【葉山嘉樹】セメント樽の中の手紙はワーキングプア・トラウマ小説

プロレタリア文学

みなさん、こんにちは。

元高校国語科教師、40年の経歴を持つすい喬です。

今回は国語の授業で扱った『セメント樽の中の手紙』について書きます。

そんな小説知らないという人もいるかもしれません。

随分と昔の作品です。

今では青空文庫で読めます。

ご存知ですね。

ネットで読める無料の小説です。

是非、試しに開いてみてください。

タブレットで読むのもいいですね。

著者は葉山嘉樹という明治生まれの作家です。

授業でやらなければ、絶対に名前すら聞かないままの人です。

『蟹工船』を書いた小林多喜二と並んで日本のプロレタリア文学を代表する作家です。

覚えておいてください。

プロレタリアという言葉を聞いたことがありますか。

今となっては完全に死語です。

資産家階級、ブルジョアジーの反対概念です。

無産者階級のことをプロレタリア-トと呼びました。

ワーキングプアとの違い

プロレタリアートと現代のワーキングプアとは明らかに違うと思います。

しかしここ数年、小林多喜二の『蟹工船』が突然脚光を浴びたのは意外でした。

戦後全く読まれることがなかったのです。

ところがワーキングプアの問題が注目されるにしたがい、かなりの部数が売れました。

『蟹工船』は昭和初期を時代背景にした小説です。

北の海で働く人達と彼らを人間扱いしない現場監督との対比を元に、過酷な労働の様子が再現されています。

蟹工船の世界はネットカフェ難民に象徴されるようなワーキング・プアと同じなのでしょうか。

やはり内実が違うと言わざるを得ません。

ネットもテレビもコンビニすらない時代と現在とを全く同じように論じることはできないでしょう。

農家は貧しく、明日食べるものもなかった時代です。

それに比べると餓死する者がいない現在、同じ視点で考えることは難しいです。

それでも部分的には似た内容を認めざるを得ません。

そこにこの問題の複雑さがあります。

厳しい肉体労働と低い賃金のセットをイメージしてください。

いくら働いても生活が楽にならない人々のことです。

形は違えど、今も全くいないワケではありません。

しかし働くということの質が変化しました。

娘を売ってしまうなどということが、ごく普通に行われていた時代なのです。

現在と同等に扱うことはできません。

悩ましいところです。

『セメント樽の中の手紙』も『蟹工船』とまったく同じ線上にある小説です。

内容があまりにも衝撃的なので、すすんで授業に取り上げるということはありませんでした。

ところがこの作品には力があります。

生徒が食いついてくるのです。

想像を絶する世界が描かれているので、細かいところは理解できないのかもしれません。

労働の中身についてまで、生徒に認識させるのはなかなか難しいと思います。

時代背景をきちんと理解しないと、内容の鑑賞というレベルには到達できないです。

ホラー映画を見ているような感覚なのでしょうか。

もちろん、時間がたてばタイトルも作者名も忘れてしまうに違いないのです。

しかしあのセメントになって粉々になった男の話だというと、たいていの生徒が思い出します。

それくらい強いインパクトがあるようです。

その瞬間の映像が思い浮かぶのかもしれません。

あらすじ

主人公、松戸与三はセメントをミキサーに入れる作業員でした。

1日11時間労働。

休みもほとんどありません。

ベルトコンベアにのって運ばれてくるセメントを移すだけの単純労働です。

セメントの粉塵が舞う環境の中で、鼻に入ったコンクリの粉を拭く暇もないほど忙しいのです。

いつものように疲れ切って作業をしていると、セメントの中から木の小箱が出てきました。

まさかとは思ったものの金目のものかもしれません。

そのままポケットにしまい込みました。

仕事が終わって真っすぐ家路につきました。

給料が安く酒を飲む場所も自分の家しかありません。

贅沢ができるはずもなかったのです。

ふと木箱の事を思い出します。

開けてみると中から手紙が出てきました。

手紙の主はセメント会社の女工で、そこには同僚だった恋人のことが書かれていました。

恋人は破砕機に巻き込まれて死んでしまったというのです。

仲間が助け出そうとしたものの、恋人は水の中へ溺れるように、石の下へ沈んでいってしまいました。

やがて砕かれセメントになって全てが終わったのです。

彼はきっと立派にセメントとしての役目を果たすに違いありません。

あなたが労働者であれば恋人が何になったのかをどうか知らせてくれれば幸いです。

手紙にはそう書かれていました。

家に帰った与三は茶碗に注いであった酒を飲み欲し「へべれけに酔っ払って何もかも打ぶち壊してやりたいなあ」と怒鳴ります。

しかしそばにいた妻は大きなお腹をかかえています。

細君の大きな腹には7人目の子が宿っているのでした。

働くことの意味

ここに描かれたのは、どこまでいっても救いのないプロレタリアートの生活です。

手紙にはもしあなたが同じ労働者だったら、返事をくださいとあります。

そうしたら恋人の着ていた仕事着の切れっ端をあなたにあげますとありました。

その布に手紙が包んであったのです。

汗と石の粉が染みこんでいるのです。

このセメントをどこで使ったのか教えてくださいとも書かれています。

どんなところで使ってくれてもかまわないと気丈にしたためてあります。

金持ち達が歩く劇場の廊下でも、大きな邸宅の塀でもいいというのです。

本当は金持ち達のために使って欲しくないというのが偽りのない気持ちでしょう。

しかしそれでも仕方がない。

qimono / Pixabay

それ相当の働きをきちんとするのが恋人だったあの人の生き方だと言い切るのです。

今日、格差社会だとよく言われます。

本当に貧しい人々がいることも事実です。

これと同じような事態がまったくないということは言えません。

かつては産業廃棄物で被害をうけ、身体に麻痺を起こして亡くなった人々もいました。

似たような展開はどこでも起こるのかもしれません。

毎回この作品を扱う度にいろいろなことを考えさせられました。

経済的な不況下で派遣社員などの非正規雇用も増えています。

そうした意味でプロレタリア文学は全く過去のものだとも言い切れません。

もちろん質は違います。

だからこそ、現在も授業の中で扱われているのでしょう。

自分のおかれている環境の中で想像しようとしても、なかなかできません。

それだけに授業の運び方が難しかったです。

しかし人間の生の声が届きます。

それがこの作品の強みではないでしょうか。

この作品以外にはプロレタリア文学を扱った記憶はありません。

それだけ広い視野をもった小説だといえますね。

それにしても内容は衝撃的で、もしかするとトラウマのようになる可能性があります。

感受性の豊かな時代にこのような作品を扱うことの意味を考えてみてください。

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主人公、松戸与三はこれからどのような一生を送るのでしょうか。

7人目の子供を抱えていく夫婦の未来を想像してください。

与三がもし、この女工に手紙を送るとしたら、どんな内容になりますか。

これも興味深いです。

女工という言葉が消えてからどれほどの時間がたったのでしょう。

しかし再びワーキングプアの広がる現実は、その表現の意味を考えさせるところにきています。

大きな声でどなる夫の隣で細君はこう言います。

「へべれけになって暴れられてたまるものですか、子供たちをどうします」

重い響きのある発言です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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