小論文の書き方!であるとですますの混在で炎上必至

学び

文体の秘密

みなさん、こんにちは。

小論文添削歴20年の元都立高校国語科教師、すい喬です。

今では私立大学入学者の半数は、いわゆる一般入試組ではありません

これは実に驚くべき数字です。

AO入試や推薦入試に対応した授業を受けたい。

小論文の書き方をていねいに教えてほしい。

多くの受験生のニーズはここにあるのです。

特に推薦入試専門の塾などでは、ものすごいパワーで人材を集中しています。

過去問はもちろんのこと、面接の方法まで大学ごとに全て把握しているのです。

もちろん高校側でも、受験した生徒から情報を集め、データベース化しています。

しかし毎年の変化にピタリとついていけるのはやはり塾の方です。

だからといって諦めることはありません。

今回は小論文の中でも一番関心の強いテーマについて書きましょう。

それはなにか。

ズバリ文体です。

内容以前じゃないかとお叱りを受けるかもしれません。

しかし初心者にとって、ここをクリアしないと次にいけないのです。

少し文章が書ける人なら、そんなことあたりまえだということが実は一番、厄介なんです。

誰も教えてくれません。

先生はである調で書かないと、小論文は評価が下がるぞと脅かします。

しかしそもそも、である調をどういう風に書くのかまでは教えてくれません。

極端な話ですが、である調で書けというと、文章の最後を全部であるにしてしまう生徒がいます。

冗談でしょという人もいるでしょう。

しかし本当の話なんです。

常体と敬体

である調が常体、ですます調が敬体だという表現は聞いたことがあると思います。

実は小学校から中学校くらいまでは「敬体」を使うことがほとんどなのです。

小学校の国語指導要領には次のような文言が書かれています。

丁寧な言葉と普通の言葉との違いに気をつけて話し,また,敬体で書かれた文章に慣れること。
丁寧な言葉と普通の言葉との違いについては、日常の場面に応じて使っている話し言葉を中心にして気づくこと。
先生や家の人、さまざまな学習の場面で出会う人などに対して、具体的な場面で丁寧な言葉遣いで話すことができるように指導すること。
入学して初めて出会う教科書の敬体の文章に読み慣れるようにし、漸次、自分でも使い慣れるように指導していくこと。

中学校ではどうでしょうか

話し言葉と書き言葉との違いについて理解し,適切に使うこと。
共通語と方言の果たす役割などについて理解するとともに,敬語についての理解を深め生活の中で適切に使えるようにすること。

これを読めば明らかなように、最初はですます調の指導から始めなさいと言っているのです。

だから作文も全てですます調での指導です。

mohamed_hassan / Pixabay

突然ですが、子供の書いてきた作文がである調だったら、親はかなり驚くはずです。

つまりそういう指導はしていません。

他者に対してやさしく自分の気持ちを伝えるというのが、この時期の一貫した教育方針なのです。

と、ここまで書いてきて何か気づきましたか。

そうです、この文章もすべてですます調で書かれています。

もしこのブログをすべてである調にかえたらどんな印象を持ちますか。

敬体で書かれた文章は、ていねいででやわらかい印象を与えます。

一方、常体で書かれた文章は、断定的で堅い印象です。

どちらも文章としては存在しえますが、与える印象が大きく違います。

話し言葉も同じですね。

かつて自分史を語るという授業を国語表現の中で行ったことがあります。

大半の生徒は最後をですますでまとめていましたが、1人だけがである調でした。

確かに目立ったものの、少し違和感が残ったことはいうまでもありません。

会社のプレゼンテーションなどでも、基本はですます調です。

敬体への慣れ

中学生に黙って文章を書かせると、90%の生徒が敬体で書きます。

いわゆる作文です。

次に同じ文章を「常体」に書き換える作業をさせます。

文の最後を「である」にさせるのです。

すると全部をであるにすると気持ちが悪いという感覚が自然に生まれてきます。

クラスの誰かになおした文を読ませてみるのもいいでしょう。

Gellinger / Pixabay

必ず笑い出す生徒が出てきます。

なんとなく文章が妙だからです。

全てをであるに変換することはできません。

ここは別の表現の方がしっくりくるというところが出てきます。

それを次にやらせてみる。

すると以前よりはかなり読みやすい文章になります。

具体的には次のようなものです。

原文例

ぼくの家の前にはコンビニエンスストアがあります。
前はただの空き地でした。
それがいつの頃からか突然工事が始まったのです。
何ができるんだろうとお姉ちゃんと話していたら、あっという間にお店ができました。
それから毎日夜遅くまで電気がついています。
いろんな車が出入りして、かなりうるさいです。
それでも何か突然必要なものがあったりすると、すぐ買いに行けて便利です。

リライト例

ぼくの家の前にはコンビニエンスストアがある。
前はただの空き地だった。
それがいつの頃からか突然工事が始まった。
何ができるんだろうと姉と話していたら、あっという間にお店ができた。
それから毎日夜遅くまで電気がついている。
いろんな車が出入りして、かなりうるさい。
それでも何か突然必要なものがあったりすると、すぐ買いに行けて便利である

全ての文末をであるにしてから無理なところは別の表現にしていきます。

すると敬体と常体の表現にはかなり幅のあることがわかってくるのです。

である調の方が、語尾の変化にバリエーションが多いのです。

したがって語尾が単調になりにくいという長所があります。

その一方で、口調はきついです。

同じ内容ではあっても、読者に堅苦しい感じを与えてしまいます。

ところが、ですます調の場合、印象はやわらかいです。

しかし語尾の変化はあまりありません。

基本的に可能なのは体言止め、「でしょう」「かもしれません」などに限られてしまいます。

長い文を書いていると、歯切れの悪い文章になりがちです。

そのことを実感としてどのくらい感じてもらえるか。

ここが最初の関門です。

普通なら、優しい印象を持つ文章ですが、結論がはっきりしないとか、曖昧だなどという印象を持つと思います。

とにかくここでですます調とお別れする決心ができるかどうかが、次のステップになります。

ここからが本当の小論文の勉強になります。

小学校や中学校で習ってきた柔らかい文体をずっと高校でも使っていた人にとっては、精神的な乳


離れの時期といってもいいかもしれません。

かつて中村光夫という文芸評論家が活躍しました。

彼の文章の特徴は評論文を全てですます調で書くことでした。

チャンスがあったら本を手にとってみてください。

残念ながら、この方法は主流になり得ませんでした。

いまだに他の評論家からその点について語られることもあります。

ことほどさように、文体は命です。

どうにかして、である調を自分のものにしてください。

全ての文末をであるにしろということではありません。

「~た」「~ではあるまいか」「~なのではないか」「~だった」「~に違いない」「~なのだ」


などいくらでもバリエーションはあります。

試みに自分の持っている評論問題や教科書の評論から1つ文を取り上げ、その文末だけを抜き出して

みてはどうでしょうか。

すると自分の持っていないボキャブラリーがいかに多いかということに気づくでしょう。

これは使えると思ったら、それを1つ1つ自分のものにしていってください。

自分の文体

この練習を積んでいると、必ず自然な言葉の連なりが生まれてくるはずです。

文章を書いたら最初にすること。

文末にであるとですますが混在していないか。

入念にチェックしてください。

自分では案外気づかないものです。

第三者の目でよく見てください。

入っていたら、即刻である調になおす。

それだけで、随分と普通の文章に近づきます。

ここからは味の付け方です。

これはあくまでも例外の話です。

geralt / Pixabay

文体を自分の色に染めるために、言葉を操る人は日々苦労しています。

文の均衡感覚を研ぎ澄ますということです。

彼らは同じ形容詞、接続詞を絶対に続けて使いません。

体言止めも続けないのです。

さらに言葉の持つリズム、色合い、雰囲気、フォルムにまで神経を巡らせていきます。

そのために「ですます調」と「である調」を、わざと混在させることもします。

しかし初心者は絶対にやってはいけません。

これをすると、文の品格、リズムが完全に崩れます。

今はそういうことも破格としてあるのだということだけ覚えておいてください。

ジャズのテンションノートのようなものです。

つまり不協和音をわざと入れて、音の構成を複雑にします

その方が音楽に新しいバリエーションが生まれるからです。

であるとですますの戦いは久しいのです。

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これは日本における教育の歴史です。

その断片なのです。

小論文は論理で貫き通さなくてはなりません。

そのために自分の文体を獲得してください。

困難な道のりですが、必ずうまくいきます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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