観点別評価
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回はちょっと学校現場の話をさせてください。
毎日の新聞に必ず載っている記事がありますね。
先生が足りないという話です。
どの県でも充足していないのです。
仕方がないので、管理職も授業をしたり、臨時免許を出したりして急場をしのいでいます。
退職した教師に頼み込んで、助けてもらってもまだ足りないのが実態です。
以前なら、採用試験で不合格だった人を臨時採用して、期限付きで雇ったりもしていました。
「臨任」と呼ばれている先生です。
しかし今は、試験に不合格だった人を全部雇い入れてもまだ足りないのが現状です。
どうしてこんなことになったのか。
大きな原因は仕事の多様化、多忙化でしょう。
ICT教育という名のもとに、タブレットなどの配置も進んでいます。
それにあわせた授業を組み立てなくてはなりません。
覚えることも多くなりました。
さらにはクラブ活動の忙しさ、不登校の生徒の増加、保護者対応の複雑化などです。
時間がいくらあっても足りません。
ブラック労働などという言葉も最近は聞き飽きましたね。
熱心な先生ほど、疲れ果てています。
学年末には評価をつけなければなりません。
数年前から観点別評価という方法が導入されました。
以前なら5段階の評価をつければよかったのです。
現在はそれ以外に、A~Cまでのいくつかの観点を記載しなくてはいけません。
とまどう教師たち
新しい評価基準が始まったのは小、中学校が最初でした。
高校に導入されたのは昨年からです。
ぼく自身、高校では新しい評価法をやったことがありません。
従来は中間、期末などのテストの成績、小テストの結果などをある程度の割合で足してそれを上から並べ替えていました。
自分で表計算ソフトを利用し、配点の割合などもその時に応じて、変化させました。
成績順に並べ替えると、1~5までをとりあえず仮に入力します。
授業中の態度なども勘案していくと、自ずと評価がでました。
クラスによっていくらかバラツキがでるのは、仕方がありません。
それでも基本的にどの程度の範囲内でおさめたらいいのか、という了解があったのです。
それを教科会の席上で説明し、無事に終了したという次第です。
では、現在の評価法をやったことがないのかと聞かれたら、1度だけやらざるを得なかった話をしなくてはなりません。
数年前のことです。
たまたま近隣の中学校で講師が足りなかったらしく、1学期末にかけて仕事を頼まれました。
1年と2年を3クラスずつ、教えたのです。
期末試験をし、採点もしました。
問題はそこからです。
はじめて観点別評価をしなければならなくなったのです。
中学校の先生たちは慣れているのか、みなさんごく自然に評価を出していました。
ぼくにとって最初の難関は、どの問題がどの観点にあたるのかという根本的なことでした。
観点別とは「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的な学習への態度」の3つで評価するのです。
どの問題がどれに該当するのか。
それが全くわかりませんでした。
漢字の書き取りはどの観点か
国語という科目の内容は「知識・技能」にあたるのか、「思考・判断・表現」なのか。
最初にそこから悩みました。
この問題はこの観点にあたり、次の問題はこれなどと簡単に決められるものなのでしょうか。
とにかく100点の中を分類しなくてはならないのです。
その程度によってA~Cをつけるワケです。
これには正直まいりました。
最後は結局、全て自分の判断です。
あまり考えすぎると、全く区別がつかなくなってしまいます。
多くの先生方は答案の中にあらかじめ、この問題はどの観点なのかをきちんと書き込んでいました。
これも慣れなのでしょうか。
採点にはかなりの時間がかかりましたね。
全て「A」が並んだとしても数字のマジックでしょうか。
「5」にならないケースもあります。
こういうケースは、よく保護者から問い合わせがくるのだという話でした。
全体で「4」にしてあげたくても、「3」になってしまうこともあります。
「主体的な学習ヘの意欲」のところで、提出物を1つ出していなかったなどいうだけ微妙に点数が下がるのです。
あるいは小テストの結果で、点数が少し足りないために、評価がワンランク落ちたりもします。
数日間かけて、あらかじめつくられた細かな計算式の表に、数字を打ち込みます。
ミスは許されません。
この作業が、保護者からのクレームに対する防波堤の役割も担っているのです。
かつて高校でやっていた評価法に比べたら、実に細かい作業の連続です。
パラメータの数が非常に多いというのが実感でしたね。
成績がよくても提出物を出さないと、確実に評価が下がります。
入力し終わったら、最後に全体のバランスをみます。
絶対評価とはいえ、あまりにもクラスによって平均値に違いがあるのは認められません。
この作業は自宅ではできないために、大変に疲れました。
ついに高校にも
今年も、多くの高校の教員はかなりとまどっていることと思います。
昨年から導入している学校が大半だと聞きました。
総合型や学校推薦型の入試の場合、かつては試験の成績が中心の5段階評価を基本とした評定平均値をだせばよかったのです。
しかし現在はその5段階の評価に加え、ABCの評価も影響を持つようになっています。
入試の際に、その部分を「高校の時の内申」として使うケースが増えているのです。
高校は義務教育ではない。
というのはもう古い発想なのでしょうか。
今までは試験の点数で成績をつけていれば、何も問題はないはずだと思っている教師も多かったのです。
しかしそれも通用しなくなりつつあります。
明らかに高校の教員はとまどっています。
具体的にどう計算していけばいいのか、わからないというのが本音に近いのです。
教師だけではありません。
どうやったらいい評価をもらえるのか。
期末試験の問題を手にして、この問題のどこが思考、判断表現力を試しているのかと訊かれても答えられないケースが多いのではないでしょうか。
高校生になれば、先生の主観にすぎないのではないかという疑問を持つ生徒もいるはずです。
自己評価シートを生徒に書かせ、彼らが納得できる形で評定をつけたいと考えているという話も聞きます。
しかしそれに対するコメントを書いて戻す作業も、また新しい仕事になったといわなければなりません。
夏のクラブ指導、合宿などをひかえて、仕事は増える一方です。
かつてのように夏は長期の休みがあっていい、などという暢気な時代ではなくなっているのです。
現在、多くの自治体では、中高の教師採用を同一の枠組みで行っています。
自分では学校の種類を選べないシステムになっているのです。
2年間は教員免許がなくても採用するなどという、トリックに似た技で乗り切れるのかどうか。
教職だけに通用した教特法「4%」の手当てだけで、働かせ放題だった時代は既に過去のものになりつつあります。
あなたはこの現実をどう考えますか。
課題は山積しています。
今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。