【自己肯定感がカギ】格差社会の日常に囲まれながらも強く生き抜くには

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価値観の差

みなさん、こんにちは

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回はちょっと複雑なテーマについて考えてみます。

自分が価値のある人間だと思うという感情は、生きていく上で最も大切なものですね。

教員や親に対しての信頼度が高い生徒は、自己肯定感が強く、そうでない生徒は低いとも言われています。

あなたは各国の高校生を対象にした調査の結果を、目にしたことがあるでしょうか。

自分に満足しているか」という質問に対して、「そう思う」と答えた生徒の割合が日本はとても低いのです。

数年前に内閣府が調査した結果によると、他の国と比べて、差があまりにもあることに驚かされます。

日本の子どもは「自分自身への満足度」が他国の3分の1以下なのです。

「私は、自分自身に満足している」という質問を、日本、韓国、アメリカ、英国、ドイツと比べた結果、「そう思う」または「どちらかというとそう思う」と答えた割合は以下のような結果になりました。

日本    :そう思う 7.5% どちらからといえばそう思う 38.3%
韓国    :そう思う 29.7% どちらからといえばそう思う 41.8%
アメリカ  :そう思う 46.2% どちらからといえばそう思う 39.8%
英国    :そう思う 39.8% どちらからといえばそう思う 43.3%
ドイツ   :そう思う 29.1% どちらからといえばそう思う 51.8%

特に日本人の自己肯定感が低いことに、愕然とします。

もちろん、この結果を単純に読みとることはできません。

それぞれの民族によって、価値観が異なるからです。

その1つが、自己と他者との関係です。

日本人は他人にどうみられるのかということを、非常に気にします。

つまり「人の役に立つ」「人に感謝される」といった要素が多いと、自己肯定の感情が増大する傾向が強いのです。

欧米ではむしろ、他者よりも自己の内側にある精神の在り方が、自己肯定の要素になっています。

その他、他国に比べ、へりくだって自分を表現するという気質も否定できません。

登校拒否

近年、登校拒否の児童、生徒が急増しています。

中学校などでは全校生徒の4%が登校拒否者数の平均だと言われています。

しかし近年ははるかにその数字を超えているようです。

同学年に100人の生徒がいれば、7~8人くらいが、登校をしぶる傾向にあります。

時々欠席する生徒をカウントすれば、もっと増えるかもしれません。

面談をしていると、登校拒否傾向の強い生徒は自分を肯定できず、口をついて出てくる言葉にも否定的なものが多いのです。

概して学力も低く、思うように成績が伸びないケースが見られます。

担任や友人との人間関係を築くのが苦手な生徒が目立ちます。

教室に入れず、図書館や保健室などにとどまる例もあります。

当然、卒業時になると、進学もままなりません。

しかし高校に進まないと、将来の展望が開けないのも事実です。

授業に参加しないだけでなく、定期テストを受験していない場合も多いのです。

その結果、成績もふるわず、進学可能な学校の数も減ることになります。

近年は通信制の高校に進学していくケースが増えていますね。

以前ならば、公立私立の試験が終わったあとになっても、募集を続けていたタイプの学校がかなりありました。

しかしサポート校や通信制の高校でも、はやく締め切ってしまうところが増えたという話も聞きます。

ここで高校生に関する詳しいデータを見てみましょう。

国立青少年教育振興機構が行った「高校生の心と体の健康に関する意識調査―日本・米国・中国・韓国の比較」がそれです。

全体を通していえることは、エンターテイメントへの関心に比べて、社会に対する関心が非常に低い点が気になります。

政治や社会への参加意欲が全体的にあまりありません。

社会の一員としての自分という意識が低くなっているのです。

高校の3極化

現在、高校は3極化しているともよくいわれます。

偏差値による入試の輪切りにより、進学に対する志向も大きく変化しています。

「年内入試」という言葉に象徴されるように、総合型や推薦型選抜ではやく大学などの進学先をきめてしまいたいとする生徒も数多くいます。

一言でいえば、格差社会が意識の深層に染み込んだ状態と言えるかもしれません。

人生のメンターがいない高校生の存在は、あまりにも哀しい気がします。

現代の高校生は分断されつつあります。

それぞれがどんな傾向を持っているのでしょうか。

大学進学に向かって、本気で実力をつけ、駆け抜けようとしている層があります。

学業に対して、積極的に臨もうとするグループです。

しかしそうではない、中間の層が分厚くあります。

今はそこがさらに2つに分かれているという指摘もあるのです。

その中でも上位の層は、なんとか一般入試で大学に入りたいと模索しつつ、推薦などにも頼る層です。

さらに下位になると、高校で学業を終える人や、どこでもいいからとにかくその時の実力で上級学校へ行こうと画策する人たちです。

幸い、少子化の中で、選ばなければどこかの大学へ入学することは可能になりました。

今は情報化の時代です。

少しネットを探れば、自分の立ち位置もある程度は見えてきます。

それと同時に将来のイメージも想像できるのです。

どのような形での進学をするのか。

将来はどんな職に就き、今後の暮らし向きはどうなるのか。

もちろん、はっきりとした像を結んでいるワケではありません。

あくまでも漠然とした想像に過ぎないのです。

だからといって3極の下位にいる彼らが、暗い気分でいるかといえば、そんなことはありません。

むしろ現在を楽しんでいるのです。

スマホが1台あれば、そこから世界が始まるいい時代です。

友達もいます。

そのうえ、彼らは結構シビアに、大人たちの暮らしぶりを見ています。

価値観の本気度も計っています。

大袈裟にいえば、日本の未来を完全に見据えているのです。

大きな幸福を求めなければ、それなりに生きていける社会です。

自己肯定感

自己肯定感が変動する要素にはどのようなものがあるのでしょうか。

1番大きいのは、なんといっても生育環境です。

特に幼少期から小学生までは、親と過ごす時間が長いため、親の影響が最も大きいと言われています。

難しいのは自我が芽生えてくる小学校高学年以降、特に中学、高校の時期です。

友達の存在が一気にクローズアップされてきます。

Pexels / Pixabay

教育経済学者、中室牧子氏の『学力の経済学』によれば、自然体験や生活体験、文化芸術体験が豊富な子供は、自己肯定感が高く、自立的行動習慣や探究力が身についている傾向があるそうです。

向上心・忍耐力・協調性など、数値では測れない「非認知能力」と呼ばれる力が、最も人間としての力を育てるのだとか。

いずれにしても、親が多くの活動に積極的に関与したかどうかということが、非常に大きな意味を持っています。

それが成長の後、身体の内側からあぶり出されるようにして、外に出てくるのです。

環境が怖いというのはまさにそれですね。

親は子を選べないと言います。

しかしその反対もありますね。

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格差社会の構図は、自己肯定感をめぐって、多くの難問を残しています。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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