作文と小論文
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
このブログも随分と長くなりました。
3年半を過ぎて、記事の量も1250にまでなったのです。
始めた頃には想像もつかないことでした。
その間、好きな文学の話や、落語の話を書いてきました。
そのうちに、以前から添削をしていた小論文の解説もするようになりました。
最初はそんなに書くことがないと考えていたものの、書き始めてみると、後から次々と内容がふくらみます。
最近はこの文章を書くのが、日々の大切な日課になりました。
その間に、どれだけの文章を読んだことか。
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全てが血となり肉となって、ぼくを成長させてくれています。
感謝しかありません。
長い間、小論文を読んできて、上手に書けない理由を自分なりに探ってきました。
学校では基本的に教えてくれない内容です。
作文との差を明確に認識するのは大変なのです。
境界線はここだというように、目に見えるワケではありません。
しかしはっきりと違いがあります。
それがわからずに、ただ文章を書いている人がいかに多いことか。
読んでいても、呆れてしまうくらいです。
今回は基本中の基本となる、両者の違いについて、意識しながら解説をしていきましょう。
小論文の勉強を続けると、意識的に読むという訓練ができるようになります。
それが国語力の飛躍に役立つのです。
これは一生のスキルになります。
違いは何か
作文と小論文の違いは何なのでしょうか。
一言でいってしまえば、作文は感想です。
主として自分の体験を書けばいいのです。
最後にその体験の感想をまとめれば、レベルの高い文章になります。
部屋の温度を28度に設定し、この夏を乗り切ろうとしたという経験があるとします。
それを家族の誰かが、暑いからといって低い温度にしました。
そこから家族間の軋轢が始まります。
家族の体感温度が1人1人違うという事実につきあたったのです。
その時、どうしたのか。
当然そこにドラマが生まれますね。
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それを次々と書き連ねていきます。
最後に、どんな結論をだして、家族が一致点をみつけたのか。
あるいはみつけることができずに、家族の意見がバラバラになった過程を示すのも作文としては十分に可能です。
その間に感じたことを、素直にまとめていけば、それだけで1つの作文になります。
家族の日常の様子が垣間見え、きっと評価も高いものになるでしょう。
これが作文です。
会話などを上手に使う方法を学ぶと、小説のような味わいも出ます。
もちろん、そこまでのレベルに達するには、視点がよほど定まっていなければなりません。
難しい表現ですが、「末期の眼」がなくてはならないのです。
第三者よりも、より高いところにある鳥瞰図的な視線です。
これがあると、作文が一種の気品を持ちはじめ、エッセイとしてもレベルの高いものになります。
作文とは、自分のことから書きはじめ、最後は自分の気持ちや感想でしめくくるのです。
その派生系が随筆と呼ばれるものです。
しかしここまでになるには、よほどの経験と読書量が必要です。
けっして作文が簡単だというワケではありません。
それだけは誤解しないでください。
小論文は全く別物
次に小論文について考えましょう。
このブログでも隋分たくさん扱っています。
作文との1番の違いは何か。
ズバリ「論理」です。
内容に分析が必要なのです。
意見や主張があり、方向性が見えなければなりません。
結論として、解決策が少しでもあることが重要です。
もちろん、大切なのはなぜ自分がそのような意見を持つようになったのかという根拠です。
理由の説明と言い換えてもかまいません。
これがない文章は、小論文とはいいません。
つまり「言いっ放し」は許されないのです。
必ず意見を述べたら、その根拠を説明しなければなりません。
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採点者は、主にこの説明の部分を重点的に読みます。
そこに論理的な組み立てがなければ、評価は下がります。
なぜそのことに対して、このような考えをもつにいたったのか。
その理由が1番知りたいのです。
たとえば原発は必要だ、という命題をつくったとしましょう。
再稼働が喫緊のテーマであるとするなら、そのための理由を論理的に説明しなければ、小論文とは呼べないのです。
体験例の重み
小論文はいつも社会的な視点にさらされています。
なんとなく必要だではダメ。
原発がなければ、やっていけないからもNG。
なぜやっていけないのか、という理由を地球温暖化やSDGsのテーマと絡めて、なるほどそうだと納得してもらえるように、書き進めなければならないのです。
資源供給国と利害で対立することはないのか。
人類の共通目的と無理なく合致して、施策を進められるのか。
エネルギーの未来像として無理はないのか。
核エネルギーの安全性に不安はないのか。
あらゆる角度から、検討しながら文章をまとめていかなくてはなりません。
なんとなくが1番いけません。
最もまずいのは、自分の数少ない経験を振りかざして、これが全てだというような書き方をすることです。
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経験を書くのなら、それが社会的に認知された内容であるのか。
多くの人が納得できるのかという視点からまとめないと、とんでもない独りよがりの文章になってしまう危険性があります。
作文のうまい人でも、小論文を書かせると、レベルの低い文章になってしまう人がいます。
これは感性の鋭さを追及するタイプの人に多いようです。
愚直に論理を積む訓練をする必要があるでしょう。
評論を中心とした読書を続けてください。
新書がお勧めです。
ある程度読めるようになったら、さらに本格的な内容のものにチャレンジしましょう。
完成までには時間がかかります。
けっして、これだけ読めばいいといったダイジェスト本には時間を割かないこと。
本質的な理解ができないうちに、解説本を読んでも、なんの意味もありません。
時間がかかるという覚悟をもって勉強を続けることが大切です。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。