【小論文・表現の選択】「なので」は改まった場面や書き言葉には不向き

落語

「なので」という表現

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は小論文における語彙について考えてみましょう。

以前、このサイトで「違くて」「違かった」については説明しましたね。

はっきりさせておきましょう。

この使用法は誤りです。

確かに日常の場面ではよく耳にします。

しかし小論文の表現には向いていません。

何の気なしに使ってしまうことがありますが、これだけは絶対に避けてください。

最近はSNSやツイッターが普及したため、表現が全体に柔らかくなっています。

日常的に使う会話の言葉がそのまま、応用されて入ってきているのです。

それを読んだ多くの人が、この表現もOKなのだと認識してしまうのでしょう。

書き言葉を使うべき受験生にとって、非常に厄介な兆候です。

小論文は明らかによそ行きの文章で書くべきものです。

どちらかといえば、制服を着ている気分とでもいえばいいでしようか。

きちんとしていなければなりません。

それだけに変に着崩してしまうと、かえって見苦しくなってしまいます。

大切な表現の1つ1つに、十分注意して神経を使ってください。

そういう意味で近頃、ある表現が気になります。

「なので」がそれです。

添削をしていて、時々見かける言葉です。

かなり違和感がありますね。

少し気にかけていると、会話やスピーチの中には実によく出てくることに気づきます。

話しことばと書き言葉

例をあげましょう。

「朝、家を出る前に空をみると、いつもより雲が多く暗かった。なので、慌てて傘をバッグに入れた。」

「この小説は今までに読んだものの中でも10本の指に入る。なので、皆さんにもぜひ読んでいただきたい。」

ここにあるような「なので」の使い方が代表的なパターンです。

言葉の使用には個人差があります。

あながちにこの使い方が全てNGだというわけではありません。

話し言葉ではごく普通になりつつあります。

しかし小論文には不向きなのです。

SNSやツイッターの影響は、想像以上に大きいものがあります。

なにげなく誰かが使い始めた表現が、いつの間にか大手をふるって表通りを歩くということもあります。

ではこの「なので」は、どこがいけないのでしょうか。

元々、どういう働きをもつ言葉なのでしょうか。

文法的に説明すると断定の助動詞「だ」の連体形=「な」や形容動詞の連体形活用語尾=「な」に「接続助詞「ので」が付いたものです。

接続詞ではなく連語なのです。

文章を繋ぐ役目を本来持っていません。

すなわち本来の用法からは逸脱しています。

今後、小論文で「なので」は使わないようにしてください。

2つの文章を「なので」で繋げないようにするのが、最もいい方法でしょうね。

意識していれば、すぐに出てこなくなります。

ふっと気が緩んで使ってしまったら、ただちに書き直してください。

どうしても2つの文に区切りたいときは、「だから」などを使えばいいでしょう。

しかし文全体のレベルとしては、あまり高いものとは言えません。

より適切な表現を探すことが大切です。

練習を繰り返す

具体的にはどうしたらいいのでしょうか。

練習しかありませんね。

たくさんの文章に触れることと、身体の中に良質の語彙を染み込ませることです。

暇な時間にスマホに載っている呟きに近い短文ばかりを読んでいると、てきめんに力が落ちます。

言葉は生きています。

それだけに伝搬力が強いのです。

短い呟きばかりでは、論理的な思考力が身につきません。

心して、論理性のある評論などを読むようにしてください。

ちなみに「になります」も気になる表現の1つです。

よく喫茶店とか食堂などに入ると、従業員がこの表現を使うのに出会いますね。

「こちらコーヒーになります。」「ご注文の商品になります。」という言い方です。

これと同じ用法を小論文でしてしまうと、完全に言葉の世界が壊れると記憶しておいてください。

小論文の基本は、楷書体で書く書道と同じです。

文体を崩してはいけません。

1番参考になるのが、新聞の文体です。

5W1Hをきちんと守り、短文を積み重ねる書き方をしています。

コラムを写したりするのもいい方法です。

使ってはいけない表現を、自分で守れるかどうかも、小論文の試験では試されるのです。

「とても」という表現

もう1つ、よく話題になるのが「とても」の使い方ですね。

一般的にはくだけた言葉の部類に入ります。

小論文では基本的にはあまり使わない方がいいです。

この表現を多用すると、文章の印象がとても安っぽいものに変化します。

なにが「とても」なのかということを突き詰めていくと、かなり曖昧な表現なのです。

以前は「全然」と同じで、あとに否定的な表現をともなうのが自然でした。

それがいつのまにか「とてもいい」「とてもすばらしい」という感覚でも使われることになっていったのです。

しかし小論文には馴染みません。

どこまでいっても楷書体の文言を好むからです。

そういう意味で、上達のための方法論は、評論を読むことに尽きます。

小説をたくさん読めば、小論文がうまくなるということはありません。

小説は人間の感情を背後で支えるものです。

それに比べると、評論は論理の組み立てが全てです。

あなたの感情を書く必要はないのです。

小説とは明らかに違います。

そこのところを勘違いしてしまうと、最悪の結果が待っています。

最後に大切なことを書いておきます。

それはあなたの経験を過大に評価して書かないことです。

その経験の記述は、あなた自身の上に起こったときのことに過ぎません。

だれにでもそのプロセスを応用できるとは限らないのです。

他の人にとっては、まったく意味をなさないということもあり得ます。

経験談をうまくとりいれるときは、よほどの注意が必要なのです。

酔いしれてはいけません。

だれにでも敷衍できる内容であることが、なによりも大切です。

文章を書くということはそこまでの注意力を必要とします。

意識的に語彙力を養ってください。

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それが小論文突破の秘訣なのです。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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