現代日本の開化
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は夏目漱石の代表的な講演、「現代日本の開化」について考えます。
歴史的に「近代」をどう定義するのかは大変難しいテーマです。
思想的には合理主義、政治的には民主主義、経済的には自由主義というのが、基本的な考え方でしょうか。
夏目漱石は人一倍、この問題に苦しんだ作家でした。
イギリスへ留学をしたのは明治33年(1900)33歳の時です。
文部省から英文学研究のため英国留学を2年間命じられたのです。
そこで彼が見たものは、西洋人の考え方の根本でした。
一言でいえば、近代的個人主義(近代的自我)とでも呼べるようなものです。
「世間」という言葉で周囲を画一化しようとする、日本人の生き方とは全く違う種類の思想だったのです。
その落差が、彼をノイローゼにしたといっても過言ではありません。
英文学の研究のために派遣された漱石は、西洋的な自我の在り方に正面からぶつかってしまいました。
帰国した後、彼が目にしたのは、封建主義的な日本の「世間」そのものだったのです。
どうしたら本当の意味での近代的個人主義が確立できるのか。
後年、そのことばかりを考え続けたといってもいいでしょう。
彼の小説はそれを追究した作品の集大成とも言えます。
明治維新以降、日本人はどのように近代を開化してきたのか。
そこに重大な問題の核心があると考えました。
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日本は近代の精神を手にするどころではなく、まだ脱皮できていないのではないか。
そうだとしたら、どんな難題がそこにあるのか。
それだけを追究しました。
その1つの答えを示したのが、この講演の内容なのです。
「現代日本の開化」は、日本人の近代的自我が、本当の意味で解放されたものではないという認識から出発しました。
このテーマは、今日までずっと引き継がれています。
日本人にとって、個人主義の問題は解決していないと考えられるからです。
漱石の講演記録の一部を読んでみましょう。
キーワードは「内発的」と「外発的」です。
講演内容
現代の日本の開化は前に述べた一般の開化とどこが違うかと云うのが問題です。
もし一言にしてこの問題を決しようとするならば私はこう断じたい、西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。
ここに内発的と云うのは内から自然に出て発展するという意味でちょうど花が開くようにおのずから蕾つぼみが破れて花弁が外に向うのを云い、
また外発的とは外からおっかぶさった他の力でやむをえず一種の形式を取るのを指したつもりなのです。
もう一口説明しますと、西洋の開化は行雲流水のごとく自然に働いているが、御維新後外国と交渉をつけた以後の日本の開化は大分勝手が違います。
もちろんどこの国だって隣づき合がある以上はその影響を受けるのがもちろんの事だからわが日本といえども昔からそう超然としてただ自分だけの活力で発展した訳ではない。
ある時は三韓また或時は支那という風に大分外国の文化にかぶれた時代もあるでしょうが、長い月日を前後ぶっ通しに計算して大体の上から一瞥して見ると
まあ比較的内発的の開化で進んで来たと云えましょう。
少なくとも鎖港排外の空気で二百年も麻酔したあげく突然西洋文化の刺戟に跳ね上ったぐらい強烈な影響は有史以来まだ受けていなかったと云うのが適当でしょう。
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日本の開化はあの時から急劇に曲折し始めたのであります。
また曲折しなければならないほどの衝動を受けたのであります。
これを前の言葉で表現しますと、今まで内発的に展開して来たのが、
急に自己本位の能力を失って外から無理押しに押されて否応なしにその云う通りにしなければ立ち行かないという有様になったのであります。
それが一時ではない。
四五十年前に一押し押されたなりじっと持ち応こたえているなんて楽な刺戟ではない。
時々に押され刻々に押されて今日に至ったばかりでなく向後何年の間か、
またはおそらく永久に今日のごとく押されて行かなければ日本が日本として存在できないのだから外発的というよりほかに仕方がない。
内発的と外発的
漱石の使ったこの2つの概念は、いまだに日本の開化を語られる時に使われる重要なキーワードです。
意味がわかりますか。
内発的開化というのは、社会の内側から自然発生的に起こる文明の発展をさします。
その一方、外発的開化は、外側からの圧力で強制され無理に開化した文明の変化です。
漱石はうまい表現を使っていますね。
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内発的開化は「花が開くようにおのずから蕾が破れて花弁が外に向かう」と形容しています。
外発的開化は「外からおっかぶさった他の力で已むを得ず一種の形式を取る」と表現しています。
日本の開化はある意味、無理やり外から開かれたものでした。
黒船の来航から一気に、西洋の文化がなだれ込んできたのです。
通常なら、次第に文明は流れていくものです。
ところが鍵を無理にこじあけられて、これが新しい文化だと突然、目の前に突きつけられたのです。
それを日本人はどうしたのか。
ここが一番の問題です。
日本人は元々、他人本位の生き方をしてきた民族でした。
自我の求めるところを追求しながら生きるという考え方を、とっていなかったのです。
砂上の楼閣
その結果、日本はどうなったのでしょうか。
漱石がイギリスから帰ってきて感じた違和感は、全てそこに端を発したものでした。
彼の言葉を借りれば、現代日本の開化は「皮相上滑りの開化である」という事実そのものなのです。
その結果、少しでも先鋭な人は、どうなったと思いますか。
滑り落ちたくないと考えれば、当然踏ん張るしかありません。
それがとんでもないストレスになるのは、ごく自然ですね。
漱石もその1人でした。
あまりにも見えすぎていたのです。
彼は必死で自己本位の意識を守ろうとしました。
ところがそう簡単にはできません。
結局ひどい神経衰弱に悩まされることになりました。
何も気づかない人は、文明開化の歌をうたっていればよかったのです。
しかし漱石には、それができませんでした。
苦しむ知識人の姿を次々と小説にしていきました。
『門』という作品には主人公が円覚寺に参禅して、自己をみつめるシーンが出てきます。
漱石は自分の後の時代も予想しています。
それがこの部分です。
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時々に押され刻々に押されて今日に至ったばかりでなく向後何年の間か、または恐らく永久に今日のごとく押されて行かなければ日本が日本として存在出来ないのだから外発的というより外ほかに仕方がない。
西洋の開化というものは我々よりも数十倍労力節約の機関を有する開化で、また我々よりも数十倍娯楽道楽の方面に積極的に活力を使用し得る方法を具備した開化である。
開化のあらゆる階段を順々に踏んで通る余裕を有もたないから、できるだけ大きな針でぼつぼつ縫って過ぎるのである。
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この言葉もきついですね。
十分な文化的背景を持たずに、付け焼刃で西洋化してみても、結局は砂上の楼閣にすぎないのだと言っています。
民主主義の根本原理1つをみても、なかなか日本に根付かない理由がまさにここにあるのではないでしょうか。
大きな針で縫ったところから、現在の日本を覆っている諸問題がこぼれ落ちている気がしてなりません。
夏目漱石の文明論は、今読んでもちっとも古びてはいないのです。
日本の将来を憂えていた言葉が、今に至るまで重く感じられてなりません。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。