【母性型社会離脱後】ゆったりとした生き方が格段に難しくなった日本

ノート

母性型社会

みなさん、こんちには。

元都立高校国語科教師、ブロガーのすい喬です。

生きづらい世の中になりました。

社会全体からゆとりがなくなってしまいました。

コロナウィルスの蔓延もその原因の1つかもしれません。

経済的に苦しくなった家庭が増えたという報道がされています。

大学を途中で退学せざるを得ないという判断をした学生もかなりいるようです。

親からの仕送りも減り、アルバイトも思うようにできない。

毎日の生活費を切り詰めても、学業は続けられないと判断した人もいます。

生活保護の申請も増加しているとか。

飲食店などを経営している人は、死活問題でしょう。

東京、大阪、宮城、兵庫、京都、沖縄などではまん延防止等重点措置も適用されました。

早い時間に店を閉めてしまえば、収入の道は断たれます。

食材をどのくらい仕入れればいいのかも判断できません。

客商売はみな同じ状況です。

交通関係や、販売業者なども完全にお手上げなのです。

以前なら、みんな貧しかったです。

少しでも困った人を助けてあげようという優しさもありました。

今は「自己責任」という言葉が跋扈しています。

そのような状況になってしまったのは、全てあなた自身の責任だというワケです。

さまざまな選択肢の中で、現在の形を選んだのは確かに自分かもしれません。

しかしだからといって、それですべてを断罪されたのではたまったものではありません。

老人介護にしても以前とは全く事情が違います。

高齢者施設への入居も、行政への申請もみな自分でしなければなりません。

親切な隣人の姿が瞬く間に消えてしまいました。

他家を訪問する

昨今は他人の家を訪問するということもめっきり減りましたね。

ご近所で暮らしていても、互いの家を訪ねなくなってしまったのです。

部屋の中が散らかっているところをみられるのがイヤなのでしょうか。

生活のレベルを見られるのがつらいのか。

子供がいても相互の家を往来するということはあまりありません。

お誕生会も外のお店でやったりする時代です。

後片付けが大変だというのもあるでしょう。

家の中を散らかしたり、汚したりしたら面倒です。

しかしそれだけではありません。

どことなく人間の関係がよそよそしくなりました。

これが豊かになったということなのでしょうか。

格差社会といってもいいかもしれません。

家の中をみれば、すぐにそこの生活レベルがわかりますからね。

使っている調度や家具にすべてがあらわれます。

それがイヤだと言われれば、それまでかもしれません。

大家族が減り、夫婦の単位だけで生活がなされています。

アジア型ののんびり生活が今では欧米型に移行しました。

村にはさまざまな問題を解決してくれる長老が必ずいました。

しかし今や老人は過去の人です。

何も訊ねるべきことはありません。

技術の変化が激しすぎて、高齢者にはついていけないというのが実情でしょう。

わからないことはネットで調べればいいのです。

村の集会も、人の集まりも必要なくなりました。

父性型社会

父性型社会はまさに「切断」がキーワードです。

力のあるものが勝ち、そうでないものは負けます。

負けたものは正しくないのです

つまり排斥される運命にあります。

アジアは元々母性型のすべてを包みこむ社会構造を持っていました。

そこには曖昧な存在の人間を許容する場があり、相互扶助的な優しさもあったのです。

もちろん日本もそうした文化圏の一翼を担っていました。

どのような町や村にも経済活動を十分に行えない人間たちがいます。

しかし共同体は彼らを排斥することなく、あたたかく包み込んでいたのです。

フーテンの寅さんがいい例です。

老人もかつて社会生活を営んで得た頃の知識を十分に披露し、長老としての尊敬を集めました。

しかし現在の日本からそうしたゆらぎの空間はなくなりつつあります。

異分子はすべて排除され、目に見えない場所に移されています。

経済活動をきちんと行えない人たちは、敗者となり下流となって、この国にぶらさがるだけの存在となりつつあるのです。

彼らをもういちど引き上げようとする努力も昨今はやや薄らいでいるようです。

ニートやフリーターと呼ばれる人達も、最後は常に自己責任というひとくくりの言葉の中に収斂されてしまっているのです。

つまりあなたが悪いのだ。

だから負けたのだというワケです。

消えていくのは仕方がないという理屈です。

かつて日本人が持っていた甘えあい、助け合う風土は消滅しつつあります。

これが進歩したということなのでしょうか。

アジア型ではなくなり、欧米型の完全な勝ち負け社会になったということなんですかね。

経済の1人歩き

欧米型と一口にいっても、ヨーロッパよりやはりアメリカ市場主義の影響が強いです。

収入の豊かなものが勝ち組の代表でしょう。

働かずに資産を増やせるような算段のできる人。

そうした一族に生まれついた人。

頭脳の明晰さにプラスして、整った環境の中でキャリアをあたりまえのように積んできた人たち。

彼らこそがほんの一握りの資産家たちの姿なのです。

トランクの中に身を潜めて日本を脱出した某自動車会社の前社長もいたではありませんか。

自家用ジェットに乗って国外脱出をしたのです。

まるで映画のシーンそのものですね。

ボランティアという言葉は今でも有効です。

国境なき医師団の活動などをみていると、彼らを支えているものは何かを知りたくなります。

しかし多くの場合、まず自分の暮らしや目的ばかりが先行し、そのためのこころの広場が消えてしまったのではないでしょうか。

人々の心から本当の意味でのゆとりがなくなってしまったように思われてなりません。

どのような方法であれ、法律に触れない範囲で大金を得る。

それが勝者であるという社会は、けっして成熟したものとはいえません。

それならばどうしたらいいのか。

実はよくわからないのです。

geralt / Pixabay

ゆとりがなくなったといいながら、さてそれではどうやってあなたはそれを取り戻そうとしているのか。

経済力による勝ち負けで決めているうちは、うまくいかないでしょうね。

しかし現実の生活は重いです。

恰好をつけている場合ではありません。

だからこそ、困っているのです。

貧すれば鈍す。

昔の人はうまいことを言ったものです。

金持ち喧嘩せずの譬えもあります.

実態のない昨今の株の値上がりぶりを見ていると、額に汗して働くことのむなしさがこみあげてくるのです。

みなさんはどのように考えますか。

所詮、負け犬の遠吠えに過ぎないのでしょうか。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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