【無為自然・列子】主体性のない判断には常に危険性が潜むという教訓

学び

列子

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は道家の思想家、列子を扱います。

この文章は列子という思想家を主人公に仕立て、主体性のない判断に潜む危険性を風刺したものです。

原典には本文の後に列子が予想した通り、人民が反乱を起こしたという一文があります。

列子は先を見越して、つまらないとばっちりを受けないように未然に対処したのです。

列子は、中国春秋戦国時代の諸子百家の一人列禦寇(れつぎょこう)の尊称です。

また、著書とされる道家の文献を指すこともあります。

列子は道家の「道」を体得した人として知られた人なのです。

その学問は黄帝と老子の思想にもとづき、清淡虚無、無為自然を重んじて他人と競わないことを基本にしていました。

この表現の意味がわかりますか。

「清淡」とは清くさっぱりしていること。

「虚無」は何もない状態をさします。

ここでは物欲のないこと。

さらに「無為自然」は人の手を加えないで、何もせずあるがままにまかせることです。

老子や荘子の思想の基本ですね。

『列子』も道教の経典のひとつです。

万象の変化、万物の生き死にを論じており、文章は『荘子』に類似したものが多いです。

列子の基本的な考え方は次の通りです。

①道(生きるもの)は宇宙の本体であり、虚無である。

②一切の万物は道から生まれる。

③道は不生不変、無限無窮である。

つまり宇宙には絶対の根源があるという考え方です。

「道」のことを「タオ」と呼んだりもしています。

「宇宙の秩序」そのもののことです。

書き下し文

子列子窮し、容貌に飢色(きしょく)有り。

客(かく)に之れを鄭(てい)の子陽に言ふ者有り。

曰く「列籞冦(れつぎょこう)は蓋(けだ)し有道の士なり。君の国に居りて窮す。君乃ち士を好まざると為す無からんや」と。

鄭の子陽即ち官をして之に粟を遺(おく)らしむ。

子列子使者を見、再拝して辞す。

使者去り、子列子入る。

其の妻之を望(うらみ)て心(むね)を拊(う)ちて曰く、

pixel2013 / Pixabay

「妾(せふ)聞く、『有道者の妻子と為れば、皆佚楽(いつらく)を得(う)』と。

今飢色あり。

君過(あやま)てりとして先生に食を遺る。

先生受けず。豈(あ)に命(めい)ならずや」と。

子列子笑ひて之に謂ひて曰く、「君自ら我を知るに非ざるなり。

人の言を以て我に粟を遺(おく)る。

其の我を罪するに至るや、又且(まさ)に人の言を以てせんとす。

此れ吾が受けざる所以(ゆえん)なり」と。

其の卒(お)はりに民果たして難を作(な)して子陽を殺せり。

現代語訳

列子先生は生活に困窮し,その顔にも飢えに苦しむ様子がありました。

門客の1人が、このことを鄭の宰相の子陽に告げて言ったのです。

列禦寇は、おそらく道を体得した人物です。

あなたの国に居りながら困窮しています。

あなたが人材を好まないと言われても、仕方がないのではないでしようか。

すぐに鄭の子陽は役人に命じて穀物を贈らせた。

ところが列子は使者に会い,役人に再拝の礼をした後、受け取ることを辞退したのです。
使者は去りました。

列子が部屋に戻ると、その妻はその様子を眺めていて、自分の胸を叩きながら言ったのです。

私は道を体得した者の妻子になれば,皆、安楽に暮らせると聞いていました。

8212733 / Pixabay

しかし今、飢えに苦しんでいます。

殿下が自らの過ちに気がついて、あなたに食料を下さったのです。

それなのにあなたは受けとろうとなさいません。

これも天命というものなのでしょうか。

列子先生は笑って妻に言いました。

殿下は自分から私の価値を理解したのではないのです。

他人の言葉に従って、私に食料を下さっただけです。

だとするなら、私を罰する時にも,やはりまた、他人の言いなりになり、罰すに違いないのです。

これが、私が受け取らなかった理由なのです。

その後,ついに民衆は乱を起こし,鄭の宰相、子陽を殺したということです。

「客」という存在

この話は、どの時代にも通じる真理を含んでいますね。

鄭の宰相、子陽の政治のやり方に問題があったのです。

どこがいけなかったのか。

賢人や君子を好まなかったのがその理由です。

どうしてそれがいけないのでしょうか

中国の政治の考え方に客人を大切にするという基本的な視点があります。

「客」とは元々よそから来た人をさします。

そこから派生してさまざまな意味が生まれました。

最も大切な役割は貴族や豪族などに寄食して、その時々の政策などを助言する人のことを指します。

彼らは多くのことを学び、歴史にも通じていました。

それだけに知見が広く正確だったのです。

特に戦国時代は複雑な政治的背景を舞台にして、権力を分割していた時代です。

少しでも方向を間違えれば、結局滅亡の危機にありました。

当時、諸侯に身を寄せた人々の中には、大臣として処遇された者もかなりいるのです。

そうした背景を読み取っていくと、列子の存在が大きかったこともよくわかります。

その処遇を見誤ったことで、権力の座から引きずり降ろされたのです。

この時代の政治の考え方としては次のようなものが基本的でした。

賢人や君子の意見を聞かなかったことが一番の難点です。

さらには、政治を良くしようとする気持ちが乏しく、賢人を任用して、民の生活を安定させようとしなかったことです。

結局は道家のいう「無為自然」に逆らったということになるのでしょうか。

形だけを揃えてみても、そこに真実の心がなければ、何の意味もありません。

そのことを列子は見抜いていたのです。

だからこそ、いくら困窮しても、役人から食料をうけとることを拒否しました。

そこまでの理解が、彼の妻にはなかったということになります。

無理をしてまで権力にすり寄っていかないという基本的な姿勢が、列子を救ったのです。

道家の思想は、儒家の思想の対極にあると人はよくいいます。

しかし深く読み込んでいくと、究極のところは、それほど違ってはいないのかもしれません。

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外に見える部分は確かに違うようにも見えますが、人の生きる方向についての嗅覚は、似ているような気がして仕方がありません。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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