ガラスの天井
みなさん、こんにちは。
小論文添削歴20年、元都立高校教師のすい喬です。
今回はジェンダーフリーの問題について考えます。
2022年度入試にはこのテーマが必ず出題されるでしょうね。
つい先頃の東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会会長の交代劇はなんとも無残でした。
世界各国から日本はどうなっているんだという非難が寄せられたのです。
女性蔑視と言わざるを得ない前首相は同年配の元日本サッカー協会会長にその座を譲ったものの、それもすぐに撤回しました。
その後必死になって人選に及んだ結果、女性の内閣府特命担当大臣を横滑りさせたのです。
世界中に報道されたこの騒動は日本のジェンダーフリーが形だけのものであることを露呈したといえるでしょう。
来年度の入試にはこの問題が前面に出ることと思われます。
特にジェンダーに関するギャップについてのテーマは要注意です。
それを象徴するようなニュースがつい数日前に発表されました。
各国の男女格差を測る世界経済フォーラム(WEF)による「ジェンダーギャップ指数2021」の結果です。
調査対象となった世界156カ国のうち、日本は120位でした。

ちなみに前年は121位です。
G7主要7カ国および東アジア・太平洋地域でなんと最下位なのです。
調査は「政治参画」「経済参画」「教育」「健康と生存率」の4分野での男女の格差を数値化したものです。
日本は政治(147位)と経済(117位)などの分野で「指導的地位」にいる女性比率の少なさが明確になりました。
まさに掛け声だけのジェンダーフリーでしかないということを浮き彫りにしてみせたのです。
日本はなぜ変われないのか。
少し悲しい気がしてきます。
しかし俗によく言われる「ガラスの天井」は社会に広く存在しています。
そこまでのぼれそうでありながら、実は天井はガラス張りなのです。
どうしても頭がつかえてしまう。
順調に階段を上っているつもりでも、そこから上にはどうしても行けない。
日本における後進国性は、ここに集約しているとも言えそうです。
ジェンダーって何
小論文では当たり前のようにジェンダーという言葉を使います。
なぜ日本語を使わないのでしょうか。
ジェンダーという言葉には、「社会的に形成された性差」という意味があります。
生まれつきの性差ではなく、その後家族や社会によって後天的に育てられた性差をいいます。
俗にいう、「男の子らしく」「女の子らしく」の世界です。
言葉づかい、衣服、行動様式など、あらゆる面で制限がつきまといます。
最近やっと女子の制服にスラックスが標準服として加えられたというニュースもあるくらいです。
冬、女子の生徒がスカートにひざ掛けをしていると、おばあちゃんみたいねと先生から声をかけられたという報道がありました。
哲学者ボーヴォワールはかつて有名な表現でこの問題の本質をえぐり出しました。
「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」というのです。
『第二の性』という本の中にこの表現があります。
社会がいつの間にか女を「女」にしていきます。
1番いい例が生徒名票の順番です。
あいうえお順は当然としても、しばらく前まで男子が必ず先でした。

1番から男子が始まり、31番から女子が始まるといった具合です。
大多数の人はなんの疑問も持たずに学生時代を過ごしてきたのではないでしょうか。
生徒会長が男子、副会長が女子などいう図式も同じです。
現在では混合名票が標準です。
入学式、卒業式などでも完全に混合型での呼名になりつつあります。
ランドセルも長い間「男子が黒、女子は赤」でした。
今ではとてもカラフルですね。
つまり社会が決める男女差が少しずつ縮まっているのです。
それなのになぜ日本は最下位なのでしょうか。
意識の変化
ジェンダーの問題は根が大変に深いのです。
簡単に表面的な事例を減らしていくだけでは、なかなかその本質に辿り着きません。
たとえば国会議員や企業の役員数などをみれば一目瞭然です。
社会的に責任ある地位に女性が占める割合が日本は非常に低いのです。
日本の女性は男性よりも能力が低いのでしょうか。
そんなことはありません。
ここに厄介な問題があります。
まさに人の心の闇です。
日本人の社会通念が女性を外に出しにくくしているのです。

男女が性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮することができる社会の実現。
言葉は大変にきれいです。
まさにその通りです。
しかし現実にはそう簡単ではありません。
女性はまだまだ職場でも即戦力という以外の役割を果たさざるを得ない場面が多いです。
広告などをみていると、あらゆる場面でジェンダーのパターンが決まっています
俗にいうステレオタイプが過剰に見られます。
女性は若さと美しさ、男性は体力と社会的地位でしょうか。
男性は収入を得て家族の生活を支え、女性は家庭内の家事・育児・介護などの無償労働を担うというのが日本式の構図でした。
しかし女性の社会進出が進むにつれ、男性の育児参加なども進んできたのです。
では実際の会社側の対応はどうでしょうか。
男性が育児休暇を1カ月とることがどの程度可能だと思いますか。
現実には休みをとりにくいのです。
制度があることと、それが地についているのかは全く別のことです。
日本は男女平等なのか
この問題には女性の管理職の数だけでなく、賃金格差の問題も大きく関わっています。
さらにセクシュアル・ハラスメントや夫婦間、恋人間のDVなども後を絶ちません。
女性の人権問題として何度も取り上げられています。
しかし男性だって同様なのです。
企業のリストラの例をみれば、女性だけが差別されているワケではないという声も聞かれます。
全くその通りでしょう。
コロナ禍の中、現実の労働環境は悪化の一途です。
しかしその男性のストレスのはけ口をまともに受けているのも女性だということを忘れてはいけません。

2030年に達成を目標としているSDGs(接続可能な開発目標)の中にもジェンダーフリーはあります。
「ジェンダー平等を実現しよう」という大きな目標の中にターゲットがたくさん盛り込まれているのです。
今回のテーマにからめていえば、政治、経済、公共分野で完全かつ効果的な女性の参画、および平等なリーダーシップの機会を確保するとあります。
具体的な方法はいくつか考えられます。
「数値の見える化」を今以上に進めることです。
政府は2003年「2020年に指導的地位に占める女性の割合を30%にする」という目標を掲げました。
この指標に基づいて、2016年には女性活躍推進法が施行されたのです。
しかし法律をいくら作っても、人々の意識の底にわだかまりがある限り、先には進みません。
同じことは政治の現場でも起きています。
見えない形で人々の心の奥に潜んでいるものを明らかにしていく以外に、最善の道はないでしょう。
自分自身の身を切る覚悟が結局はジェンダーフリーの国をつくるということになっていくのです。
この問題は間違いなく、2022年度入試のハイライトになります。
必ずきちんと復習しておいてください。
最後までおつきあいいただきありがとうございました。