語彙力を増やす
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
最近、自分に自信がない、自己肯定感を持てない若者が多いという話を、よく耳にします。
登校拒否の生徒数も増加の一途です。
コロナの蔓延以後、その数が急激に増えたとか。
かつては全校生の4%というのが基準値でした。
今では100人在籍していれば、8~10人は不登校の生徒が存在するのです。
在宅の時間が長かったことも一因でしょう。
しかしそれ以上に、自分をどう表現したらいいのかわからない。
その時々の感情を示す言葉がみつからない生徒が増えました。
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言葉がうまく出てこなくなり、他者とのコミュニケーションがうまく取れなくなっています。
意志の疎通ができなくなると、集団の中で自分を見いだす方法が容易にみつけられません
語彙力がある人は言い換えの言葉をたくさん知っています。
相手に合わせて適切な言葉や表現を選ぶことができるのです。
ところが語彙力が不足していると、ごく限られた言葉しか使うことができないため、自分の伝えたいことをうまく表現できません。
語彙力がない人の特徴としてよく挙げられるのが、同じ言葉の多用です。
生徒と話をしていてよく感じるのは、表現力の貧しい生徒ほど、限定されたわずかな言葉に、すべての感情をのせようとしていることです。
思考が浅くなり、論理的にものを考えることができません。
これは怖いことです。
複雑な話ができなくなるのを怖れて、ますます人から遠ざかっていくのです。
典型的な表現
生徒に作文を書かせることがあります。
話し言葉と書き言葉の距離はかなりのものです。
しかしそれが認識できていない生徒もいます。
話し言葉が貧しくなった印象が強いですね。
おそらくSNSなどで、ごく短い表現ばかりを使っているからでしょう。
細かな心理描写などは大変苦手てす。
複雑に動く心の中を描くような小説を手にすることが、あまりないのかもしれません。
どちらかといえば、コミックと呼ばれるジャンルに流れがちです。
小説にしても、ライトノベルと呼ばれる会話中心の小説に偏っています。
せっかくですから、貧しい言葉のサンプルをいくつかご紹介しましょう。
代表的な表現をここに示します。
あなたはここにある表現を使っていますか。
1日に何度も連発しているという人は、要注意です。
明らかに環境をかえなくてはいけません。
余計なお世話だという声も聞こえてくるような気がします。
しかし明らかに、あなたの中で言葉の力が衰弱しています。
今のまま無前提に進んでいくと、近々、文章が書けなくなる予感がします。
プレゼンテーションやスピーチはもう無理でしょう。
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意識して使い分けられる人ならば、特に問題はありません。
しかしそこまできちんと表現を分けられる人は、多くはないのです。
どんどん、悲しい方向へずり落ちていくのは目に見えています。
日常的にこの言葉を過剰に使っていたら、非常に危険です。
もし気になるようであれば、自分にNGを言い続けて、極力使わない方法を考えなくてはいけません。
「やばい」「ださい」「えもい」「きもい」「うざい」「すごい」「まじ」「やだ」「無理」「超」などです。
どちらの意味でも使える言葉
どうでしょうか。
最悪なのは、いい意味と悪い意味を1つの表現で兼ねている場合があることです。
その中で、最も厄介なのが「やばい」という言葉ですね。
この表現はオールマイティな力を持っています。
大変便利な使い方ができます。
いい意味と悪い意味を同時に兼用できるのです。
あらゆる事象をこれ1つで言い切ることができます。
そのため、思い浮かぶ感情をすべてこの言葉で表現してしまう傾向があります。
結果として、細やかな感覚の襞が全て消えてしまいます。
深みのない会話が続く場合、元凶となる表現の代表といえます。
何も考えずに「やばい」を連発していれば、会話は続きます。
語彙力のない人の会話の典型ですね。
試みにあなたと友人の会話を録音してみるのも、いい方法です。
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5分話している間にいくつ出てくるか。
それがあなたの実力です。
言葉への感度の低さです。
悲しいことですが、このままの状態を続けるとあまりいい方向には進まないと思われます。
具体的にはどうなるのか。
それはあなた自身が想像してください。
格差社会は予想以上のスピードで動いています。
言葉の格差が、社会の中で占める割合は大きいのです。
言葉は判断の材料
その人がどういう会話をしているのかを聞けば、レベルがわかるとよく言いますね。
語彙力がある人は感情も豊かです。
多くの話題を持ち、人を引き付ける能力にも秀でています。
試みに数分間、黙って人の話に耳を傾けてみましょう。
その人がどのような内容の話をするのかを、ただ聞いているだけでいいのです。
しばらく後には、多くのことを知ることができます。
多くの情報をうまく咀嚼して、相手に伝える能力を持っている人のそばには、すぐれた伝達能力を持った人が集まってくるものです。
類は友を呼ぶといいますね。
似たような人同士が、自然に集まってくるものなのです。
会話を軽んじてはいけません。
言葉を甘くみると、痛い思いをします。
つねにNGワードを頭の隅に置いて会話をすることです。
そのうち、アブナイ言葉は2度と使わなくなっていきます。
言い換えを研究するのもいい方法です。
別の言葉を使って、同じ内容をあらわす工夫をするのです。
敬語もそうですね。
自然に使えるようになれば、それが最も有効です。
最初は意識するシーンもあるはずです。
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尊敬と謙譲の表現をきちんと使いこなせるかどうかで、その人のレベルが決まると言います。
他者は何も言わずに黙って、あなたの使う言葉を測っているのです。
ではどうすれば豊かな表現力が身につくのでしょうか。
言葉の知識は、放置していても勝手に増えることはありません。
相当意識的に表現を学ぼうとしなければ、不可能です。
最もいい方法は活字を読むことです。
同時に新しい語彙を身につけるだけのメモリー量を、確保しなくてはなりません。
それだけのゆとりを、自分自身の中につねに保持するのは容易なことではないです。
ある種の覚悟が必要です。
あらゆる類の活字媒体を読むことが喫緊です。
新聞、雑誌、ネットを自分の周囲に配置することです。
最も大切なのは意識して新しい言い回しに触れることです。
外来語はもちろん、和語と呼ばれる、日本語の古い形にも親しみを持つべきです。
いわゆる熟語と呼ばれるものは、明治時代になって、外国の辞書から次々と翻訳してつくられていったものです。
それ以前に、日本語には多くの古語がありました。
全てとはいいません。
自分の琴線に触れるような表現を身につけることが大切です。
言葉の数が多くなると、当然のことながら、世界の構図が違ってみえてきます。
言うのはたやすいですが、実際、行動に移すのは、それほど簡単ではありません。
言葉はあなたの顔です。
もう1度、じっくりと考えてみましょう。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。