とびきり縁起がいい泥棒の落語7話を一挙特選

落語

芸は砂の山

みなさん、こんにちは。

アマチュア落語家すい喬です。

毎日暑いのでお稽古も少しさぼり気味。

しかし隔週がお稽古日なので、そろそろちゃんとやらないと。

六代目三遊亭圓生はいつも「芸は砂の山」と言っていました。

いくら積んでもすぐに崩れるということです。

Cuyahoga / Pixabay

その時は随分とうまくなったような気がしても、手を抜いていると、すぐ元に戻ってしまう。

厳しい言葉です。

これは実際に自分が落語をやり始めてから、ますます身にしみて感じることです。

というか、あらゆる習い事に共通しているのではないでしょうか。

ちょっとさぼればすぐ元に戻る。

芸というものは、己との戦いなんです。

イヤならやめればいいのにと思う人もいるでしょう。

ところが一度お客様の前に出て喜ばれると、これがやみつきになる。

実に不思議な魅力に満ちています。

芸人はみんなそうでしょう。

俗に板数といいます。

pixel2013 / Pixabay

舞台の上、高座の上に何度のったか。

その数がやがて本当の芸を生むのです。

なんだか妙に辛気くさい話になっちゃいましたね。

しかしそれくらい人を笑わせるのは難しいということです。

ぼくの好きな本をご紹介しておきます。

圓生の人となりを全てあらわした本『寄席育ち』です。

何度も読みました。

ほとんど学校にも行かず、幼い頃から楽屋の中で育ったという稀有な人生を歩んだ人です。

芸には厳しかった。

是非、一読してみてください。

泥棒噺は縁起がいい

そんなことがあるんでしょうか。

これは噺家が必ず最初に泥棒の噺をする時、マクラで言います。

第一、泥棒の噺はいくらしても客席から文句がでません。

なんだっておれの話をそんなに人前でべらべら喋るんだとケチをつけられることもない。

実にのんきなもんなのです。

それではなぜ縁起がいいんでしょう。

これは験を担いでいるのです。

ElisaRiva / Pixabay

泥棒の噺はお客様の懐を噺家が自分の方に引き寄せて盗るという意味で、たくさんの方に来てもらい、ついでにご祝儀もいただけますように、という意味なのです。

その他に化ける噺も喜ばれます。

噺家の符丁で「化ける」といえば、芸が上達して人気が突然出ることをいいます。
まことにおめでたいのです。

そこで狸や狐の噺なども実によくかけられます。

「狸札」「王子の狐」などの「化ける」噺が代表でしょうか。

その他ではあの「寄席文字」でしょうね。

これも縁起を大切にしています。

江戸時代からあったビラ字がその元祖だと言われています。

よく見ると歌舞伎の文字とは少し違います。

噺家だった橘右近が、昭和40年代に現在の書体に改良しました。

とにかくお客様が右肩上がりで大入りとなるようにと縁起をこめて右上がりの書体となっています。

さらにたくさん入場していただくことを願って、文字の間隔を詰めて黒く書くのが特徴です。

スキマがあっちゃいけません。

今度寄席の入り口にあるのをじっくりとながめてみてください。

泥棒の噺といえば…

五代目柳家小さんでしょうね。

この噺家のなんともいえない間が、こそ泥の噺に一番向いていたと思います

だいたい落語に大泥棒は出てきません。

みんなドジで失敗ばかりしている小物です。

だからこそ実にかわいい。

愛らしいのです。

いくら泥棒だぞと驚かしても誰も驚きません。

逆にお金をおいてきたり、夫婦喧嘩の仲裁をしたり、なかには夫婦約束までして、翌日訪ねると、まんまと騙されていたなどというワケのわからない噺まであります。

小さんにはたくさんの芸談が残っています。

その中でも弟子の小里んが語った『五代目小さん芸語録』は実に奥の深い本です

小さんの内弟子として、6年間一緒に暮らした人でなければ、とても書けないものです。

そこに示されているのが泥棒の代表噺「間抜け泥」です。

Capri23auto / Pixabay

噺家ならだれでもがやります。

しかし本当に笑わせるのはなかなかに難しい噺です。

落語のリアリティは本当にこんな間抜けな泥棒もいそうだなと思わせるところにあります。

そのために必要なのは、季節感と人物の了見。

「真心に立ち返って悪事に励みます」なんていう台詞がごく自然に出てこなければダメです。

ちっとも面白くない。

泥棒を無邪気にやるのも難しいです。

泥棒に入った男がお茶をのもうと思って、ふっと羊羹がそこにあるのをみつけます。
ところがその羊羹の切り方が実に薄いのです。

「こんなに薄く切りやがって、向こうがその気なら、こっちはその裏をかいて、三切れ一緒に食ってやる」などという台詞が自然にでてきます。

そこへ二階から家人が降りてきます。

「誰だおめえは」

「ほんの通りかがりの者で」

「通りかがりのもんがどうして、茶を飲んで羊羹食ってんだ」

そこでとっさに思いついた名前を出します。

「あの、いたちさいごべいさんのお宅はどちらでしょうか」

「なんだい、それなら早く言えよ。いたちさいごべえは俺だ」

この後の驚いた顔の間が難しいのです。

ただ驚けばいいんじゃない。

言葉をちょっとのんで、一拍あけて目を白黒させる。

このあたりがまさに小さんの真骨頂でした。

誰でもができる芸ではないのです。

「出来心」も同じです。

ドジな泥棒が空き巣に入ってみたら空き家だったり、下駄泥棒と間違えられたりしつつ、なんとか、ある家に忍び込こます。

すると部屋には七輪におじやの土鍋がかかっていました。

空腹なので食べていると、部屋の住人八五郎が帰ってきます。

逃げ場がないので、縁の下に隠れるものの、泥棒に入られた八五郎は驚くどころか、これを利用しようと考え大家を呼んで来ます。

店賃を盗まれたという格好の言い訳に使う魂胆なんです。

それは大変だというわけで、盗難届を出さなくちゃいけません。

しかし盗られたものなどあるワケがありません。

しつこく聞かれるうちに、布団を盗まれたとつい言ってしまいます

すると、表地はと聞かれたが分からないので、大家さんとこでよく干してあるのと同じだと言うと、唐草で別に上等なもんじゃない。

それじゃ裏は

「大家さんとこのは」

anaterate / Pixabay

「うちのは丈夫であったかい花色木綿だ」

「うちのも、丈夫であったかい花色木綿なんです」

それからは馬鹿の一つ覚え。

羽二重の着物の裏が花色木綿、帯の芯も花色木綿、ありとあらゆるものに「裏は花色木綿」を連発します。

するとついには泥棒が床下から飛び出してきます。

「あんまり馬鹿馬鹿しいんで我慢出来なかったじゃねぇか。なんでもかんでも裏が花色木綿って。この家には盗る物なんて何もねぇじゃねぇか」

「おい、八…。どうしてあんな嘘を並べた」

「へぇ大家さん。これもほんの出来心でございます」

この他に「夏泥」「碁泥」なんてのもあります。

「碁泥」は小里んがよく寄席にかけます。

とにかく碁の好きな泥棒がつい泥棒に入った家で碁の見物を始めるのがこの噺の発端です。

パチリパチリと碁石を置きながら、見たこともない泥棒と碁談義をするところなどは、実にのんびりとしていていいですね。

「夏泥」はなんにもとられるものがない貧乏人が、泥棒から少しずつお金を借りていくという噺です。

どうしようもなく泥棒が金を出していくシーンが、ばかばかしいというか、こんなこともありそうだと思わせる不思議なリアリティに満ちています。

もう一つ「締め込み」を。

表の戸が開いている家に忍び込んだ泥棒の噺です。

衣類などを風呂敷に包んで逃げ出そうとしたところで、表に足音がします。

裏から逃げようと考えたものの、家の裏は行き止まり。

仕方がないので、台所の揚げ板を上げて、縁の下に逃げ込みます。

そこへ戻ってきたのが、その家の亭主。

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大きな風呂敷包みに気づいて、中を見ると自分や女房の衣類が山と入っています。

さては女房がほかの男と駆け落ちするつもりだったんだと早合点。

そこへ女房が銭湯から帰ってきて、二人は大げんかになります。

ここが一番の見せ場でしょうか。

どうにもならなくなった泥棒が、縁の下から飛び出して、仲裁に入ることになります。

泥棒のおかげで、誤解もとけ、夫婦が感謝するシーンなどがあって、めでたしめでたし。

不用心だから心張りをかけなくちゃね。

だっておまえさん、泥棒さんはもう中にいるよ。

「じゃあ、表から心張りをかけておけ」というオチもかわいらしくて、ついニッコリしちゃいます。

泥棒噺の傑作でしょうね。

鈴ヶ森とだくだく

最後になりましたが、ぼくの持っている噺の中では一番最初に稽古したのが、「鈴ヶ森」です。

これは春風亭一之輔のがあまりに面白かったので、何度も音源を聞いてノートにうつしました。

それを少しずつ覚えてだいぶ前に一度ご披露した記憶があります。

3D_Maennchen / Pixabay

とにかくドジな新米の泥棒の噺です。

鈴ヶ森で追い剥ぎをやるという親分の台詞を繰り返しておぼえようとするものの、なかなかそれができません。

「お~い旅人、お~い旅人。ここを知って通ったか、知らずに通ったか。明けの元朝から暮れの晦日まで、俺が頭の縄張りだ。知って通ったのなら命は無い、知らずに通ったんなら命は助けてやる。その代わり身ぐるみ脱いで置いて行け。嫌とぬかせば最後の助、伊達には差さねえ二尺八寸段平物、うぬが腹にお見舞え申すぞ」

新米はなかなか覚えられず、苦労します。

このシーンをいかにもドジにやるところが難しいのです。

言葉も満足に発音できません。

竹藪にかくれると、タケノコがおしりに刺さったり、とにかくどうしようもないのです。

この噺は亡くなった柳家喜多八もよくやりました。

喜多八のは「だくだく」の方が好きです。

なんにもない家に絵を描いてもらい、大豪邸のようにくらしている男のところへ、近眼の泥棒が入る噺です。

どうしてもやりたくて、この噺も覚えました。

全部の台詞の後に「~つもり」というのが入り、それがこの仮想空間の中で起こる男と泥棒との知的遊戯を全て象徴しています。

などと大袈裟にいうことはありませんね。

つまり超ばかばかしい噺です。

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登場人物も石川五右衛門の子分で二右衛門半とか、そのまた子分のなし右衛門とか。

どこでうまれたのかと聞いたら山梨だった。

どうりで梨右衛門…。

この他にもたくさんあります。

ぼくの好きなのは橘家文蔵師匠の「転宅」です。

これは今じゃ文蔵さんが一番面白い。

ドジな泥棒もここまでくると気の毒です。

とにかく縁起のいい泥棒噺をききながら、これでも人間は生きていけるんだというところを味わってください。

落語は究極の人間賛歌なんです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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