不安な時代・自分の運勢を占いに頼ってでも知りたいという願いは永遠

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占いはなくならない

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師でブロガーのすい喬です。

人間というものはつねに揺れている生き物ですね。

いつも不安と戦っているのです。

誰にも先のことはわかりません。

自分の命が次の瞬間どうなるのかさえ、わからないのです。

小説家、井上光晴の『明日』という小説をご存知ですか。

これは長崎に原爆が投下される前の日に結婚式をあげた人の生きざまを丹念に描き上げた作品です。

1945年8月8日の長崎が舞台なのです。

作家はその日に何組の挙式があったのかということまで丹念に調べました。

長崎に原爆が落とされる前日の結婚式に至るまでがこの小説のメインです。

翌日に死ぬことがわかっていれば、別の行動をとったのかもしれません。

しかし人は未来を知り得ません。

だから明日がさらに先へと続くものだと信じて生きているのです。

そうでもしなければ、とても苦しくて毎日を過ごすことはできないのかもしれません。

後で考えれば、あの時がターニングポイントだったということはあります。

コロナ禍だってそうです。

まさか自分が罹るなんて誰も想像しません。

事前に知ることもできないのです。

だから誰かに頼って未来を知りたい。

自分の未来をなにかの形で知りたいと思います。

これはごく自然な感情です。

本当に第三者が自分の将来を予見してくれたら、こんなに楽なことはありません。

そこで人は「卜す」ということを覚えました。

難しい文字ですね。

「ぼくす」と読みます。

占うということです。

カメの甲羅と貝殻

カメの甲羅でもよし、石でも貝でもとにかく割ってみます。

太古の人達はその形から政治の方向まで決定しようとしました。

特にカメの甲羅は複雑な模様をもっています。

その割れ方をどう判断するのかということが、国の未来を分けたのです。

起源は古代中国です。

殷の時代には盛んに行われていたそうです。

その結果を彫り込んだのがいわゆる甲骨文字なのです。

日本にも当然伝来しました。

宮中関連の卜占は、亀卜(きぼく)へと代わっていったのです。

この占いを今でもやっているといわれたらちょっと驚きますか。

宮中では大嘗祭の時、亀卜でイネと粟の採取地の方角を決めています。

つまりそれくらい人間は何かにすがらなければ生きていけない生き物なのです。

不安のかたまりといってもいいのかもしれません。

三国志の中に登場する軍師、諸葛孔明などは天候の動きで臨機応変に戦いの方法をかえました。

風を吹かせ、雨を降らせるということなどは、ある意味神の領域です。

それを目の前で行って見せたのです。

人々の驚きはものすごかったでしょうね。

卑弥呼なども同類だと思われます。

その後、天の動きに規則があることを知り、そこに運命を重ねようとする占星術のようなものが次々と開発されていきました。

毎年暮れになると、書店にたくさん易の本が並びます。

日本人は今日でも十二支をごく自然に使っています。

友達同士でも干支は何かということがよく話題になりますね。

中国では占いがごく日常の風景の中にとりこまれていました。

可能な限りのパラメーター

中国では筮竹などを使ったり、木や竹製の蛤型をしたものを、2つ同時に投げて裏表で吉凶を占うなど、さまざまな道具がつくられたのです。

さらに顔の形、指、手相、風水、方角なんでも可能な限りのパラメーターを注入しました。

もちろん、そこには漢字の字画、生年月日なども入ります。

日本でも名前の字画を気にする人は多いですね。

少しでも未来の明るい名前にしてあげたいとする親の気持ちが痛いほどわかります。

ファクターが多ければ多いほど、より真実味が増すことはいうまでもありません。

この流れは西洋においても同様です。

西洋占星術やタロットカード、水晶など、人間が考えるありとあらゆるものがそのための手掛かりになったのです。

geralt / Pixabay

月日、星座などはさしずめ恰好のパラメーターだったでしょうね。

昨今は占い師の跋扈する時代なのか、時折テレビなどでも見かけることがあります。

スター占い師が群雄割拠しているのです。

ネットによる占いイベントも盛んです。

敷居が低いので簡単に参加できますからね。

ちょっとググルと、たくさんの人の名前が出てきます。

しかしあまり登場しすぎるとあきられてしまうのか、路上や室内などで相談にのる人も多いようです。

駅に近いビルの地下あたりにも占いの館があったりします。

新宿の母などいう名前で、ものすごい行列のできた人気のある占い師もいました。

ちょっと名前が出ると、すぐに本が出版されます。

一時期、「四柱推命学」という本が書店に並んだことがありました。

この説を論じた女史は随分と波瀾万丈の人のようでした。

かなり高額なものを売りつけられたなどという報道もあったりしました。

淫祠邪教ではないというのを口癖にしていた人もいます。

易の世界は人間の欲望が跋扈するところなので、常に紆余曲折があります。

最近ではパソコンやスマホでの占いがかなり力を持ち始めているようです。

リモートで運勢を占うなんて、ちょっとすごい話です。

人間はいつも不安なのです。

誰かに導いて欲しいと思っているのです。

当たるも八卦当たらぬも八卦

ある意味でカウンセラー的な立場にたちつつ、相談に乗るというあたりが1番長く続けられる秘訣かもしれません。

大体の人は自分でなんとか解決策を考えだすものです。

しかし自分だけで決めるのは不安なだけに、誰かに相談したい。

誰に話すのかという場面で、もうその人のアドバイスの内容は見えています。

つまり最後の決断をするためだけに相談に乗ってもらうワケです。

トップに立つ人間は孤独です。

誰にも相談できないのです。

全て自分で決めなくてはなりません。

どんなにコンピュータの性能がよくなり、確率や統計の計算が速くなっても、やはり最後の最後は、誰かが決断をしなくてはならないのです。

風水がよくないと言われれば、やはり気になります。

窓の位置や、観葉植物、花の種類、壁紙の色。

なんでも気になります。

事故の多いのはお祓いをしなかったせいかもしれない。

心が千々に乱れるのです。

bella67 / Pixabay

占いがこの世から消えることはないでしょう。

雑誌から占いコーナーを取り去ることはできません。

人間からこの行為を拭い去ることは永遠にできないでしょうね。

タロットでもトランプでも筮竹でもなんでもいいのです。

人は何かにすがらなければ生きていけません。

これを情けないとみるか、いとおしいと見るかは、その人の人生観によるのではないでしょうか

今日も雑誌にはたくさんの占いが載っています。

どれを信じたらいいのやら。

何度も読み込むと、どうにでもとれる中庸な解決策が多いようですけどね。

本当の未来は誰にもわからないのです。

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やってみてダメなら方向転換を図るというあたりが、真っ当なご託宣なのかもしれません。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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