【江戸的なるものへの憧れ】無理をせずにいさぎよく諦める粋の文化

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江戸的なるもの

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

子供の頃から、東京に暮らしているせいか、やはり江戸的なるものへの憧れが強いです。

一言でいえば「粋」の世界ということでしょうか。

無理をしないであっさりと諦めるというのも、生き方の一つに入りますね。

あんまり地位に恋々としないというのもあります。

偉くなろうとは思いませんでした。

それより、好きなことをやって暢気に暮らしたい。

さりとて、生活に汲々とするのもイヤだ。

自分の好きなことをのんびりとやりながら、毎日を過ごしたい。

pixel2013 / Pixabay

随分我儘な話ですね。

自分でもつい笑っちゃいます。

しかし今までこういう風に生きてきました。

教師を選んだのもまさにそこにあります。

好きな本を読んでいれば、それが仕事になったのです。

授業のない時間は、本を読むことも可能でした。

それがやがて血になり肉となったのです。

視野が広がったといえばいいのでしょうか。

長い休みもありましたしね。

今のように研修報告をする必要もなかったのです。

つまり自分の好きなように時間をコントロールできました。

ブラックと呼ばれて、人が集まらないなどということはなかったのです。

ぼくは例外ですが、一目置くに値する錚々たるメンバーが揃っていました。

引き際の美学

あまり物事にこだわりすぎないようにしようとずっと思ってきました。

言わば、引き際の美学ということです。

歌舞、音曲も嫌いではありません。

西洋の音楽はもちろん、日本の楽器も好きでした。

三味線の音は小さな時からずっと聞いていました。

お祭りや御輿に対する愛着も深いです。

子供の頃はずっとそうした風景の中にいました。

たくさんの香具師の口上や、小屋掛け芝居の様子が、まだ瞼の奥に残っています。

古い東京、江戸の名残がまだあちこちにありました。

そのせいか、やはり歌舞伎のあの色づかいと音には心惹かれますね。

なんとも言えない渋い色があるかと思えば、引き抜きと呼ばれる早変わりの色の鮮やかさには、目を見張ってしまいます。

また江戸情緒の残る町並みも好きです。

深川江戸資料館などへ行くと、当時の長屋がそのまま再現されています。

訪れたことがありますか。

南北線の清澄白河から歩いてすぐのところにあります。

一歩足を踏み入れると、すぐ江戸の人間になれます。

元々、町人の文化というものが好きなのです。

自分がそういう階級の人間だという感覚が身体の中にあります。

武士ではありません。

それが落語への傾斜にもなっているのでしょう。

いつの頃からか、高座に上がるようになりました。

稽古した噺もかなりの数です。

黄表紙本

黄表紙本にも心ひかれることもあります。

恋川春町が書いた『金々先生栄華夢』などという本を御存知ですか。

すごいタイトルですね。

これが芭蕉の世界とは異質であることがすぐにわかります。

江戸時代という表現ではくくれない奥の深さがあります。

時代のキーワードはずばりお金です。

貨幣経済が一気に進んだ社会の様子が、この黄表紙本の題名からもわかりますね。

いくらお金を使っても減ることがないという、パロディーに全編が満ちているのです。

同じお金にまつわる話でも近松門左衛門や井原西鶴とは事情が異なります。

ところで唐来参和(とうらいさんな)という不思議な名前の作家を主人公にした小説があるのを知っていますか。

井上ひさしがこの人の一生を小説にしています。

舞台化した作品もあります。

小沢昭一の1人芝居です。

何度か見ました。

これも実に江戸的な世界です。

江戸という時代は300年近く、全く戦争がありませんでした。

太平の世を人々は謳歌したのです。

混浴が当たり前だった風呂屋から、一歩外へ出れば、いくらでも娯楽があったのです。

もちろん、宵越しの銭は持たない江戸っ子のことです。

無理に散財をするというわけではありません。

だからといってけっして不幸だというわけではありませんでした。

武士がいかにも忠義を前面に出して苦しんでいる隙間をぬって、町人達はかれらの美学を生き抜いたのです。

火事と喧嘩は江戸の華

火事に喧嘩にお祭りに、人間の生き方の基本を見るような気がします。

ハレとケの時間の使い分けが上手だったともいえます。

ぼくの身体のなかにも、江戸の血が流れているのを感じます。

代々の先祖たちが、江戸で暮らしていたことが分かっています。

両国にある江戸東京博物館へ行かれたことがありますか。

しばらく休館するという話ですね。

とても残念です。

今までに何人か留学生を連れていったことがあります。

1番楽しんだのは、どうやらぼく自身であったような気もします。

助六の人形、芝居小屋、日本橋の模型。

たくさんのジオラマ。

今でも身体の中には江戸の血が流れているのをしみじみ実感します。

高い建物がひとつとしてなかったあの頃の風景を1度、自分の目で見てみたいです。

すぐに溶け込んでいつでも暮らし始められそうな気がします。

両国風景という俗曲を聞いたことがありますか。

寄席でたまに柳家小菊さんがやってくれます。

ilyessuti / Pixabay

両国の夕涼み 軒を並べし茶屋の数 団扇店 揚弓場 そのほかあまたの諸商人

川のなかでは テケテン馬鹿ばやし 売ろ売ろ船に影芝居 屋形屋根船ある中で

橋の上には数万の人の声 虫売り麦湯売り西瓜のたち食い 本家烏丸枇杷葉湯

長い歌ですが、聞き終わった頃にはもう完全に江戸時代へワープしています。

近年、江戸学と呼ばれるものも盛んです。

法政大学の元総長、田中優子さんの専門は江戸文学と江戸文化の研究です。

着物姿がいつも素晴らしかったですね。

江戸に対する憧れは、明らかに現代の効率優先社会に対するアンチテーゼでしょう。

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もうあの時代には戻れないという悲しみが、最近は強くなるばかりです。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

【両国風景】上野鈴本演芸場からの生配信で江戸情緒満点の花火見物を
鈴本演芸場からの生配信は6月いっぱいの土日、続きます。おそらく初めての試みでしょう。落語はもちろんですが、色物の芸人を同じようにみられるというのはとても珍しいのです。この機会に三味線の音に耳を傾けてください。両国風景は江戸情緒満点です。

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