【基準値なんてない・SDGs】日々変化していくのが当たり前の時代

暮らし

スタンダードって何?

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

5月を迎えて急に暑くなってきました。

太陽の光も今までとは全く違います。

新緑が見事ですね。

雨上がりの翌日なんか、光に映えた木々の緑が新鮮そのものです。

自然の変化はすごいです。

毎日違う。

あたりまえのようですけど、本当はものすごいことなんです。

スタンダードというものが元々自然にはありません。

人間が勝手に計測して予測しているだけです。

気温の変化だってそうですね。

この50年間で平均気温がどれくらい変わったと思いますか。

今では入学式の頃に桜が散ってもうないのです。

夏の暑さも以前とは比較になりません。

気温35度といってもあまり驚かなくなりました。

ちょっと前までスタンダードだったものが次々と消えてしまっています。

それに応じて身体の組成もかわる。

あるい変わっていくから次の時代に生き延びられるのです。

先日、キリンの血圧があれほど高いのに、どうして脳溢血になったりしないのかという記事を読みました。

普通ならあんなに長い首の上まで血を運ぶのは大変なことです。

心臓がよほど勢いよく動かなければ、あそこまでは届きません。

しかし次の瞬間に地面に首をさげることもあります。

人間なら突然の立ち眩みに襲われるんじゃないでしょうか。

しかしキリンはなんでもない。

その不思議を中国の研究者が解明したんですね。

ご存知でしたか。

実は高血圧症を防ぐ遺伝子が身体の中にあったのです。

この作用で心臓や血管の病気になりにくいことも発見されました。

この遺伝子をマウスに入れたところ、血圧が上がりにくく、骨密度も高くなったといいます。

きっと最初はなかったものの、次第に変化していったんでしょうね。

地球に出現した頃のキリンは高血圧症に悩まされていたに違いありません。

しかし次第に変化してきたのです。

暮らしも同じ

以前はダメだったものが、今では許されるということも、数え上げていけばキリがありません。

立ち食いなんてどうですか。

外で立ってものを食べるなんていうことは、日本人の道徳律の中にはありませんでした。

歩きながらものを食べるという文化は皆無だったのです。

しかしマグドナルドはそれを当たり前にしてしまいました。

銀座の角に第1号店がオープンした時、炎天下、パラソルの下で立ったまま食べている若
者の姿が新聞の記事になりました。

それほど珍しいことだったのです。

今では何がスタンダードでしょうか。

スマホはどうですか。

公衆電話は次々と姿を消してしまいました。

スマホを忘れると、大パニックになりますね。

どこにも連絡ができなくなります。

友達と待ち合わせをするなんて完全に不可能です。

渋谷なら忠犬ハチ公の前と相場が決まっていました。

今はそういう約束が意味を持ちません。

極端なことをいえば、待ち合わせ場所はどこでもいいのです。

隋分いいかげんな話ですけど、ウソじゃありません。

四六時中、スマホを覗き込む暮らしが当たり前になりました。

親が聞いている傍で子供が電話をかけるなどという風景も消えてしまったのです。

成人病の基準値も

毎年秋ごろになると成人病検診を受けています。

人間ドックに行く年もあります。

必ずひっかかるのが、コレステロールの値です。

かつては数値が220を超えると2次検診の対象になりました。

最近ではHDLコレステロールとLDLコレステロールを別々に計測します。

その数字も微妙に変化しています。

以前とは要注意の値がかわっているのです。

例えば悪玉コレステロール、LDLの場合、以前なら異常なしが、~139。

要医療が140~でした。

それが最近では基準範囲が60~119、要注意、120~179、異常が180~になっています。

職場での定期検診も話題になるのは2次健診からです。

毎年同じメンバーが同じ病院で顔をあわせます。

お互いニヤっとしながら同病相憐れむという風情でしょうか。

以前は値が下がって喜んだりもしたのです。

しかしこの基準値も見直されています。

高血圧、喫煙、肥満、糖尿病という心筋梗塞の危険要因がない場合、今の基準でもまだ不十分だという意見もあります。

コレステロールは動脈硬化の原因として、悪魔のように嫌われています。

ところが体づくりには欠かせない「脂質」の1つなのです。

血中コレステロールが減ると、細胞の働きが鈍り、血管や組織がもろくなるという話もあります。

コレステロールの高い人はがんに強いということもわかってきました。

つまり基準値はどんどんかわるということです。

値があまり高くなければ、薬を飲んで無理に下げる必要もないというのが今の常識です。

環境への意識

京都議定書は御存知ですね。

1997年に策定されました。

2020年までの環境基準を決定したのです。

その後に続くのがバリ協定です。

これを受けて2大排出国のアメリカと中国がともに温暖化対策を推進しようという機運になりました。

後ろ向きだった途上国も参加する態度を示しています。

環境基準1つみてもそれをクリアするには並々でない努力が必要です。

無理なら基準値を変えてしまうというのでは、あまりにも無策です。

トヨタなどの自動車メーカーはさまざまな国の企業と技術提携をしています。

これは明らかに環境基準に適合する車を作るための布石です。

脱炭素社会をつくるために、各自動車会社はガソリンを使わない自動車の開発にしのぎを削っているのです。

本格的な水素ガスや電気自動車の出現が待たれますね。

開発には膨大な経費を必要とします。

しかしそれをしなければ将来自動車産業が生き残る道はありません。

コロナ禍においてもSDGsの流れはとどまることがないからです。

地球環境を今よりも悪化させないという目的のためにはあらゆる基準値を見直す必要があります。

少しでも環境先進国の技術を低コストで手にしたいと考えるメーカーが多いのです

1970年、アメリカにはマスキー法という厳しい基準ができました。

排気ガスの公害が子供の健康被害にまで及んだのです。

1973年、世界で唯一ホンダのCVCCエンジンがその条件をクリアしたのです。

しかし今や、その値は全く論外の低いレベルに過ぎません。

基準値は日々刻々と変わっています。

あるいはかえなくてはなりません。

今の日本をみていればそれがよくわかります。

ほんの少し前まで、痛みを伴う構造改革はいやだといっていた多くの人たちは、それを受け入れようとしています。

もちろんコロナ禍です。

雇用不安や経済の悪化を招かないような細心の注意が必要です。

当然のことながら反動も大きいでしょう。

揺り戻しが何度も繰り返される可能性もあります。

それでも世界は新しい基準値を作り出していかなければ生き残れないのです。

ブームに流されない基準とは何か。

もう何もかもが待ったなしの状態になっています。

スタンダードはかわります。

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これがまさに現実なのです。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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