【清兵衛と瓢箪・志賀直哉】父親の無理解を題材にして描いた名短編

小説の神様

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は志賀直哉の短編を取り上げます。

高校で習いましたか。

1年生の教科書に載っているケースが多いです。

とても短いので、授業の時間調整にも使えます。

もう今では志賀直哉を読む人はほとんどいないでしょうね。

『暗夜行路』一作を書くために生涯苦しんだ人です。

父親との葛藤が丹念に書き込まれています。

しかしその解決をみた後では、不思議なくらいに穏やかな世界に遊んだ人でもあります。

『城の崎にて』なども教科書に載っています。

その息苦しさに比べて、『和解』は明るいです。

今回取り上げる『清兵衛と瓢箪』は本当に短い作品です。

わずかな長さの小説なので読むのに10分もかからないでしょう。

ちょっと探してみてください。

タイトルが面白いですね。

瓢箪をご存じですか。

見たことはありますよね。

不思議な形をしています。

このフォルムが、小説の味わいに大きく関係しています。

題材が瓢箪でなかったら、ここまでの読者を獲得することはできなかったでしょう。

どこかとぼけていますものね。

主人公の清兵衛は自我と感性が鋭い少年です。

ここには志賀直哉自身の姿をみてとることができます。

しかし作家はそのまま現実を描いたワケではありません。

幾つもの寓話をそこに差し込んでいます。

あらすじ

小学校に通う12歳の清兵衛は瓢箪が好きでした。

皮付きの瓢箪を買ってきては自分で口を切ったり中の種を出したりして加工するのです。

昔は水筒のかわりや、お酒を入れておく容器に使われました。

見たことがありますよね。

中を空洞にすると、丈夫でしかも軽いのです。

清兵衛はできあがった瓢箪には目も向けませんでした。

geralt / Pixabay

町を歩いてはたえず骨董屋、八百屋、駄菓子屋などにぶら下がっている瓢箪を眺めます。

ある日、見慣れない場所でお婆さんが干柿や蜜柑を売っているのを見つけました。

そこに格別いい瓢箪を見つけた清兵衛は10銭でそれを手に入れます。

それからは毎日手入れをして大切にしました。

ところがある時学校で先生に見つかり取り上げられてしまったのです。

先生は清兵衛の家を訪れて母親に注意をしました。

母親からその話を聞いた父親は怒り、瓢箪を金づちで割ってしまいます。

その後、清兵衛が大事にしていた瓢箪は学校の小使いさんから近所の骨董屋の手に入りました。

交渉の末、50円で骨董屋が買取ってくれました。

小使いさんは大喜びします。

4か月分の月給と同じ額だったのです。

しかしその瓢箪は骨董屋の手を経て、地方の金持ちに600円で引き取られました。

その頃、清兵衛は瓢箪を諦め、絵を描くことに興味を持つようになっていたのです。

才能

この話のポイントは瓢箪の良しあしがわかったのは清兵衛だけというところです。

ものの価値を見抜く才能というのは、生まれつきのものなのかもしれません。

音楽でも美術でもなんでも同じです。

清兵衛にとって、それは瓢箪でした。

格別に高価なものではありません。

当時はだれもが日常生活に使うものでした。

しかし見る人がみれば、そこに自ずと価値の差があったのです。

ところがその才能は教員や父親にはわかりません。

誰からも「将来見込みのないやつ」と言われることになります。

そして彼は絵を描くことに興味を移していくことになります。

これは作者の志賀直哉自身が父親と仲が悪かったことと関連があると言われています。

小説など書いて将来どうするつもりだと父親はよく言ったそうです。

この作品の背景にあるそうした一面を読み取らなければなりません。

清兵衛の境遇に対する親近感が、この作品をより自在なものにしたのです。

westerper / Pixabay

清兵衛はなぜ古い出来上がった瓢箪より皮付きのものを好んだのでしょうか。

よく授業で訊く質問の1つです。

多くの生徒がこれにはすぐ答えてくれました。

自分で気に入った素材を探し、それを思うように加工したかったのです。

創造することの楽しさを知っていたということです。

まさに小説を書きたかった志賀直哉の姿そのものを髣髴とさせますね。

では受け持ちの先生はなぜ清兵衛の瓢箪に対して冷たい態度をとったのでしょう。

これは少し難しかったかもしれません。

一言でいえば、先生はこの土地に馴染んでいないことを示しているのです。

瓢箪が先生の疎外感を際立たせる役割を果たしています。

土地の人の暮らしを間近に見ていないといえるでしょう。

瓢箪が持つ意味

清兵衛が手に入れた瓢箪はどういった存在だったのか。

これも面白い質問です。

清兵衛の目の確かさですね。

俗に目利きという言葉があります。

理屈ではありません。

ものの価値を先天的に見抜く目があったのでしょう。

志賀直哉の『城の崎にて』などを読むと、ある種病的なセンスを感じます。

他の人などには見えない生き物の先にある死までを読み込む力です。

関心がある方は是非、あわせて読んでみて下さい。

清兵衛は瓢箪を全て割られた後、絵を描くことに没頭していきます。

これも彼の芸術家としての将来を暗示しているのです。

『清兵衛と瓢箪』は志賀直哉の作品の中でも比較的初期の作品です。

彼の作品には子供がよく登場します。

無邪気な発想力の中に何かを感じていたのでしょうね。

『小僧の神様』などもその1つです。

これもあわせて読んでみてください。

清兵衛という少年をさらりと描いているだけに、かえって読後感が爽やかなのです。

本当ならもっと大人に対しての反抗があってもいいのかもしれません。

しかし12歳の少年を配置した志賀直哉のセンスが光ります。

大人の持つ貧しい審美眼がかえって浮き彫りになっています。

少しのお金で儲けた気になる小使いさんの横顔にも、大人の世界の貧しさがあらわれています。

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志賀直哉の作品に挑戦したくなったら、『暗夜行路』まで是非読み進んでみてください。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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