【落語】左甚五郎入魂の彫り物・ねずみが動いたという人情噺の傑作

落語

名作「ねずみ」

みなさん、こんにちは。

アマチュア落語家、すい喬です。

今回は動物ネタでいきましょう。

落語にはいろいろな生き物が出てきます。

一番多いのはなんでしょうか。

狸、狐あたりが一番ですかね。

狐七化け狸は八化けといいます。

狸の方が愛嬌があってかわいいですね。

お札になったり、サイコロになったり、鯉に化けたり。

誠に忙しいことです。

もっと小さいところではねずみでしょうか。

元々は浪曲の演目でした。

それを三代目桂三木助が現在の形にしたのです。

文字通りのタイトル「ねずみ」がそれです

今回は名作の誉れ高いこの噺のことを書かせてください。

ぼくの好きな噺です。

いつ頃覚えたのでしょうか。

どうもはっきりしません。

一番何度も聞いたのは、入船亭扇橋師匠のです。

独特のやさしい口調で、つい聞き惚れてしまいました。

今は弟子の入船亭扇遊がよくやっています。

桂歌丸、立川志の輔など、いろんな人のがありますね、

どこが難しいというのではありません。

全体の流れが不自然にならないように、演じなければいけないのです。

途中から土地の人間が出てくる構成になっています。

あえていえば、そこでかなりトーンが変化しますので、正確に描写する必要があります。

左甚五郎の噺

この人の出てくる落語は多いですね。

名人と呼ばれる人にはどこか偏屈なところがあって、独特の味を持っています。

それが落語にちょうどあっているのかもしれません。

元々、日本人は名人が好きです。

尊敬の念を持っています。

とくに左甚五郎という名前が出ると、それだけで信用してしまうようなところがあります

「竹の水仙」「三井の大黒」「ねずみ」というところが代表でしょうか。

「竹の水仙」はストーリーが「抜け雀」にかなり似ています。

ただし「抜け雀」の主人公にはなぜか名前がありません。

最初の出だしなどを聞いていると、どちらの噺に入っていくのかわからないくらいです。

途中から展開がガラリとかわります。

しかしそれまではほとんど変化がありません。

「三井の大黒」は桂三木助のが一番好きです。

茫洋とした左甚五郎の味わいがいいですね。

柳家小さんの甚五郎もいい味です。

三木助のと聞き比べてみると、面白いでしょう。

この2人はとにかく仲良しでした。

三木助は自分の息子に小さんの本名をつけたくらいです。

義兄弟の契りを結んだことでも有名です。

今は入船亭扇遊が扇橋師匠と似た味わいを出しつつ、「三井の大黒」をやっています。

全く同じ噺でも、演者がかわると、味わいがかわる。

これが落語の醍醐味ですかね。

ちなみにぼくは「ねずみ」と「抜け雀」しかやりません。

残りの2つもいずれ覚えたいです。

こういう噺は大好きです。

どれも30分はたっぷりとかかります。

あらすじ

主人公は左甚五郎です。

飛騨高山の生まれとなっていますが、本当のところはよくわかっていないようです。

日光東照宮の眠り猫が有名ですね。

奥州への旅の途中、仙台で客引の子どもに呼び止められます。

教えられた通り、ねずみ屋へ赴くと腰の立たない主人と子どもだけの2人でやっている粗末な宿があるきりでした。

足をすすぐのは裏の小川。

夕飯は父子二人分込みの出前のお寿司。

Templune / Pixabay

布団は貸布団です。

なぜ女中を置かないのかと主人に聞くと、こんな話が飛び出してきました。

主人「自分は以前向かいの虎屋の主人でした。5年前に女房を亡くし、古くからいる女中を後添えにしたのです。ある時、二階の座敷で客同士の喧嘩の仲裁に入ったところ、その巻き添えで階段から転がり落ち、腰の立たない身体になってしまいました。その後、女房は番頭とくっつき、私たちはこの物置小屋へ追いやられたのです」

話を聞き終えた甚五郎は心に思うところがあったのでしょう。

適当な木端を持って二階へ上がります。

主人が宿帳を見ると甚五郎としたためてありました。

その晩、精魂込めて一匹の小さなねずみを彫り上げたのです。

翌朝、甚五郎は木の鼠をたらいに入れて竹の網をかけます。

福ねずみと書かれた札を入口に掲げさせました。

このねずみをご覧になりたい方は、土地の人、旅の人を問わずぜひねずみ屋にお泊りくださいとしたためたのです。

そして宿を後にします。

通りかかった近所の百姓がこれに気づきます。

甚五郎の名は仙台にも知れ渡っていました。

ねずみを見せてもらうと、たらいの中でちょろちょろと動き回ります。

さすがはと感心し、ねずみ屋に泊まることになりました。

噂はすぐに広がってねずみを一目見ようと、次から次へと見物人が押し寄せます。

ねずみ屋は大繁盛し、空き地に建て増しを繰り返し、使用人も置くようになりました。

それに引き替え向かいの虎屋には悪い評判が広がり、客足は遠のく一方です。

困った番頭は仙台城下一の名人、飯田丹下に頼んで虎を彫ってもらうことになります。

二階の手摺りに据え付けてねずみを睨みました。

それ以降、ねずみは少しも動きません。

主人は怒ったとたんに突然腰が立ちます。

ずっと立たないと思って立とうとしなかったから立てなかっただけで、立とうと思えばとっくに立つことができたのです。

ここは必ず笑ってもらえるおいしいフレーズです。

江戸に帰っている甚五郎におかげさまで私の腰が立ちましたが、ねずみの腰が抜けましたと手紙を送ります。

甚五郎はすぐに仙台へやって来ました。

虎屋の二階を見ると確かに大きな虎がこっちを見ています。

しかし虎には何の風格もありません。

目に恨みがこもっています。

甚五郎「おい、ねずみ、俺はお前を彫る時に魂を打ち込んで彫り上げたつもりだ。お前はあんな虎がそんなに恐いのか」

ねずみ「えっ、あれ虎ですか。てっきり猫かと思いました」

最後のオチが秀逸ですね。

何度やっても、ここは実に気持ちがいいです。

人間の真心

この噺にあるのは、人の心です。

甚五郎という人はいくらお金を出されても気にくわない仕事はやりません。

そのかわり、これぞと思うときには寝食を忘れて打ち込む。

その姿が目に見えるからこそ、聞いていて、いい気持ちになるのです。

困った人のためになんとか尽力してあげたいという、やさしい心の持ち主なんでしょう。

江戸の人にとって心が通うということの意味は重かったに違いありません。

これは今も同じことです。

どうしても損得でものごとを判断しがちな世の中ですから、なおのこと、この噺が光ってみえます。

そこに名人気質の甚五郎が重なることで、実に心地のいい人情噺に仕上がっています。

自分でやっていても、とても気持ちがいいです。

こういう人間に憧れる自分をもち続けたいものだと思います。

左甚五郎を扱ったものの中でも、「ねずみ」は一番人の心に寄り添った優しい噺です。

落語は語る人間が卑しければ、それが表面に浮き上がってきます。

そういう怖い芸です。

五代目柳家小さんはいつもそのことを弟子達に語ってきました。

心根が全て出るぞ、と。

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だからいい人間になれと繰り返しました。

人間性のことを小さんは「了見」と言いました。

その言葉の意味を噛みしめたいと思います。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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