表情と言葉
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回はコミュニケーションの問題について考えます。
複雑な世の中で、他者とどのように意思を疎通するのかというのは、大きな問題です。
人間は言葉の体系を持っています。
基本は互いに言語を使用することで、複雑な思考を相互に交換するのです。
ところが実際の意思伝達はそれほど、単純なものではありません。
今回の課題文は、言語以外の部分に重点をおいたものです。
筆者は言語学者、滝浦真人氏です。
お茶の水女子大学・文教育学部で小論文のテーマとして出題されました。
主題は「感情」です。
わかりやすくいえば、顔の表情なのです。
この文章ではその1つの例として「舌打ち」を取り上げています。
肺から吐く息を使わないので、音声学上は「吸着音」に分類されています。
もちろん、文字体系の中に入っているワケではありません。
しかしその表現にはかなりの潜在力があります。
一言でいえば、不同意であり、不機嫌な苛立ちの表現です。
言葉にならない言葉とでもいえばいいのかもしれません。
難解な表情とともに、舌打ちをされた場合、多くの人はたじろいでしまうのではないでしょうか。
言語の体系からはこぼれてしまう、こうした表現の持つ意味は複雑です。
コミュニケーションのための道具として、十分な意味を持ちえます。
今回は課題文を読み、その意味を読み取っていきましょう。
設問は次の通りです。
コミュニケーションの場における「言葉」と「表情」について、あなた自身の考えを600~800字以内で述べなさい。
ごく基本的な問題です。
最初に課題文を読んだら、自分の立ち位置を明確にしましょう。
課題文
舌打ちは、不満や苛立ちといった感情が音になって表面に現れたものです。
感情が顔などに出たものを「表情」と呼ぶのだとすれば、舌打ちは表情と似ていることになります。
意図的に表情を隠したり職業的に一定の表情を作ることに慣れている人でも、ふと自然の表情を見せてしまう瞬間は必ずあります。
もしも、意図せずして顔から完全に表情が消え去ってしまったら、人はそれを病気と呼ぶでしょう。
表情とは決して仮面のようなものではなく、つい図らずも顔に出てしまう喜怒哀楽の感情のことだと言うべきなのです。
そして、私たちが人の表情の中に「本当の」気持ちを読み取ろうとしたり、人の無言の表情がすべてを物語っているように感じられたりするのも、私たちが表情というものを、「不意に吐露された」内面として理解しているからにほかなりません。
顔の表情にならって、つい「ことば」に出てしまう感情のことを、ことばの表現ないし表情的なことばと呼ぶことができます。
今世紀を代表する言語学者の一人であるヤーコブソンは、この点に着目して、ことばのもつそうした働きを「情緒的・表情的機能」と呼んでいますが、つい出てしまう舌打ちは、とりもなおさずその一つの典型であることになるでしょう。
つまり舌打ちとは、不意に吐露された「表情」の一形態なのです。
ここで「表情的」ということを「非意図的」と置き換えてみましょう。
すると、伝達の意図がないことと、結果として伝達が生じてしまうこととは別の事柄だということに気づきます。
意図がないのに伝わってしまうとき、そのコミュニケーションの過程には、勘違いがあるか、そうでなければ真実があるかのどちらかでしょう。
伝えようという意図がない以上、そこには「嘘」という意図も入る余地がないからです。
顔の表情にせよことばの表情にせよ、私たちがしばしば「表情は嘘をつかない」と感じている原因はそこにありますし、他人の舌打ちから直ちに「意味」を読み取ろうとする理由もそこにあるでしょう。
二項対立
典型的な二項対立の問題です。
「言葉」と「表情」を対立軸としてとらえることで、文章の内容が浮き彫りになります。
筆者の論点にそれほど難しいところはありません。
日常的に多くの人が感じている内容を、言葉にしたものです。
ここではあえて、練習のために「言葉」を重視する立場と、「表情」を重視する立場に分けて考えてみましょう。
入試の場合、本来の自分の考えとは違う方向から書きなさいという指示を出されるケースもあります。
この課題文でいえば、「言葉」か「表情」かのどちらかの立場にたってまとめなさいということになります。
自分はこちらを重視したいと考えていても、反対の立場を強要されることもあるのです。
解答の構成について考えてみましょう。
「言葉」を重視するべきだという論点の場合
➀他者とコミュニケーションをとる手段として、最も大切なものは言語である。
②意図を正確に伝えるために言語は必須である。
③表情による伝達は意思をきちんと伝えにくく、誤解が生じる危険性もある。
「表情」を重視するべきだという論点の場合
➀言葉の重要性は認めるものの、表情がそれ以上に多くの内容を効果的に伝える。
「目は口ほどにものをいう」という表現があるくらいである。
②言葉には自ずから限界がある。
③言葉では自分の意思と反対のことを言えるが、表情は感情をストレートにあらわす。
人間のコミュニケーションにはよく「ノンバーバル」という表現が使われますね。
ちょっとした目つきや、手や足の組み方、所作事に大きな意味があると指摘する心理学の本も多数あります。
日本語では「非言語的」と訳します。
顔の表情はもちろんのこと、声の抑揚、視線、身振り手振り、ジェスチャーなどのすべてです。
課題文では「舌打ち」が例にあげられていますが、それだけではありません。
実際にはさまざまな表現があるのです。
言葉の限界
どちらの立場をメインにするかで、当然内容がかわります。
ここでは言葉の持つ限界性を題材にして、例文を考えてみました。
あくまでも1つの例です。
参考になれば幸いです。
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人間は言葉を使って、ここまで文明を築きあげてきた。
多くの先人たちの書物が現在も読まれ、検証され続けている。
しかし今世紀に入ってインターネットの普及が急速に世界を変化させた。
特にSNSなどで交わされる言葉には、多くの問題が含まれている。
例えばフェイクと呼ばれる偽情報について考えてみよう。
従来ならば、コミュニケーションの手段として公開された言葉には誤解が生じることが少なかった。
しかし現在はどうか。
誤った情報を流したり、それがあたかも相手の捏造によるものであるという見解まで発表されることもある。
政治の世界ではそうした行為が頻繁に行われ、世界を瞬時にかけまわっている。
それを発表した人の表情を同時に見ることができれば、判断可能なこともあるだろう。
しかしそれはかなわないのである。
政治家の答弁などを聞いていると、その内容が全くみえてこないことがよくある。
核心の部分がすべて曖昧にされ、記号の羅列としか考えられない言葉が語られる。
表現に対する信頼を失わせてしまうほどの惨憺たる有様なのだ。
言語明快、意味不明といわれる症状である。
私たちは、言葉に対する信頼を引き受ける覚悟を持たなければならない。
今日、コミュニケーションの場では、ノンバーバルな部分の表現をより重視せざるを得ない状況になってしまった。
残念だが、それが現実である。
言葉の世界は確実にやせ細っていると言わざるを得ないのである。
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この解答は言語よりも表情の方に重点を置いたものです。
もちろん、その反対も考えられます。
さまざまな視点から練習してみてください。
理解しやすい内容だけに、いい題材です。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。