【靴を脱ぐ文化】ウチとソトが誰にでも開かれているワケではない国日本

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靴を脱ぐ

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は文化の違いについて少し書かせてください。

つい先日、焼き肉屋さんに行きました。

入り口で靴を脱ぎ、ロッカーにしまいます。

銭湯のカギと同じような木の板を持って、案内された席に座ったのです。

もちろん、靴は履いていません。

靴下をつけているので、素足というワケではないのです。

しかし気分的にゆっくりしますね。

食事をする時に靴を履いているというのは、やっぱりイヤです。

なんとなくリラックスできません。

靴を脱いだ時の解放感というのは別格です。

飲み屋さんでも同じですね。

椅子の席か、奥の座敷にするかと訊かれることがあります。

面倒な時は、そのまま椅子の席につきますが、やっぱり座敷の方がゆっくりします。

あたりまえといえば、誠に当たり前の話ですが、日本ではだいたい家にあがる時、靴を脱ぎます。

しかし靴を脱がない国も多いです。

たまたま授業でそんな文章を読みました。

そこで生徒に訊いてみると、中国人の家庭では半々でした。

韓国人の家庭ではほぼ靴を脱ぎます。

アメリカ0やオーストラリアで生活していた生徒達は、その家の習慣によって違っていたと言います。

世界は広い

なるほど、世界は広いです。

日本人にとって当たり前のことが世界でそのまま通用するワケではないのです。

ぼくの経験からいうと、中国の家もマレーシアの家でも、靴を脱ぎました。

マレーシアの家は、床がタイル張りでした。

暑い国ですからね。

高温多湿の風土なので、床の高い家が多かったです。

それが玄関と床との段差になりました。

裸足でいるとひんやりとして、実に気持ちがよかったです。

日本の家はどうでしょうか。

最近は畳敷きの部屋が随分と減りました。

その代わりに今はフローリングが主流です。

学校の床も以前はPタイルと呼ばれたリノリウム張りが多かったですね。

今は木の床も随分と増えています。

なんとなく柔らかくて、やさしい気分になれます。

ところで以前勤めていた高校には上履きがありませんでした。

生徒は土足のまま、校舎にあがってきます。

最初その光景が異様に見えました。

何人かの生徒に感想を訊いてみると、面倒臭くなくていいという返事が多かったです。

なるほど、これも違う文化を多様に受け入れるということなのかもしれません。

担任をしていると、上履きの後始末にはかなり悩まされます。

とくに卒業式が終わって数日後に待っている仕事の1つが、この上履きの清掃なのでした。

大きな袋を持って、生徒が置き去りにしていった上履きを全て片付けます。

これが最後の担任の仕事といっても過言ではありません。

持って帰れといってもなかなか教師の言うことを聞かないのです。

ことほどさように、日本ではまず外と内との区別を明確にしたがります。

うちの会社、うちの学校という表現は、逆にいえば、外の人間に対してどこか冷たい響きをあわせ持っています。

体育館履きと上履き

多くの学校では体育館用の靴も揃えなくてはなりません。

新入学の頃は靴を何足も買わなければならないのです。

その他、クラブ活動をするための靴も必要です。

バスケットにしろ、バレーにしろ、あるいは野球のスパイクなどもとても高価なものです。

考えてみると、彼らは靴をいくつ買ったのでしょうか。

とにかくウチとソトをきちんと切り替える。

これが日本人の基本的な考え方なのに違いありません。

礼儀作法もウチとソトを厳然と区別しています。

島国ということも、関係しているかもしれません。

それがそのまま人々の意識の底にこびりついて離れないのに相違ないのです。

特に外国人の受け入れなどに対しても、日本は大変厳しい側面を持っています。

EU諸国の労働者移動の現状などをみていると、本当に全く国境があることを感じさせなくなりました。

Free-Photos / Pixabay

そこへいくと、日本の入管システムは厳しいの一言です。

難民の認定などという話になると、ほぼ不可能に近いのではないかとすら考えてしまいます。

東南アジアから来ている技能研修生の扱いなどについても、かなりひどい例が報告されています。

どこまでいってもソトの人間をウチに入れようとはしない頑ななところがありますね。

コロナなどで、県境をパトロールし、別の県のナンバーだと追い返すなどいう話もありました。

実家に帰ることもままならないという現実もあります。

隣近所の目が厳しくて、思うように里帰りができないという信じられない話です。

外国人との出会い

今の日本の状況は周囲を海に囲まれているこの国の特殊性ということから、ほぼ類推できます。

外に出たがる若者が減ったというニュースもあります。

円安の今、外国へ出ていくメリットがないことも事実です。

さらにコロナの不安もあります。

ロシアのウクライナ侵攻以降、安全保障の話も妙にきな臭いです。

そんな危険なところへ出ていくのなら、安全な日本のぬるま湯につかっていた方が楽だと考える人がいても不思議ではありません。

世界標準が、だんだん自分にとって息苦しく感じられてならないというケースもありそうです。

たくさんの外国人に押し寄せられたら、日本の労働環境が一変するということもあるに違いありません。

それでなくても非正規についたら、2度と正規での就職が難しくなるという現実もあります。

rawpixel / Pixabay

外国人と多く出会う日常の中で、感じることは多岐にわたっています。

高校に入りたくても外国人をそのまま入学させてくれるところは、現在あまりありません。

もちろんないワケではないのです。

高い倍率をくぐり抜けられたものだけが、安い費用で実に丁寧な教育を受けられるという実情もあります。

インター校などは文科省管轄下の学校ではありません。

各種学校の扱いになるのです。

したがって高校卒業の資格をとるためには、認定試験を受けなければなりません。

これからもこの国では靴を脱ぐという習慣がなくなることはおそらくないだろうと思われます。

外と内との関係は長く厳然と守られていくことでしょう。

内側に入れた人間はまだいいのです。

いったん、外に出てしまった人間に対して、バイパスルートが多くはありません。

そこにあるのは冷たい響きを持った「自己責任」の4文字です。

それがこの国の文化だと言い切ってしまっていいのかどうか。

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あらためて、自分の問題として考えてみてください。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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