夏目漱石・吾輩は猫であるは落語テイストのラノベ小説

読むのはしんどい

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

40年間、国語科の高校教師でした。

夏目漱石の小説も随分授業でやりました。

代表はもちろん『こころ』です。

あとは『夢十夜』。

評論では『現代日本の開化』と『私の個人主義』かな。

一番多くやったのはなんといっても『こころ』です。

最初にどうして漱石なんていう名前になったのか。

本名は夏目金之助です。

すごい名前ですね。

漱石は俳句の号です。

元々は「枕石漱流」が正しいのです。

石に枕して、流れに口すすぐと読みます。

自然の中で隠遁して自由に暮らすという意味です。

qimono / Pixabay

ところが彼はちょっとひねくれて「漱石枕流」にしました。

「石で口すすぎ、流れに枕す」と読みかえたのです。

きっと最初のじゃ、いやだと思ったんでしょう。

つむじ曲がりな人ですね。

さて彼が最初に書いた小説は何でしょうか。

それがこの『吾輩は猫である』なんです。

夏目漱石最初の長編小説です。

1905年(明治38年)1月、『ホトトギス』に発表されました。

幸い好評を博したため、翌1906年(明治39年)8月まで続いたのです。

吾輩は猫である。名前はまだ無い。
どこで生れたかとんと見当がつかぬ。
何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。

という書き出しはあまりにも有名です。

誰でもよく知っています。

しかしその後、全編を読んだという人にあまり会ったことはありません。

生徒にも随分勧めましたが、だいたい途中で脱落しています。

ああ、あの猫の話でしょで終わりです。

どうしてなのか。

難しいんです。

どこが面白いのか

どこが面白いんでしょう。

難しい質問です。

一言でいえば、名人の落語家が語るムダのない高度なおしゃべりにあります。

知識と教養を裏に秘めながら、話は淡々と進むのです。

ユーモラスな語り口がなんとも言えません。

mohamed_hassan / Pixabay

それが知らない間に、あちこちから洩れてきてテンポよく聞こえるのです。

わかりますか。

あからさまに面白いことを言って笑わせてやろうなんて、少しも思っていません。

漱石はちょっと偏屈なおじさんです。

どうしてこんな落語みたいな小説が書けたのか。

それは彼の落語好きにあるのです。

代表作『三四郎』の中にあるこの一節は特に有名です。

小さんは天才である。
あんな芸術家は滅多に出るものぢゃない。
いつでも聞けると思うから安っぽい感じがして、はなはだ気の毒だ。
じつは彼と時を同じゅうして生きている我々はたいへんなしあわせである

漱石は三代目小さんが特に御贔屓でした。

ここに落語と漱石の関係がよく出ています。

この小説の中で一番落語のネタをそのまんま使ったところは泥棒のシーンです。

主人公の苦沙弥先生が泥棒に入られた翌朝、巡査が訪ねてきます。

その時の夫婦の会話。

落語の「出来心」とパターンは全くおんなじです。

せっかくですから、少し前に書いたぼくのブログも参考に貼っておきますね。

とびきり縁起がいい泥棒の落語7話を一挙特選
落語の中でもとびきり縁起がいいのが、泥棒の噺です。お客様の懐に飛び込んでお宝を頂戴するというワケ。今回はとびきりドジな泥棒が活躍する7つの噺をご紹介しましょう。とっても楽しい噺ばかりですよ。

この噺は「花色木綿」というタイトルでよく寄席にもかかります。

「帯までとって行ったのか、ひどい奴だ。それじゃ帯から書き付けてやろう。帯はどんな帯だ」
「どんな帯って、そんなに何本もあるもんですか。黒繻子と縮緬の腹合せの帯です」
「黒繻子と縮緬の腹合せの帯一筋、価はいくら位だ」
「六円位でしょう」
「生意気に高い帯をしめてるな。今度から一円五十銭位のにしておけ」
「そんな帯があるものですか。それだからあなたは不人情だと言うんです」
「まあいいや、それから何だ」
「糸織の羽織です」
「値段はいくらだ」
「十五円」
「十五円の羽織を着るなんて、身分不相応だ」
「いいじゃありませんか、あなたに買っていただきゃしまいし」
「その次はなんだ」
「黒足袋が一足」
「おまえのか」
「あなたんでさあね。代価が二十七銭」
「それから」
「山の芋が一箱」
「山の芋まで持って行ったのか。煮て食うつもりか、とろろ汁にするつもりか」
「どうするつもりか知りません。泥棒の所へ行って聞いていらっしゃい」

これは泥棒に入られた八っつあんと大家さんとの会話をそのまんま利用したパターンです。

つい笑っちゃいますね。

登場人物とモデル

この小説の主な登場人物は以下の通りです。

珍野苦沙弥(ちんの くしゃみ)
「吾輩」の飼い主になった中学校の英語教師。
夏目漱石自身がモデルであったと言われています。

迷亭 (めいてい)
苦沙弥の友人。しょっちゅう彼の家に上り込んできます。

金田鼻子
近所に住む実業家である金田の奥さん。巨大な鼻が特徴。

金田富子
金田の娘。演奏会で水島寒月に一目惚れ。

水島寒月 (みずしま かんげつ)
苦沙弥の旧門下生で理学士。バイオリンが趣味。
金田富子に一目惚れ。モデルは随筆家、寺田寅彦と言われています。

越智東風 (おち とうふう)
水島寒月の友人。寒月とは恋敵。

八木 独仙(やぎ どくせん)
『電光影裏に春風をきる』が十八番の苦沙弥先生の同窓。

多々良 三平(たたら さんぺい)
苦沙弥先生宅の元書生。現在は六つ井物産勤務。

5688709 / Pixabay

つまりこの小説は寺田寅彦をモデルにした水島寒月という理学者とその縁談の相手とされる金田家の令嬢富子との間の結婚話ということになります。

さらに寒月の師にあたる珍野苦沙弥先生と、そこへ集まってくる閑人たちの風雅にしてどうでもいいような騒ぎを、猫の目を通して書いたものなのです。

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今でいえば、完全にユーモア・ラノベ小説かな。

しかしこれを全編読み通すのはなかなかのパワーを必要とします。

前半はどちらかといえば、ただ笑って素通りできますが、後半になると急に文明批評がでてきたりして、漱石の厄介なところがまる見えになります。

たとえば、夫婦別居論なんていうのも飛び出してきます。

女の人が学校にいって教育を受けるとますます利口になる。

すると偉くなって、バカな夫などと一緒に住むのがいやになる。

さらに親子の関係も保ちがたい。

だからこれからは夫婦は別居する人が増えるだろうなどという予測を明治時代にすでにしています。

猫に語らせるなんて、なんと怖ろしいことでしょうか。

まさに今、こうなってますものね。

水島寒月とバイオリン

この小説は続けて読まなくても平気です。

好きなところだけを拾い読みして、時にニヤニヤするというのが最適な読み方かもしれません。

面白いところはいくつもあります。

その中でも苦沙弥先生が銭湯に入っているところを、猫が覗くシーンはなかなかのものです。

洗い場で自分の斜め前にいる相客が湯をはね返してしきりに洗っています。

それを見ると急にむしゃくしゃして、湯がかかるぞ気をつけろと怒鳴ったりもします。

さらに隣りの敷地にある落雲館中学野球部のボールが庭にちょいちょい飛び込んでくるので、談判にでかけるシーンも見物です。

これは実際にある郁文館中学に何度も怒鳴り込んだ漱石の被害妄想癖と関係があると言われています。

躁鬱質だった漱石は機嫌のいい時と悪い時の落差がかなり激しかったと鏡子夫人の書いた本『漱石の思い出』にもたくさん書いてあります。

最悪の時はちゃぶ台返しで全部庭に放り投げたこともあるとか。

HeungSoon / Pixabay

ぼくが好きなのは、水島寒月が高校時代、バイオリンを買いにいくシーンです。

これも完全に落語のパロディで、道中付けをそのまま使っています。

何度も店の前を行ったりきたりしながら、なかなかお店の中にはいれないところは、なんとなく「笠碁」の雰囲気を思い出したりして、つい笑っちゃいます。

場所はどこか。

寺田寅彦が英語科教師だった夏目漱石と初めて出会った熊本第五高等学校のある熊本のあたりかもしれません。

「南郷街道をついに二丁来て、鷹台町から市内に入って古城町を通って、仙石町を曲がって、喰代町を横に見て、通町を一丁目、二丁目、三丁目と順に通り越して、それから尾張町、名古屋町、鯱鉾町、蒲鉾町…。

これらの町名の全てが架空のものです。

なかなか楽器屋へたどり着けません。

ご存知の方はすぐにわかりますね。

落語「黄金餅」の道中付けをまねしてあります。

これが後の理学博士、寺田寅彦の若い日の姿だと思うだけで、親近感がわきますね。

高等遊民なんていう言葉はもうありませんけど、実に味わいの深い小説です。

どこから読んでもいいといわれると、『源氏物語』をふと思い出します。

どうでしょう。

一冊そばに置いておいて。

時々ページを開くというのは。

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あるいは青空文庫という手もあります。

これは無料。

ネットですぐに読めますよ。

『吾輩は猫である』は高踏な知的落語の粋がつまったラノベです。

ご一読をオススメいたします。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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