【チャットGPT】悩みの相談相手になってくれる友達感覚の安全感とは

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相談相手

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

巷はチャットGPTの話題で盛り上がっていますね。

新聞、雑誌を読んでいても、このネタが途切れることはありません。

授業で使うなどというのは、ごく当たりまえのことになりました。

誰も考えなかったことを、ヒントとして提出してくれるのです。

この便利な助手を使わないワケにはいきません。

最初に反応したのは大学でした。

このアプリの危険性をいちばんはやく見抜いたのです。

うまく使えば、かなりの威力を持つ新しい知性だと断じたのです。

しかし一方では、誤った方向に人を導く手段として使われる可能性もあるとしました。

結論からいえば、最後は人間の判断によるということです。

知性を蓄えて明確に誤りを指摘できる段階まで達しなければ、必ず生成AIが人知を超えるシンギュラリティの場面を迎えざるを得ないとしたのです。

この警報は今も有効なままです。

チャットGPTが発表されてから、まだ半年しか経っていないのです。

それにもかかわらず、人々はこのアプリに依存しつつあるのではないでしょうか。

一方ではイタリアのように使用を大きく制限している国もあります。

その安全性が担保されていないというのが、大きな理由です。

ところで、日本ではどうでしょうか。

元々、新しもの好きな民族です。

すぐに手にとってあれやこれやと試しています。

しかし夏休みも近くなり、期末試験には応用するなとか、夏休みの感想文に使わせるなといった通達が文科省からも出ました。

読書感想文

国語の教師として1番懸念されるのが、夏休みの宿題ですね。

かなり多くの生徒が、このアプリを使うと思われます。

従来からもウィキペディアを使ったものは見うけられました。

生徒が普段使いそうもない語彙などが混じっていると、すぐにそれと判断できるのです。

細かな作品の1つ1つについても、パソコンがあればかなり検索できます。

同じフレーズがあれば、すぐに反応するコピペ検索アプリなどを使用している大学もあります。

しかし今度のチャットGPTは、それ以上に手ごわい存在だと言えます。

言葉の使い方も、「である」「ですます」の範疇をこえて、より自分の世代に近い表現に変化させることも可能です。

あるいは自分の知っている幾つもの話題を必ず、その中に散りばめてまとめることもしてくれます。

教師にある程度の裏付けがないと、それを見抜くのは難しいでしょうね。

通常なら2時間かかる感想文も、わずか10分足らずで完成させてくれます。

原稿がテキストファイルであれば、加工は大変に簡単です。

同様に、音楽も、デザインも、そのシステムは同じです。

文科省がいくら通達を出しても、それとわからないように宿題やレポートを作りあげることは可能です。

実際、役人はすでに利用を開始しています。

役所が好んで使う特殊な言語体系は、チャットGPTの最も好むところです。

結局、何がいいたいのかわからない文言は、彼らの独壇場になる怖れがあります。

政治家も同じです。

施政方針演説などは、最大の晴れ舞台ですね。

結婚式の挨拶など、お手のものです。

お悔みも立派なものができあがるでしょう。

その背景は何か。

実は、ありあまるほどの安全感にあるのです。

生成AIは道を簡単に踏み外さないという信頼を得ている間は、使われ続ける可能性があるからです。

安全感

つい数日前の新聞に臨床心理士、東畑開人氏のコラムが載っていました。

氏は他人に相談できない悩みを、生成AIに聞いてもらうことの意味を論じていたのです。

読んでいるうちに、AIはこういう使い方をされるようになったのだと、ある種の感慨が襲ってきました。

彼は言います。

————————

将来的にAIが悪意を持って暴走することへの懸念もあるようだが、現状のチャットGPTを見る限り、私が決定的に優れていると思うのはその安全感だ。

人間に悩みを打ち明けるとき、私は不安になる。

負担になるんじゃないか、軽蔑されるんじゃないかと、逡巡する相手の心が怖いのだ。

しかし、AIは気分にムラがないし、機嫌を損ねることもない。

言葉の裏を読まなくてよい。

時間や場所を気にする必要もない。

AI の器は無限だ。

心がないからだ。

私が何を言おうとお構いなしに一定の反応を返してくると分かっているから、あらゆることを相談できる。

臨床家として思うこの安全感は極めて貴重だ。

例えば、長らく引きこもり、時に死を考える青年のように深刻に追い詰められている人にとって、何よりも難しいのは助けを求めることである。

その心は自己を責め、他者を深刻に恐れている悩みを打ち明けることで、余計に傷つくかもしれないと怯えているとき、そう簡単には、人間相手に辛いとは言えない。

そういう時、スマホで苦しいとか死にたいと打ち込む宛先があることが、どれだけ貴重なことか。

そこには世界に対するかすかな希望が芽生えている。

そしてその言葉を表裏なく打ち返し続けてくれる、心なきプログラムがいかにありがたいことか。

人間にできることは何か

考えてみれば、人間くらい厄介な生き物はありませんね。

相談相手が何を考えているのかということを、どうしても先にまわって思案してしまいます。

極端なことを言えば、誰に相談するかで、既に答えは決まっているのです。

この人ならばこういうふうに答えるだろうということを、ある程度予測することも可能です。

あるいはこんなことを相談したら、相手にどれほどの苦しみを与えてしまうかと逆に自分の方で、控えてしまうことすらあります。

つまり、AIについて語ることは、つねに人間を論じることなのです。

ここまでは人間にもできる。

しかしここからは人間にはできないという線引きが自ずとあります。

それを生成AIは軽く乗り越えてしまうのです。

信頼関係があるからこそ、言えないという複雑な生き物が人間なのではないでしょうか。

そこへいくと、チャットGPTの周辺は乾いています。

少しも感情の湿り気がありません。

それだけに安心して相談ができるのです。

毎日、毎晩、多くの人がスマホに向かって、自分の悩みを打ち明けている構図を想像できますか。

ある意味、怖い風景ですね。

しかし現実はそこまできているのです。

効率性重視の世の中が、どこへ進むのか。

これだけは誰にもわからないというのが、今の答えです。

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あなたもじっくりと考えてください。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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