【やまなし・宮沢賢治】透明感に満ちた自然の豊かさを感じさせる童話

透明な童話

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は宮沢賢治の童話を読みます。

タイトルは「やまなし」です。

小学校時代に習いませんでしたか。

6年生の国語教科書に採用されて以来、多くの人に広く親しまれている短編です。

何度読んでも不思議な味わいのある童話なのです。

作品を知ったのは生徒に教えてもらったのがきっかけでした。

ある時、やっと曲が完成したので聴いてみて下さいと男子生徒に言われました。

その時の作品が『やまなし』だったのです。

随分と透明感のある風変わりな童話だなと感じました。

宮沢賢治という人は本当にいろいろな表情を持った人です。

生きていた時は無名の人でした。

亡くなってから、その世界が果てしなく広いことを多くの人が知ったのです。

たくさんの作品がありますね。

必ず子供の頃に読んで聞かせてもらったことがあると思います。

時空を超えているという表現が1番ピッタリくるんじゃないでしょうか。

かつてあるレストランに入った時、これが「注文の多い料理店」だなと思ったことがあります。

田舎の道路沿いにあった料理店でした。

とてもおしゃれな作りでしたが、どことなくちぐはぐな感じがするのです。

その1つが貼り紙でした。

あちこちに小さな紙が貼ってあって、こうしてくれああしてくれと書いてあるのです。

店内を自分勝手に動き回られるのがイヤだったのかもしれません。

きっとそのレストランのご主人はお客を最後には食べてしまうのかなとも思いました。

その瞬間、宮沢賢治の童話が頭に浮かんだのです。

愉快な思い出です。

彼は世界中の子供たちにたくさんの光景を見せたことでしょうね。

今回の『やまなし』もそうした作品の1つです。

宮沢賢治が生前に発表した数少ない童話の1つなのです。

この作品の透明感は他に類を見ません。

クラムボンとイサド

舞台は晩春の5月の日中と初冬の12月の月夜の2部で構成されています。

登場するのは蟹の親子です。

川の底で暮らしています。

魚もいます。

泡がゆれながら、水の中をぷかぷふかと浮かんでいくのです。

これだけで賢治の世界が見えてきますね。

あるのは光です。

太陽の光が差し込みます。

これが実に美しい。

賢治は日光の黄金という表現を使いました。

congerdesign / Pixabay

川の流れが目に見えるようです。

もう1つ、登場するものがあります。

かわせみです。

青光りのする鉄砲玉と表現されています。

あとは白い樺の花びらが水面を流れる風景が繰り返されるのです。

落ち着いた静かな日常の中にある自然の風景がさりげなく描写されています。

言葉の使い方も見事です。

今までになかったいくつもの表現が使われています。

最初のところにこんな記述があります。

『クラムボンはわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
『クラムボンは跳はねてわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』

クラムボンが何かは説明されていません。

次の段落のところにはこんな表現があります。

『クラムボンは死んだよ。』
『クラムボンは殺されたよ。』
『クラムボンは死んでしまったよ………。』
『殺されたよ。』

これが5月の描写です。

ところが12月の描写になると、蟹の子供も大きくなります。

成長ぶりが彼らの感覚をさらに研ぎ澄ますのです。

夜のシーンです。

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白い柔やわらかな円石もころがって来、小さな錐の形の水晶の粒や、金雲母のかけらもな

がれて来てとまりました。

そのつめたい水の底まで、ラムネの瓶の月光がいっぱいに透すきとおり天井では波が青じ

ろい火を、燃したり消したりしているよう、あたりはしんとして、ただいかにも遠くから

というように、その波の音がひびいて来るだけです。(中略)

そのとき、トブン。

黒い円い大きなものが、天井から落ちてずうっとしずんで又上へのぼって行きました。キ

ラキラッと黄金のぶちがひかりました。

『かわせみだ』子供らの蟹は頸をすくめて云いました。

ここから最後のシーンへ移ります。

やまなし

かわせみだと思ったのが実はやまなしでした。

わかりますか、この表現が何か。

この童話を知るまで「やまなし」という果実の存在を知りませんでした。

ヤマナシはバラ科ナシ属の落葉高木です。

コリンゴなどとも呼ばれています。

この作品中には「クラムボン」と「イサド」という表現も出てきます。

クラムボンが何かは全くわかりません。

イサドはどうやら地名のようです。

きっと賢治の世界の中にあった場所なのでしょう。

やまなしの流れてくるシーンが美しいですね。

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お父さんの蟹は、遠めがねのような両方の眼をあらん限り延ばして、よくよく見てから云いました。

『そうじゃない、あれはやまなしだ、流れて行くぞ、ついて行って見よう、ああいい匂いだな』

なるほど、そこらの月あかりの水の中は、やまなしのいい匂いでいっぱいでした。

三疋はぼかぼか流れて行くやまなしのあとを追いました。

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月明かりの中にやまなしのいい匂いが満ち溢れます。

3匹の横歩きする蟹と流れて行くやまなしの映像が想像力を刺激しますね。

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どうだ、やっぱりやまなしだよ、よく熟している、いい匂いだろう。』

『おいしそうだね、お父さん』

『待て待て、もう二日ばかり待つとね、こいつは下へ沈んで来る、それからひとりでにお

いしいお酒ができるから、さあ、もう帰って寝よう、おいで』

宮沢賢治の世界

最後に綴られた「私の幻燈はこれでおしまいであります」という表現に柔らかな余韻が残ります。

文章を読んでいるだけで、賢治の世界に強く取り込まれてしまうのを感じるのです。

この作品が何を表現しているのかについては、さまざまな意見があります。

全体を通じて幻想的な世界が垣間見えますね。

谷川の底という小さな世界の中にいかに豊かな生命力があるのかもみえてきます。

5月の生命と12月の冷え冷えとした静けさの対比もすばらしいです。

クラムボンの謎も楽しいです。

その神秘と残酷さが宮沢賢治の自然観だったのではないでしょうか。

全文はごく短いものです。

しかしその世界の豊饒さには限りがありません。

是非、もう1度読み直してみてください。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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