲気の中でうまく話せて初めてスタートラインに立ったということになります。
そこから何十年も同じ噺をして、次第に磨き上げていくのです。
落語は実に息の長い芸能だと言えます。
『鹿政談』は元々は講釈ネタです。
講談の世界で長く語られてきました。
最近では講談師、神田伯山が好んで高座にかけています。
Youtubeにも動画がありますので、参考にしてみてください。
しかしこの噺が多くの人に知られるようになったのは、やはり落語に移植されたことが大きかったと思われます。
東京ではなんといっても6代目三遊亭圓生、上方では3代目桂米朝のをお勧めします。
元々が上方の噺なので、柔らかな響きが好みだという人には、米朝でしょうか。
京都と奈良の名物
この噺の枕によく使われるのが、京都と奈良の名物です。
これにはいくつかの例があります。
大筋は似ていますので、ご紹介しましょう。
それぞれの土地の味わいが出ていて、ぼくのとても好きな導入部分です。
奈良は「大仏に鹿の巻き筆奈良晒(さらし)春日灯籠町の早起き」
京都は「水壬生菜(みぶな)女染め物針扇お寺豆腐に人形焼き物」
いかがでしょうか。
奈良が少しかたいのに対して、京都は柔らかいですね。
実は奈良の中にある「町の早起き」がこの噺の最も大切なテーマになる部分と重なります。
なぜ、奈良では早起きが名物なのか。
実は鹿との関係からくるという話を枕でするのです。
導入部分としては、恰好のものになるワケです。
ポイントは奈良の鹿がどういう理由で、これほど大切にされているのかという話です。
春日大社の祭神であるタケミカヅチノミコトは茨城の鹿島神宮から神鹿に乗ってってやってきたと伝えられているのです。
そのため、奈良の地で鹿は神の使いとして古くから手厚く保護されてきました。
今ももちろん、大切にされてはいますが、江戸時代は叩いただけでも罰金、もし殺したりしたら、故意か過失を問わず、死刑でした。
それも穴を掘って石子詰めという名の死刑に処せられたのです。
この時代背景をある程度説明してから、本編に入るとわかりやすくなります。
それでは、なぜ早起きが奈良の名物なのか。
鹿が自分の家の前で死んでいたら、重罪に処せられるからです。
したがって見つけたらすぐ、隣の家にその死骸を引きずらなくてはいけません。
つまり鹿の死骸が横たわっているかどうかを確認するためには、誰よりも早起きをする必要があるのです。
これが奈良の名物などというのは、少し悲しい話ですが、誰も死罪などなりたくはありません。
あらすじ
登場人物は奈良三条横町で豆腐屋を営んでいる正直者の与兵衛です。
いつものように早起きをして、豆腐を作り始めていると、外で音がします。
大きな犬が「キラズ」(おから)の桶に首を突っ込んでむしゃむしゃと食べていたのです。
与兵衛は何度も追い払おうとします。
しかし犬は動こうともしません。
そこで手近にあった薪を投げ付けると、眉間にあたり犬はそこへ倒れこんでしまいました。
よく調べてみると、倒れたのは犬ではなく鹿だったのです。
慌てて女房を呼んだものの、既に手遅れです。
正直者の与兵衛は隣の家に引きずることもせず、事件はすぐ明るみに出ました。
ここまでが前半です。
当時、鹿を担当していたのは鹿の守役の塚原出雲と、興福寺の番僧、了全の2人でした。
両人の連名で届け出た結果、すぐに裁きが始まります。
担当する奉行の名前は、演者によってかなり違います。
根岸肥前守、松野河内守などの例が多いようです。
このままでは豆腐屋与兵衛を死罪にしなくてはなりません。
そこで何とか命を助けてやろうと思い、与兵衛にいろいろとたずねてみるものの、与兵衛はすべての質問に正直に答えてしまうのです。
奉行は、部下に鹿の遺骸を持ってくるように命じました。
その時の台詞がこれです。
「これは鹿ではない、犬だ。鹿には角がなくてはならない。しかし、これには角がないではないか。願書は差し戻しといたす」と裁きました。
守役の横領
同じ町内の人達もみな、これは犬だと叫びます。
ところが、鹿の守役の塚原出雲が異議をとなえ、鹿の角がどのようにして落ちるのかを滔々と述べ立てるのです。
「鹿は毎年春、若葉を食しますために弱って角を落とします。これは鹿に相違ござりません」
ここで奉行は鹿の判断は一時保留して、鹿の餌料を着服している事実を語ります。
ここが1番の見せ場ですね。
腹の座った奉行の目の確かさを強調するシーンです。
毎年幕府から下されている鹿の餌料は三千両あり、鹿の腹が満たないわけがないというのです。
それを着服し、高利で貸しているという話があるが、と塚原に迫るのです。
そこまで奉行の目が届いていたのかを知らずに、反論した鹿の守役は、慌ててこれは犬に相違ございませんと頭を下げます。
しかし角が落ちたような跡もあるぞと逆に奉行に攻め立てられ、これは腫物の跡ですと弁明します。
このくだりは、塚原の慌てた態度と、奉行の堂々とした様子が対比的に描かれるところです。
犬か鹿かと聞かれた時、「しかとはわかりません」とか「犬鹿蝶」などいうシャレを言って笑いをとります。
少し力の抜ける瞬間ですね。
結局、死んだのは犬ということで一件が落着し、与兵衛は無罪となります。
無事放免となって奉行に呼び止められ、口にする最後の台詞がサゲになるのです。
「与兵衛、斬らず(キラズ)にやるぞ」
「マメで帰れます」。
「斬らず」と「オカラ」の上方表現、キラズが同音異義語になっています。
「マメ」というのも「達者」という意味の言い替えです。
それぞれ豆腐屋が大豆を扱っていることに引っかけたオチです。
鹿がいかに大切に扱われていたのかということとあわせて、最後に気持ちのいい終わり方になっています。
しかし表現や内容を正確に覚えていないと、この噺はできません。
俗にいう、トリネタの一つです。
真打が1番最後に演じる大きな噺の1つなのです。
春日大社と興福寺は、長いあいだ藤原氏の氏寺として大切にされてきました。
江戸幕府は興福寺の勢力を抑えるため、奈良奉行を置いたものの、興福寺と事を構えるのを嫌ったのです。
その中にあって、筋を通そうとした奉行の姿がまた心地よいのです。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。